追跡! 都市伝説の阿波おどり
【徳島県徳島市】編
①徳島県を旅したくなる文学ベスト5
②今回の文学旅行は……
『眉山』さだまさし(幻冬舎文庫)
眉山や阿波おどり、徳島の自然と文化を背景に、余命を通告された母を看取るために徳島にやってきた娘の咲子が、父親の存在と母の思いにたどり着くまでの物語。クライマックスで展開する阿波おどりの情景が美しい。犬童一心監督により2007年に映画化。主演は、松嶋菜々子と大沢たかお。テレビドラマや舞台にもなっている。
③旅色プラン──鳴門観光モデルコースと映画『眉山」舞台をゆく 徳島・東部 編
想像力の旅行へ
私たちがご案内いたします。
(↓本文は「だである調」になります)
客人を尊ぶ徳島人
市役所の青空駐車場が空くのを待つ。
長い行列の、まだ中盤あたり。イライラしながらサイドウインドーを開け放つ。しばらくそうしていると、強面のアンちゃんが、こちらに向かって歩いてくるではないか。
え? なに、なに? うわー、目ぇ合わせられないよ〜。開けっぱなしたサイドウインドーを閉めようか迷う間もなく、近くまで寄せてきたアンちゃんは、顔をにゅーと近づけて、こう言った。
「この駐車チケット、使っといて」
差し出された彼の手には、別の駐車場でまだ30分以上使えるチケットが握られていた。
え?
な、なんて親切なのだろう。
徳島に入る前、大阪の新世界でも同じようなことがあった。旅行前に抱いていた土地のイメージとはまったく違うではないか。アンちゃんなどと言ってごめんなさい。
旅の中で親切に出合うと、本当に感激するものだ。クルマが東京ナンバーだからだろうか……。後日のことになるが、「東京ナンバーだと些細なことでも警察が取り締まりますから気をつけてください」と忠告された某県とはまったく違う。こんなことがあるだけで、徳島県は気候が温暖なだけでなく、人の気持ちのあたたかい、そして魚のうまい、どうかすると移住したくなる、素晴らしい土地だあああ!!! と思ってしまう。事実、これからめぐる徳島で、思わぬ人情に触れることになるのだった。駐車場で出会ったアンちゃん、いや美青年のエピソードは、そのサプライズの、まだ幕開けに過ぎなかった。
都市伝説か、それともネタか?
それにしても、なぜ市役所へ行こうとしているのか。
それは、阿波おどりの都市伝説とも言うべき、ある奇妙な噂話について検証するためなのだ。その噂話とは、こういうものである。
〝徳島県では、学校を卒業して社会人になる際、阿波おどりを完璧に踊れるようにする研修が必修〟
いかにもありそうな話ではないか。まるで〝一人前の大人になるには阿波おどりを踊れなければならない〟と言っているようで。……併し、ありそうな話だけに、よくできた〝ネタ〟の匂いもする。あるいは東京周辺に流布された都市伝説ではないだろうか、との疑いも拭いきれない。
阿波おどりといっても、〝なんなら盆踊りじゃね?〟という心ない声も聞こえなくはない(←こらっ!怒られるぞ!)。……いや、もし本当に新人研修で、皆で盆踊りをする企業があるなら、それはちょっと楽しいではないか、と思うのである。
この都市伝説の真偽を確かめるには、どうしたらよいか。現地へ行く前に、ひとまず東京から電話調査することにした。とはいえ、どこに、どう問い合わせたらよいかまったく解らない。あれこれ考えたあげく、無理を承知で、地元テレビ局に架電することにした。今風に言えば凸ったのである。まずは丁寧に自己紹介をして取材主旨を話す。すると、別の部署に替わり、対応を受けた。その内容を一口に言うと……
〝自分たちが「阿波おどり研修」をしているかどうかは教えられない。ただ、毎年、春に市役所で行われる新人研修が、徳島では恒例のニュースになっている〟ということだった。
……そんな次第で、徳島市役所を訪ねたのである。
阿波おどり研修のふかーいワケ
「言われてはじめて、それもそうやなぁと気づきました」
そう言って、この取材意図をおもしろがってくれたのは、人事課係長・N女史だ。新人研修で〝盆踊り〟を教える組織は、東京の人間からは奇異に見えるけれど、ちょっと楽しそうだ〟という私の感慨に同調してくれたのだった。
「それでね、ヒコーキさんと同じように、企業さんはどうしているのか気になって、昨日たまたま別件でお見えになっていた地元の銀行さんに訊いてみたんです。そうしたら、してるって言うんですよ! 意識していなかったけれど、他でもしている企業さんがあるかもしれませんね」
どうやら徳島の人は、新人研修の中に盆踊りがあることを不思議だと感じていないようである。取材はこんな調子で進んでいった。
──市役所では、新人研修にどうして阿波おどりを取り入れているのでしょうか?
N女史(以下、太字部分同様) 阿波おどりは、単なる盆踊りではなく、徳島の伝統文化です。徳島市の職員であれば、どこに行っても踊れると思われるので、それはもうしっかり踊れるようでなければいけませんから。新人研修のカリキュラムの中に組み入れています。
──意外に踊ったことのない人がいる、ということでしょうか?
近年は、徳島市役所に採用される方の出身が全国に広がっていますので、徳島に住んでいなかったり、阿波おどりを踊れない方もおられるようになりました。そうした方に阿波おどりを体験してもらい、これから徳島の文化として広めてもらう、ということがコンセプトです。
──いつから始めたのでしょうか?
平成5年(1993年)からです。当初は、純粋に文化継承のスタンスでした。それが最近になって、シティプロモーションと共に広がりを見せているという流れにはなっています。
──シティプロモーションとは何ですか?
徳島市の魅力発信事業のことです。
──直近の採用(注:当時)で、阿波おどりを踊ったことのなかった方は、どれくらいおられたのでしょうか?
研修参加者65人のうち、何らかのかたちで踊ったことがある人は59人です。6人が何もしたことがありませんでした。そのうち県外出身者は4人で、残りの2人は県内出身者。県内出身者でも踊ったことのない人もいれば、県外出身者でも大学などで踊ったことのある人がいる、ということですね。また、踊った経験を持っている人でも、8月の本番で踊ったことのある人は11人にとどまっていました。踊りの経験といっても、ほとんどの人が体育の授業だとか、大学のサークルで踊ったとか、そういうレベルなんですね。
──そのレベルでは物足りない?
……先ほども申し上げたとおり、市の職員は多くの市民から〝踊れるものだ〟と見られています。
──どういうふうに研修されるのですか?
有名連と呼ばれる、代表的な踊りのグループに所属する職員を選抜して講師となっていただきます。昨年は3人が講師になりました。女性が1人、男性が2人で、女踊りと男踊りを指導します。
さすがに市役所だけあって、阿波おどりは職員にとって当然持つべき基本的な「教養」なのである。当然、完全に習得していなければならないのであろう。
伝説の踊り手は今も
上記インタビューの中に出てくるシティプロモーションとは、徳島市の魅力発信事業のことだ。多くの自治体と同様、徳島市も将来的な人口減少と域内事業所の減少が予測されている。その対策として、さまざまな情報発信による戦略的プロモーションを展開しているのである。軸となるのは、①水都、②歴史、③阿波おどり、④特産品、の4つだ。
このシティプロモーションの話をきっかけに、もっと広範な話を聞きたいのならと、N女史からシティプロモーションを担当する企画政策課係長・Yさん(女性)を紹介していただいた。
──阿波おどりは、すでに全国区になるほど有名ですので、あえてプロモーションすることもないように思われるのですが、実態は違うのでしょうか?
Yさん(以下、太字部分同様) 400年の歴史を持つ阿波おどりですが、県外に行くと悲しいことに、徳島市ではなく阿波市が発祥だと勘違いされている方もおられるようなんです。そうした勘違いがないように、徳島市の阿波おどりをPRしていかなければならないと思っています。
──郷土愛の強さを広く発信していく狙いですね?
徳島市では、二十代の子でも、阿波おどり歴15年といった子がたくさんいます。踊りのために生活している、と言っても過言ではないほどです。ずっと小さいときから連に入って踊っているので、進学するにも阿波おどりをしたいから徳島に残って大学へ行くとか、県外の大学に行ってもやっぱり徳島で就職するとか。そういう方も少なくないんですね。
──阿波おどり歴という表現にも地元愛を感じますね(笑)。県外の人は知らない、阿波おどりについての、何というか……小ネタのようなものはないですか?
普段は静かな徳島も、4月くらいからだんだん盛り上がってきて、8月の四日間だけは大人しい徳島の人たちも、人が変わったように踊りまくっています。
(Yさんは、ここで、あっという顔になり、思い出したように話し始めた)
8月12日の午前零時から1時間程度、一丁回りという阿波おどりがあるんです。どこの連にも所属していない方で「虹」というグループがあって、踊り子3人、鳴り物7人の計10人の連です。その連のリーダーが四宮賀代さんという女性で、この方は現代の女踊りの原型をつくったと言われている方なんです。
──あっ、それは聞かないですね。
その伝説の女性が365日のうちたった1回だけ、徳島で踊りを披露するんです。その踊りを見るためだけに全国から熱狂的なファンが集まってくるほどカリスマ性を持った方なんですよ。どの協会にも属していないので、桟敷で踊ることはありません。もちろん、阿呆連ですとか、娯茶平ですとか、有名連の踊りもすばらしいのですが、この方の踊りも、ぜひ一度ご覧いただいたらと思います。私は個人的にこの方の踊りを見たときに鳥肌が立ちました。
阿波おどりは〝盆踊り〟の域を超えて、もはや伝統文化なのだ。認識をあらためなければならない。
ダイバーシティ(多様性)の本質
阿波おどりは、東京の高円寺や神楽坂、埼玉の南越谷といった日本国内にとどまらず、フランスのパリでも祭典が行われるなど、他地域・他国への輸出が活発化している。前述の四宮さんは、埼玉県南越谷市で毎年、踊りを披露しており、当地でも界隈ではカリスマ的な存在だという。
徳島の阿波おどりは、こうして外へ出張っていく一方、考えてみれば他者を受け入れることにも寛容なところがある。祭りが行われるときには必ず「にわか連」が設けられ、踊りたいと思えばだれでも参加できるように門戸は開かれている。阿波おどりがこれほど大きな規模になったのは、参加したいと思う者への壁を作らなかったからではないだろうか。
日本全国を文学旅行して知ったことの一つに祭りのシキタリがある。多くの地域で、その地域の出身者でなければ、祭りに参加できないとか、御輿を担ぐことができないといった、掟に出くわすことがある。そうした、ある種の排他性こそが、地方を地方たらしめているところもあるので、むげに否定するつもりはない。おらが村のことはおらたちで決めるんだ、という共同体意識は裏側で、掟を破れば村八分があるという風習を伴っていた。
組織における新人研修にみられるように、もしも徳島人の心根に〝阿波おどりを踊れるのなら、老若男女・LGBTQ・どんな人でも仲間である〟という考え方や感受性があるとすれば……ますます徳島が好きになってしまいそうになるではないか。実際、そうしたところがなければ、阿波おどりがここまで他県・他地域に広がる大きなお祭りにはなっていないのではないか、と思うのだ。
本作『眉山』では、物語の軸となる主人公の母親は東京・神田の生まれに設定されている。ちゃきちゃきの江戸っ子気質の女性を、徳島の物語に入れ込む必然性が読書中には理解できず、腹に落ちてこなかった。それが、こうして徳島の人の持つ受容性を体験したあとでは、そんな設定にも違和感がなくなる。おそらく、さだまさしさんも、徳島に対して同じ感慨を何かのきっかけで持ったのに違いない。
ただし、である。
上記のことは、以下のようにひっくり返すことではじめて、事の本質あるいは真理に近づくのではないだろうか。
〝出自や属性を問うことはないが、併し伝統文化を身につけなければ仲間とは認められない〟
無定見に、無条件に、仲間として認めるわけではない。そこを勘違いしてはいけないのである。
「踊る阿呆に、見る阿呆。同じ阿呆なら、踊らにゃ損、損」
有名な歌い出しも、そう考えると、なんだか深いよねえ。同じ阿呆であることが前提なのだから。踊る阿呆に、見るお馬鹿、ぜんぜん別なら、阿呆になろう。同じ阿呆と認められるには……。
なんてね。
初対面のH氏によるサプライズ
徳島では、旅の最後にもサプライズがあった。
そのサプライズは、地元・徳島在住の経営コンサルタント・Hさんがもたらしてくれた。
Hさんとは、このときが〝初対面〟だった。正確に言うと、以前に一度だけ仕事をしたことがあったが、その実態は徳島と東京との間で電話とメールをやり取りしたのみ。お目に掛かったことはなく、このとき初めてフェイス・トゥ・フェイスでお会いしたのである。そのような方に、思いがけないプレゼントをいただいたのだった。
それは、眉山の姿を撮影するのにベストな場所を求めて、あちこち彷徨っていた時のことだった。突然、脳裏にHさんが降りてきた。Hさんはカメラ好きだったので、眉山撮影のベストポイントを知っているかもしれない、と思ったのだ。
併し、知り合い程度の関係でしかないHさんに、こんな平日昼間に突然電話して、しかも仕事とは無関係の話題をぶつけて、はたして反応が返ってくるだろうか。。。
おそるおそる電話をすると、Hさんは何と「会いましょう」と言うではないか。そして電話口のHさんは、落ち合う場所として「和田の屋」を指定したのだった。
徳島には「滝の焼餅」という名物和菓子がある。
阿波(徳島)に蜂須賀家が入部した際、祝いの品として献上されたもので、400年間その製法は変わることなく、眉山湧水である錦竜水で作られている、という。和田の屋は、その名物和菓子を今に伝える名店なのだ。そして、和田の屋さんの奥庭には、眉山の湧水による「白糸の滝」が流れているのだった──
──本作『眉山』には、物語上重要なところで、小さな滝の場所を探索する場面がある。なかなか見つからなかったその場所は、やがて地元の人によって突き止められる。その場面の描写は併し、比較的あっさりしていて。。。
なんと言うことだろう! 和田の屋さんと、その奥庭にある滝は『眉山』の重要な舞台だった。Hさんは、その場所へ誘導してくれたのである。
今回、徳島の文学旅行を計画するにあたっては、テーマを阿波おどりの都市伝説を追うことに絞り込んでいた。なので、滝の焼餅については、うっかり頭の中から除外してしまっていた。眉山の滝(白糸の滝)についても、和田の屋さんの庭内にあるなんて・・・。
急な架電にもかかわらず、Hさんは「文学旅行」に反応して、サプライズを用意してくれたのだ。まさに「客人を尊ぶ徳島人」ではないだろうか。
ところで、徳島市は水都である。眉山が滝を作り、吉野川が流れ、瀬戸内海、紀伊水道、太平洋の三つの海に囲まれている。何が言いたいかというと、水産物が美味しいのである。
実は和田の屋さんへ行く前に、ランチで鱧(はも)を食す機会に恵まれ、これが感涙ものだった。鱧料理といえば、初夏の京都の料亭でいただきたいところ。だが、その京都で提供される鱧のほとんどが徳島産だという。一見さんお断りの敷居を乗り越えられない哀しさを思えば、風情に多少の違いがあるとはいえ、徳島の鱧料理を皆さんにお薦めしたい。ランチであれば、懐が痛むことなく、東京では決して味わえぬ滋味を堪能できる。このランチの店も、眉山のビューポイントをうかがったHさんに教えてもらったのだった。
和田の屋・本店には、さだまさしさんのお写真も飾られている。手入れの行き届いた庭には、冬になると黄花亜麻(きばなあま)が咲き乱れるという。その花は、明治期に来日して徳島を終の住処としたポルトガル外交官・モラエス氏が約100年前に植えたものとして、徳島の人には知られているそうだ。彼もまた客人だったのである。
今は3月末、お庭には清流の爽やかな空気が流れている。立ち働く店員とお客との間にも、穏やかな雰囲気が漂い、笑顔が絶えない。帰り際、和田の屋店主ご夫妻からお土産までいただいてしまった。気さくな店主ご夫妻との歓談には、名残惜しいものがあった。
Hさんとも別れたあと、教えてもらったベストポイントで眉山を撮影すべく、独り吉野川の北岸へ渡る。
幾つもの支流を集めて滔々と流れる吉野川の向こうに、ゆるゆると眉山が佇む。そのなだらかな姿は、徳島の穏やかな県民性を象徴すると言われることもある。低山とはいえ、山頂は市内を一望できる絶景ポイントだ。とりわけ夜景がいいという。
残念ながら、その日は、次の予定があり、夜を待つことができなかった。だが、つかの間の客人として、徳島で受けたもてなしによる離れがたい衝動を、眉山のまるい景観はさらに強くさせるのだった。
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