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未知との遭遇

私は、限りなく宇宙人に近い人間に出会ったことがある。

それは、とある日のバイトでのこと。
バイトの詳細はここでは曖昧にしておくが、接客業をイメージしてもらって構わない。
私がレジを担当していた時間に、一人の女性が私のもとへやって来て、俯きがちにゴニョゴニョと何やら言葉を発した。
見たところ60代。その年代特有の淡い色の木綿生地の服を着ており、杖をついている。眼鏡をかけていて、髪は乾燥したぱさぱさとした手触りが一目で伝わってくるようだった。

「はい…?」

女性の言葉が聞き取れなかった私は、気持ち腰をかがめ、片耳を女性の顔に近づけるような姿勢を取った。

「ごにょごにょ…この、ごにょ、PayPayの…ごにょごにょ…」

相変わらずもごもごとはっきりしない口調だったが、辛うじて聞き取れたPayPayという単語と、スマホでPayPayの画面を出していることから、私は即座に、PayPayでの支払いができるかどうかを聞きたかったのだと判断した。

「あ、PayPay!はい、お使いいただけますよ!」

少ないヒントから答えを導き出せたという達成感に、私の気が緩んだその瞬間。
彼女は突如、言葉を荒げて私を罵りだした。

「違いますこのPayPayのキャンペーンをここでやってんのかって聞いてんの!?こんなことも知らないわけ!?!?それって非常識すぎると思うんですけど!?あんたなんなの!?人としてどうなのよ!?非常識すぎますよ!!」

私が言葉を圧する隙も与えず、かなり不快な語調と声質で一息にこう言い放った。
私はその予兆のない豹変っぷりに一瞬何が起きたのか理解できず、しかし次の瞬間には本能的に体が強張った。

私の「PayPayお使いいただけますよ!」という言葉が引き金となり、彼女は頭からシュポー!!と激しく湯気を立てて沸騰しだしたのである。私の100%の親切心は見事に裏切られた。そればかりか、あろうことか彼女は明らかに私を標的に攻撃しにきている。

徐々にそのことを理解し始め、私の足はすくんだ。

「・・・申し訳ございません、こちら分かりかねますので、只今確認いたしますね。」
「あなたこんなことも知らないなんてほんっと非常識。普通このくらい知ってますよね?常識ってものがないわけ!?」

上司に確認を取っている間も、彼女は私を罵り続けた。
ちなみにそのPayPayのキャンペーンは実際に開催されていたものなのだが、あまりにマイナーなものだったので上司でさえもノーマークだった。
あー、PayPayのキャンペーンとかしっかり参加するタイプか…と内心毒づく。

「遅いです、さすがに遅すぎます、早くしてください!?」
「すみません、只今確認中ですので・・・」
「私、障害者なんですよ!?障害者を立って待たせるわけ!?」
「…あ、では椅子をお持ちいたしましょうか?」
「…そうですね!?ええその方がいいかもしれませんね!?」

杖を高らかに掲げた彼女に椅子を差し出したが、彼女は一向に座らなかった。
・・・いや座らないんかい。

今考えて見れば、「障害者を立って待たせるわけ!?」というのは、本当に椅子が欲しいわけではなく、確認が遅いことに対する最大限の皮肉だ。
混乱していた私はそれを言葉通りの意味で受け取り、バカ真面目に椅子を持って行った。きっと彼女も拍子抜けし、調子を狂わされたことだろう。珍プレーであり好プレーである。

その後、上司からの返答を伝え、彼女はプンスカしながら会計を済ませた。
帰り際、彼女は店内にいた夫婦におもむろに杖を向け、「マスク!!!!」と怒鳴った。私はここにきてやっと、彼女をまともじゃない人だと認識することができた。そして途端に、罵られ、人格否定までされたことに対する怒りが湧いてきた。
私は彼女に罵られた時、なんでお前に人格否定されなきゃいけないんだよ、とは咄嗟に思えなかった。
なんだか間に受けてダメージを喰らってしまった。それが後になってどうしようもなく悔しい。
彼女が去った後、バイト仲間に「めっちゃむかつきましたよ〜」とか強がっておちゃらけてみせたけど、実際怖かった。
だってあんなに感情剥き出しの大人、いないじゃん。
未知との遭遇だった。宇宙人に遭ったかのようだった。遭ったことないけど、遭ったらこんな感じなのかと思った。

彼女が怒った理由を考えてみる。
彼女は私に質問をし、私がそれを理解できず(というか聞こえず)勘違いしたことで、激怒した。一発で相手が要領掴むことを前提とし、それが出来ないから「なんで分からいないの!?」と怒りをまき散らす。ここにはある種の甘えがある。この種の甘えは誰しも身に覚えがあると思う。いわゆる「どうして私のこと分かってくれないの?」である。ただこの人が厄介だったのは、初めて出会った赤の他人に高度な理解を要求する割に、その説明には伝えるという意志と表出が明らかに足りいてないことだ。あまりにも伝える気がなさすぎて、意図的なのかとさえ思えてくる。怒れる理由を探しているんだろうか。だからあえて伝える気のない言葉を発して、相手がそれを理解しなかったという名目で激昂する。だとしたら、彼女は日常的に、正当に他人に怒りをぶつけられる理由を探し回った上、ついにその最短距離を導き出したのかもしれない。私はまんまとその手に乗せられたのだ。

でも、そこまで彼女を怒りに駆り立てる理由ってなんなんだろう。だって怒るのって疲れるじゃん。私は大学生になって、怒るのを諦めた。よほど自分のポリシーに関わるようなことじゃない限り、怒りの感情は湧いてもそれは瞬く間にショボショボとしぼんでいってしまう。世界のあらゆることに対して怒りを抱いていたかつてが懐かしい。

見ず知らずの他人に甘え、独善的に当たり散らす大人ってどんな生活をしているんだろう。別にこの話を社会の問題に還元するつもりは全くないけど、単純に気になる。こういう人にも、愛する人や、家族がいるんだろうか。どういう人生を歩んで、何に傷ついて、今ではああやって人を傷つけているのだろう。

そうぼんやりと考えながら自転車で家に帰って来ると、近所に住む元路上生活者の男性が自宅の前で立っていた。
彼は、数年前に亡くなった母から引き継いだ一軒家がある。それなのに、かつてのように毎日同じレインコートを着て、小さなキャリーケースを片手に何時間も家の前に立っているところをよく目にする。

彼にも、そこに至るまでの彼の人生があったのだ。

私にはそれを想像することしか出来ない。


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