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俺は他人

 自慢でも自画自賛でもないことを前提に言うが、俺は人に優しい。言い方を変えれば人に甘い。これは19年かけて培った俺の性格なのだ。

 幼少期から両親の仲が悪かった。父が仕事から帰ってくるとすぐに母への文句、怒号、俺たち子供への説教、溜め息、舌打ち、ヤケ酒。今思えばとんでもない父だ。高校教師というストレスの溜まる仕事とは言え、そのストレスを家で発散するのは他の3人からしたらそれもまたストレスであった。俺と姉、特に母は常に父のご機嫌伺いといった様子で日々の生活を送っていた。間違いなく家族の在るべき姿ではない。そんな父だから、母はよく父と口論をしていた。耐えられない程の大声で両者とも正論を口に出す。正論同士のぶつかり合いなのだから、終着点はない。その日は収まっても、また時間が経てば同じことで同じような言葉を使って口論をする。姉は特にそれについて口を出すことはなく、黙々と宿題に取り組んでいた。そんな姉と違い、俺にはその状況が耐えられなかった。俺は平和主義者にかなり近しい考えを持っている。できるだけ人の悪口は言いたくないし、誰とも喧嘩したくない。自我を押し通して誰かとぶつかり、関係が悪化するのなら自我を殺し、相手に合わせてその関係を維持するように努める。だから俺は、両親の喧嘩の中に自ら割って入り、両親を宥めて喧嘩をやめるように説得していた。俺はその時決まって母に訴えるようにしていた。理由は、喧嘩の発端の言葉をぶつけるのは決まって父だったからだ。父が発する不満を母が1人で受け、それに対して反論するというのがほとんどであった。だから父に何を訴えかけても意味がないし、さらに激昂し、母や俺、姉に暴力を振るう可能性があった。

 そんな日々を15年も続けていると、自然に揉め事や喧嘩の種になりそうな言葉を避けてコミュニケーションを取るようになっていった。それを続けていると自然に「優しいよね」「文句を言わないから何でも言いやすい」などと俺にとっては全く嬉しくない言葉を貰うことが増えた。俺は何もイェスマンに徹しているわけではない。NOと言いたい時は理由を言い、できるだけ相手を不快にさせないように断っているだけだ。そして、人に嘘をつかないようにもしている。何か相談事があった際には思っていることを素直に言う。勿論それも言葉の選び方には細心の注意を払い、できるだけ相手が傷つかないような言葉を慎重に選択してから相手に投げている。

 俺は何か行動を起こす時に、自分のために動くことができない。思考の段階で自分にスポットライトを当てられないのだ。だから、「これをしたら彼女は喜んでくれるだろう」とか、「これをしたら彼が嫌な顔をするからやめておこう」などといった、他人を中心とした思考から来る行動を取りがちだ。取りがちと言ったが、全ての行動はそれに当てはまる。そうでない行動はご飯を食べる、寝る、お風呂に入るなどといった生活に必要な行動くらいだ。俺は気づいてしまったのだ。俺は俺のために時間も体力も心も何も使えていない。俺が手を差し伸べた相手は悩みが解決し、スッキリした気持ちで自分の目標に向かって努力していると言うのに。

 ああ、俺はなんて惨めなんだろう。他人の事ばかり気にかけて、他人にばかり時間を割いて。自分の心のキャパシティはとっくに超えていると言うのに。自分が壊れるまでそれを続け、鬱というわかりやすい状態になってようやく気づくのだ。「ああ、俺は壊れていたんだ」と。

 なんて愚かで、不器用なんだろう。いつか自分の事を一番に考え、今より少しは自己中心的な振る舞いができるようになるだろうか。もう少し楽に生きていけるようになるだろうか。否、それはかなり難しいだろう。19年もの間、特に意識する事なく取ってきた選択や思考をたった数年で上書きすることなどできるはずがない。俺はこれからずっと他人を中心とした思考をし、行動をとり、言葉を発するのだろう。悲観するのはやめよう。とにかく今は自分に向き合わなければ。俺が本当にしたい行動をとろう。俺が本当に言いたい事を言おう。自分は、俺しかいないから。

 恋人が俺にLINEメッセージでこう言った。
「君は愛が重い。一途すぎる。
    もっと分散して。楽になって。」
と。これは俺に対する苦言ではない。彼女なりの俺への警鐘であった。最後の「楽になって。」という言葉で俺は気づいた。俺は苦しかったんだと。俺は人に依存する事で楽をしているつもりだった。全くに逆であった。俺は自分で自分の首を絞めていた。彼女には感謝しないといけない。俺が見ようともしなかった僕の核心を容易く見つけ、突いてくれた。俺の最大の理解者であってくれている。

もうやめよう。人のために生きるのは。
俺のために生きよう。そうして、「人間」に
近づこう。

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