エスカレーターの記憶と別の何か

下りのエスカレーターに乗れないという、女の子と付き合ったことがある。上りは平気なのに。
はじめて聞いた時、冗談だと思って乗せようとしたら、トートバッグの肩紐が切れそうなほど抵抗されたので、これは本当だと思った。
「足を踏み外して落ちそうになる」
二十歳そこそこの女の子が、真顔でそう言うのだった。
だから僕は彼女と一緒に、何本もの階段を下った。特に健康にはなっていない。

ある駅に改札へ向かう長い階段(もちろん隣にはエスカレーター)があり、下り切ると右に券売機、左に折れるとパン屋があった。彼女はそこでよくメロンパンを買った。そして改札内のベンチに座って、ホームへの下りエスカレーターに乗っていく人たちを観察した。
「何であんなにスムーズに乗れるのか不思議」
彼女はそう言いながらメロンパンをほぐほぐと食べた。さっき夕食を済ませたのに、なぜそんなものを食べられるのか、そっちの方が僕にとっては不思議だった。けれど口にはしなかった。大切なことも、ほとんど口にしないまま僕らは別れた。

もし彼女が下りエスカレーターに乗れるようになっていたら、誰かのおかげだろう。
まだ乗れずに階段を下っているとしたら、誰かの工夫が足りないのだろう。僕は何も知らないまま暮らしたい。
そう出来るのであれば。

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