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思い出のかけら【後編】久々に故郷に帰ったら家が無くなっていた話

【前編】はこちらです↓↓↓


2009年3月、久しぶりに生まれ故郷である北海道の釧路に帰ることになった私は、当時ニュースで話題になっていた、ラッコの「クーちゃん」に会えるのを楽しみにしていました。

 
クーちゃんは、2009年2月に北海道東部の釧路川に出現したラッコである。
 
2009年2月11日に、釧路川にラッコが出現したことが釧路新聞によって報じられたことが出現の一報となった。ラッコが釧路市付近で観察されることは珍しく、また都市内の河川に現れたこともあり、観察しやすいことから人気者となった。出現して数日内に釧路川にちなんで「くぅちゃん」「クーちゃん」などの愛称が付けられ、出没地点の幣舞橋近辺では見学客が多数出る事態となった。

クーちゃんは、そのまま釧路川に滞在を続け、見学の観光客も増加した。釧路市では、これに便乗し観光PRのために4月29日に、クーちゃんの特別住民票を発行し、特別観光大使に任命、釧路市観光協会も感謝状を送るイベントを実施している。

(Wikipedia「クーちゃん」より)

幸いなことに実家のある「パブ ペンギン」は幣舞橋(ぬさまいばし)から徒歩でも行ける距離なので、まずは帰ってひと休みしてからクーちゃんに会いに行こうと思っていました。

ところが、肝心の帰る家が無くなっていたのです。

母の目が悪くなり、店を畳んだとは事前に聞いていたのですが、さすがに建物が無くなっているとは思いませんでした。実家にはおそらく私個人の物も少しは残っていたはずですが、きっと瓦礫と一緒に処分されたのではないかと思います。

母に連絡したところ、隣町の厚岸町に居るということで、近くに住んでいる祖母と合流して一緒に厚岸へ向かう流れとなりましたが、私自身の心の整理もあり、もう少しだけこの場所に残ると伝えました。

ちなみに、この事に対して私が文句を付けるのは筋違いです。変化を求めて街を飛び出しておきながら、生まれ育った場所だけがいつまでも変わらないで欲しいと願うのは、人間の傲慢だと思うのです。

そして私は何も無くなった場所で、記憶の跡をなぞるように、ぐるぐる歩きながら思い出を振り返っていました。その時、

「あなた、ここで何をしているの?」

通り掛かった女性は、母よりも少し年上の雰囲気で、見慣れない男が空き地でウロウロしているのを不審に思ったようでした。

「昔、ここに住んでいたんです」

私は怪しい人間だと思われないよう、ゆっくりと落ち着いた声で、その人の目を見てそう言いました。

「もしかして、先生のお孫さん?」

女性の言う「先生」が祖母のことを言っているのだと、すぐにわかりました。この場所は以前は手芸店を営んでおり、当時は祖母の編み物教室の生徒さんがよく店に訪れていたのです。

「はい。これから祖母と会って、母のいる厚岸に行くところです」

「そうなの、先生もお元気そうで良かった。どうか先生によろしくお伝え下さいね」

去ってゆく女性の背中を見送って空を見上げると、少しずつ細かな雪が降ってきました。


私もそろそろこの場を後にしようとした時、敷地の隅に、おそらく「ペンギン」の床板であろうコンクリートの欠片が、数枚だけ残っていました。せめてもの思い出にと一枚をポケットに入れ、他の欠片を一箇所に集めて花壇の脇に並べました。現在は父も母も弟も私も、それぞれがそれぞれの場所で独りで暮らしていますが、ひとつの家族が確かにここで寄り添って暮らしていた証として、せめて形に残しておきたいと思ったのです。


やがて雪の粒が大きくなる中、私は歩いて幣舞橋を目指しました。雪は次第に吹雪となり、人は私以外に歩いていません。それでもニュースの映像を見る限り、きっと川辺に行けば人がいっぱいいるだろうと思っていました。

…誰も居ませんでした。見物客も、お目当てのクーちゃんも。しかし私も東京から遠路はるばる来ているので、また今度というわけにもいかず、寒さを我慢して粘ってみました。クーちゃんの姿が現れるのを待っている間に、だんだん顔に雪が積もってきます。猛吹雪です。

さすがに最後は寒さに耐えきれず、クーちゃんに会うのは断念しました。人も姿を現さないほどの吹雪ですから、ラッコが姿を見せないのも道理です。私は顔の雪を払いながら祖母を迎えに行き、一緒に母の待つ厚岸へと向かったのでした。


【あとがき】

今回の見出し画像は久しぶりに「みんなのフォトギャラリー」から、高梨さんのペンギン写真を使わせて頂きました。

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