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幽霊バス

 今日も、空っぽの席を運ぶ。
 ここは、大半山が占める田舎の町だ。昔は炭鉱で栄えた大きな町だったようだが、今では廃れて人口も減り、次第に若い人は出て行った。
 誰も通らない交差点で、律儀に信号を待って走る一台のバス……を運転をしているのが僕である。
 高齢者の多くなったこの町では、車と免許を手放したご老人たちが時々バスを利用していた。大体降りる先は病院。あとは、町で唯一のスーパーマーケット。
 それでも、時間の決まっているバスに乗る人は一握り。あとはタクシーを呼ぶ人の方が多かった。
「ご乗車ありがとうございました〜」
 まだ昼間の最後の客を見送った後、僕はいつも通り、山道のバス停へと向かった。
 もうほとんど使われることのなくなった山道のバス停。奥に行けば登山道もあるが、不穏な話も多く、地元の人すら近づかない。
 近々バス停を減らそうかという話も出ていて、所長が頭を抱えていたっけな。
 そんなことを考えながら、今日もまた誰も乗せずに帰るだろう。僕はそう思って、山道を走らせていた。
「……珍しいな」
 思わず出た言葉。
 山道の三つ目のバス停に、ぽつんと一人、立っていたのである。
 僕はバスを停車させ、ドアを開ける。その女性は、静かに上がって席に座った。
「発車します」
 僕は声を掛けてバスを走らせた。この辺りは一軒家すら建っていないのに、彼女はどこから来たのか。まさか、誰かの車に連れてこられてこんなところに置き去りにされたのだろうか──
 想像はここまでにしておこう。客の詮索は仕事外だ。彼女がどうしてあそこにいて、どこに行こうと自分には関係ないのだから。
「ピンポン……次止まります……次止まります……」
 え?
 思わず声が出そうになった。
 あの山道からいくつ通り過ぎた頃だったか、まだ麓に着いてもいないこのタイミングで、停車の合図が鳴り響く。
 押したのは紛れもなく、先程乗車した彼女だった。
 僕は困惑しながら、まだ山道の中にあるバス停へ停車した。確かにこの先には登山道があり、ここに降りてもおかしくはないのだが……彼女はどう見ても、山登りに来たような格好ではない。今どき白いワンピースを着る女性なんて、嫌でも印象に残ってしまう。
「ありがとうございました……」
 女性は支払いをする時に、かすれたような声で僕に言った。
 僕は返事の代わりに帽子をわずかに下げたが、彼女の様子が何かおかしい、と何かが僕に訴えた。
 そう、この先にある登山道は、自殺志願者が多いということで有名な深い樹海のあるところだった。もしかして、という考えが過ぎったが、ただのバスの運転手が、彼女に出来ることがなんなのか分からなかった。
 彼女はゆっくりと、車道の端を歩き始めた。歩道もないここは本当に人が歩いているだけで不似合いな感じだった。僕は、ギアを切り替えてバスを飛び降りた。
「あの!」
 女性は僕の声に驚いたのか、振り向いた。表情が見える程近くはないので、どんな顔をしているかまでは分からない。
「この先危険なので……」
 呼び止めて、どうするんだ。僕は考えながら考えをまとめようとした。
「えっと……どうか、お気をつけて……」
 言えたのは、それだけだった。
 彼女がこれからどこへ行くのか、僕には関係のないことだった。だったらこんな言葉、掛ける必要もなかった。
 すると彼女は、深く被った帽子を外し、こちらに向かっておじぎをした。
「ありがとう」
 声は聞こえなかったが、なぜかそう言われた気がした。と次の瞬間風が吹き、帽子が脱げそうだと手で抑えた。
「あれ……?」
 そして彼女の姿は、跡形もなく消えていた。

 後日、彼女は数年前にあの場所で自殺をした女性であったことが判明した。その日もバスに乗っていて、あの登山道に続く樹海へ向かったのだと。
 もう亡くなっていたのに、なぜ彼女は、僕に「ありがとう」を言ったのだろうか。この町はもう十年も昔から廃れていて、バスに乗る人も、あの山道を歩いている人もいなかったはずだ。
 彼女は、誰かに止めて欲しかったのだろうか。それとも、誰かに気にかけて欲しかったのだろうか。
 それ以降、会社の方針でバス停は減らされ、バスは山道を通らなくなった。
 白いワンピース姿の女性が乗ることも、なくなった。

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