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7つの習慣のエピソードで感化されたところ

記事の最初にこう書いてあった。
『読んだ本の感想を書いてみませんか?』
それをみて、タイトルを変更し最近読み直している本の感想を書こうと思う。
地下鉄でのある男とその息子たちの話。
このエピソードはパラダイムシフトをすごく肚落ちさせてくれた。
努力よりも閃きなんだと思うエピソード。
頑張って思い込もうとするのではなく、自然と勝手にそう思うようになること。
新たな視点を得ると、まるで同じ景色が変わるような印象になる。
そのエピソードはこんな話。

ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。

 そこに、ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。

 しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気がつかない様子だった。子供たちとはといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性はそれに対して何もしようとはしなかった。

 私は、いらだちを覚えずにはいられなかった。子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。周りの人たちもいらいらしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか」と言ってみた。

 彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかい、もの静かな声でこう返事をした。

 「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと、、。たった今、病院から出て来たところなんです。一時間ほど前に妻が、、。あの子たちの母親が亡くなったものですから、いったいどうすればいいのか、、。子供たちも混乱しているみたいで」
その瞬間の私の気持ちが、想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。

「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」

 一瞬にして、すべてが変わった。

学校の価値とはパラダイムシフトの場の提供

人と関わるといいことがある。
それはそれぞれ各々の価値観があり、誰一人自分自身と全く同じ価値観の人がいないということだ。
それを知れることは新たな視点、事実を知るきっかけになる。
学校は教科書を読む場所ではなく、ましてや暗記する場所ではない。
人と関わることで、自然とパラダイムを変化させ、努力でなく閃きを得る機会を多数設けることが大事。
だがしかし、これをやればみんな閃きが起こるという一般解はない。
だからこそ、試行を増やす。
閃きの不可逆性で、一回気づいたら一生その視点を見れる。
だからこそ、やったことないことをやる。
もっともっと世界は面白いと知るんだ。

以上です。

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