好きと嫌い
身の回りを自分の好きで満たせば幸せになれるとは言うけど
自分が何を好きで何を嫌いなのか把握するのって結構難しいと思う
世の中、絶対やらなきゃいけないことなんてほとんどないとは思うけど
好きなことで、好きなことだけで生きていけたらそれはもう絶対幸せだけど
好きがわかんないから
もしかしたらこれもやっといたほうが良いかも
でもこういう道もアリかもなあって
好きになる可能性のあるもののためにやらなきゃいけないことが増えていく
だって未来の自分が何を好きかなんてもっとわかんないし。
でもだんだんなんでやってたのかわかんなくなって
どんどん追い詰められて
自分の時間がなくなって
本当に好きなのってなんなんだっけって
なんで頑張ってたんだっけって
それでもまあそこそこ頑張れるし
そこそこうまくやれてるし
こんなのもアリかもなあって思いながらいつのまにか時間が経って
でもその間に好きなことで結果を出してる人は確実にいて
選択肢を増やそうと思って頑張ってたのに
いつのまにか選択肢の1つを潰してたことに気づいたりして
後悔なんてしてないって意地と
自分が得たはずのものを交互に並べて
だけど結果を出した人のことは心から労いたい
いつか意地が一切なくなって
自分が得たものは自分の中に溶け込ませて
結果を出した同士として話せたら楽しい
...
4年の秋。大学の友達が引退ラッシュだ。
今月や来月あたりの試合とか学祭で引退って人がたくさんいる。私はこれと言って何もないんだけど、だけど何もないことが少し寂しかったりして、いろいろと思うところがある。
高校まではずっとサッカーをやってて、サッカー中心に生きてきた。何かに熱中することの素晴らしさ、みたいのは理解しているつもり。だけど大学に入ってまでサッカーを中心にしてしまうのはなんか違う気がしてやめた。
その分自分の世界を広げるために、いろんなことに首を突っ込んで、それによって得られたものもたくさんある。そういう自負はある。サッカーを続けてても得られなかったであろうものはたくさんある。
だけど、友達が引退に向けて頑張っているのを見ていると、ちょっと羨ましい気持ちにもなる。なにかを中心に置いたシンプルな生活の中で、他のやらなきゃいけないことにも時間と体力と気力をやりくりして取り組んで、そうして迎えた最後はなんかすごくキラキラしてる。もちろんそんな美談ばっかじゃないし、常にそれを中心に置いてたわけじゃないかもしれないし、たまにはサボったりもしてたかもしれないけど。
人が4年間なにかに取り組んでいる間に私はなにをしてきたんだろう。
なにかを選択しない代わりになにを選択してきたんだろう。
でもやっぱり引退を迎えた友達たちには心からお疲れ様って言いたい。私が知ってるのなんて4年間の頑張りのほんの一部かもしれないけど、でも少なくとも羨ましくなるくらいには熱中してて格好良かったよって思う。
今は自分の好きはまだ見えないけど、こうやってふらふらするのも好き。そのうち本当に熱中したい好きも見つかるかもしれない。あんま見つかる気はしないけど。それならそれで、まあまあ好きをたくさん増やしながら、嫌いにはあんまり近づかないように気をつけながら、まあまあ幸せを維持できたらそれはそれで実は結構幸せなのかもしれない。
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