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私のきょうだい児カミングアウト法

お久しぶりです🥲中々投稿できず、前回から2ヶ月近く空いてしまいました💦
実は母のことを書こう!と思ったのですが、中々まとまらず...さらに実習も重なり、ずっとnoteを放置してしまいました...

そんなお久しぶりの今回は、母の話をお休みして、きょうだい児カミングアウトについて書こうと思います。私が弟の障害について、周囲にどのように伝えてきたのか。年齢ごとに振り返りながらまとめていきますので、読んで頂けたら嬉しいです。

小学生時代

私は今まで、なるべくきょうだい児だということを隠さずに過ごしてきました。だって私もでぃーちゃん(弟)も何も悪いことしてないし、一体何を隠す必要があるのよ⁉︎って感覚だったのです。その起源は恐らく小学生時代にあるかと思われます。

うちのでぃーちゃんちょっと周りと違くない...?と気づき始めた小学生の頃は、何も考えず「なんかご病気があるっぽいの」と自分から伝えていました。

有難いことに小学生時代は周囲の友達もその保護者の方も優しい人が多く、偏見や差別を向けられることはあまりありませんでした。学校の先生も、良い意味で何も触れないでいてくれた人ばかりでした。

きょうだい児の中には、学校の先生から「お世話してて偉いね」「お母さんを助けてあげてね」と声を掛けられ、プレッシャーを感じて育つ方もいるそうです。

カミングアウトとは離れますが、私も弟の友達の保護者の方(関係性が遠い)から何度か言われたことがあります。その当時はきょうだい児としての自覚があまりなかったので「なんか褒められたんだけど、わーい」くらいの感覚でしたが、大人になり福祉の道を目指してからは、少し影響受けてるのかな?と感じます。

そんなこんなで小学生時代はカミングアウトの悩みとは無縁の生活でした。「うちのでぃーちゃんほんとかわいいんだよー!」と布教して回ってたくらいです。そのメンタルの強さ、どこに捨ててきたんだってくらいには今信じられないです。

中学生時代

中学入学時に引越しをし、交友関係がリセットされました。その際母から「弟のことは言わないように」と口止めをされます。

母としては私が虐められたりしないようにと気を使ってくれたのだと思います。しかしその時、でぃーちゃんの障害はみんなに受け入れられるものではないのだと悟りました。

それでも仲良くなった子達には話の流れでカミングアウトをすることもありました。例えば「弟くんどこ小〜?」と聞かれて、嘘をつくのが嫌だったので「障害があって特別支援学校っていうとこに通ってるんだよねー」と答えたり。それを聞いてすんなり納得してくれる子もいれば、やっちまった?!という顔をする子、中には堂々と「弟の面倒死ぬまでみなきゃいけないなんて可哀想」と言い放つ猛者もいました。

小学生時代に甘やかされ慣れていたので、カルチャーショックでした。今なら多分殴りかかってますが(物騒)思春期真っ只中のか弱い女子でしたので...(か弱い女子は発想がこんなじゃない)笑って誤魔化しながら、帰ってお風呂でひとり泣きましたね。こんなこと誰にも言えない...と家族の前では元気な振りをした、しょっぱい思い出です。

高校生時代

中学を卒業し、また新たなスタートです。知り合いはわずか1人。この高校3年間の中で、私は新たな学びを得ます。

それは「変に隠そうとするからバレた時気まずいんじゃん」という開き直りです。もちろんこれは当時の私がただ謎の無敵期間に入ってただけなので、誰にでも当てはまるわけではないと思います。それでも当時の私は「障害のある弟がいる姉」ではなく「めっちゃブラコンのやばいやつ」という立ち位置を得れば安全なのでは?と無意識のうちに悟っていたように思います。

「弟に障害があるからお世話してて、昨日も大変で...」ではなく、「昨日うちのでぃーちゃんこんなこと出来てさ、ほんと可愛くってー」という話ばかりしていました。酷い時は自分の昨日の夕飯八割がでぃーに食い尽くされた話もしました。

原理的には、推しの芸能人を布教する感覚です。「私嵐が大好きで、ファンクラブにも入ってて〜」という友達に、嵐の悪口を正面から叩きつけるような性悪人間中々いないですよね。いたら価値観の不一致でお別れするまでなので、それはそれでダメージ少なくなりますし。

そのように過ごしていると、周囲の友達から酷いことを言われることはありませんでした。
ただ、これもカミングアウトとは離れますが、クラスの男子が障害に関する差別用語を平然と放っているのを聞くのはしんどく感じていました。別に私の弟のことを知っている訳でもないし、明確な悪意がある訳でもない。ただお年頃だからちょっとかっこつけたいだけ。そう理解していても、弟やその友達のことをバカにされているように感じて。

その時は直ぐに担任の先生が対処してくれたので直ぐに収まりましたが、カミングアウト以外にもショックを受けることがあるのだなぁと感じた出来事でした。

大学生時代

大学は福祉系大学に入ったので、障害についての理解がある人がほとんどで、差別用語なんて4年間で1度も聞いたことがありません。精神的にかなり楽になりました。

それでも、高校の頃に悟った「推しを布教するようにカミングアウトする」法は続けていました。それに加え、入学時は「関係が築かれる前にカミングアウトを済ませてしまえ」という新たな技を身につけました。

大分仲良くなった後に否定的な反応を見てしまったらショックが大きい。でも、まだ仲良くなりきってない頃なら「この子とは価値観が合わなかった」と割り切ることができる。そう考えました。

それでも、何人かはタイミングが合わず、仲良くなってからカミングアウトをした子もいました。その中には例のやっちまった顔をしつつ「あ...ごめんね...」と申し訳なさそうに謝る子もいました。その子が優しい子だからと言うのは理解しています。でも「障害」を理由に、弟のプロフィールを聞いただけで謝らせてしまうというのはショックでした。それだけセンシティブな内容なのだと突きつけられたような気がして。だって障害のないきょうだいの話だったら謝らなかったでしょう?私の弟に障害があったから、それだけで「聞いてはいけないこと」になってしまう。世間の障害に対するマイナスイメージはまだまだ消えないのだと感じました。

まあ中には「うちのでぃーちゃん小さい時メロンパンしか食べなくてさー」という話に「お前の弟のチョイス謎すぎて笑うわ」と返してくれる子もいます。私のブラコン話に仕方ないなぁーという顔をしながらも暫く付き合ってくれる子もいます。障害支援の道を目指していて、自閉症やきょうだい児について聞きに来てくれる子もいました。中には「実は私も...」ときょうだい児カミングアウト返しをしてくれ、より仲良くなれた子もいました。

 カミングアウトをすることで傷ついたことも多かったけれど、きょうだい児として生きてきたことが活かせたり、人から貰った優しさに気づけたり、人との繋がりが増えたりと嬉しかったことも多くありました。

まとめ

ここまでさもカミングアウトをした方が良いように書いてしまっていますが、当たり前ですがするしないを決めるのはきょうだい児達本人の自由です。

きょうだいの障害について周りに言えなかったり、嘘をついてしまったりしても、罪悪感を感じる必要性は全く無いし、周りが「なんで隠したの?!」と責める資格はないと私は思います。

きょうだい児の中には同じ学校に通っていて、きょうだいのパニック対応のために先生から呼び出しを受けたり、きょうだいのこだわり行動や障害の影響で虐められたりといった経験をした方もいるそうです。

学校外でも、一緒に歩いているだけでジロジロと周りから見られる、差別や偏見の言葉を向けられるなど、きょうだい児ならではの悩みもありますし、私もそれは経験があります。

カミングアウトが出来ることだけが決して正しいことではないのです。大切なことは、「きょうだい児本人がどうしたら生きやすくなるか」だと思います。私はたまたま自分から発信していくのが楽だっただけです。

障害とは関係なく、家庭以外の場所ではきょうだい児じゃない素の自分として過ごす方が楽だと感じる人なら、カミングアウトをしない方が良いと思います。

同じきょうだい児でも、育ってきた環境、経験してきたこと、感じるものは一人ひとり違います。言うも言わないも、その人の自由です。周りが強制することでも、ましてや自分自身で「言わなきゃ...」と思う必要は全く無いのです。

ここまで読んで下さりありがとうございました!次回もまた読んで下さったら嬉しいです😊

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