unknown emotion

絶賛卒論に追われる大学4年の夏休み。
自分の発見を一般論に落とし込まなくてはいけないという難題に私は頭を抱えていた。
そもそも自分のなかに「これが普通の/一般的な考え方である」が軸として存在していないから、どんなに頑張っても自分の言っていることが正しいと思えない。だれかが本や論文で主張していることはこのプロセスを踏んでいるはずだから、たぶん正しいのだろうと思う。
そもそも、世の中の意見なんて基本的には「わたしが××と思う」という解釈でしかないのに、主語が「わたし」の時点で私の意見であり考え方であり解釈でしかないのに、どうしてそれを「一般的には」という主語に置き換えることが出来るだろう。

わかっている、論文で正しさが求められるのはそのソースの正確さであることぐらいは。
だけど今思えば、私はいろんな物事に対してどのような感情を引き出すか、周りの「正解」を照らし合わせて決めていたように思う。

だから、初めての映画を観たときそれに対してどんな反応をすればいいのか、わからなかったりする。誰かが褒めていたりけなしていたりすると、その作品の立ち位置がわかって、それに対する自分の反応の仕方も決まる。ほとほと嫌になるけど、こんなの予想外の被災に対して「想定外でした」っていう政治家とあんまり変わらない。「どう反応すればいいのかわからない」を超えて、面白いとか悲しいとかを引き起こすものは、たぶんすごい映画なんだと思う。
分からないことが多すぎて参ってしまうよ。

普通に、ってどうすれば出来るの?

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