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黒電話の前で泣いた、悔し涙の夜を越えて

キングコングのお二人が歌う『えんとつ町のプペル』を聴いていたら、何だかいろんな事を思い出してしまって、鼻の奥がツンとなるのを感じた途端、どこからやって来たのか分からない涙が少しずつ溢れてきて、零れ落ちたが最後、嗚咽が止まらなくなり、息がうまく吸えなくて、頭が痛いです。困ったな…。

そういえば、かつて家の電話が黒電話だった頃、夜に電話の前でよく泣いていたことを思い出します。父は単身赴任で、母は昼も夜も仕事を掛け持ちしていました。夜は割と早く寝ていたため、リビングの電話が鳴ると、子供部屋の2段ベッドから降りて、急いで電話の前まで走って行ったものの、ようやく受話器を取ったその瞬間に切れてしまった時のやるせなさ。

相手の方は、きっと留守だと思って受話器を置いたのかも知れません。もし私が電話に気が付くのが遅くて、ベッドから降りようとした時点でベルの音が切れてしまったのであれば、まだ諦めもつきますが、いつも決まって受話器を手に取った瞬間に、相手さんが電話の向こうで受話器を置く音が私の耳に聞こえる…つまり、厳密にはギリギリでタイミングは間に合っていて、実際に通話も繋がって居たのに、相手方がすでに受話器を置こうとして耳から離していたために、わたしの応答した声が届かなかったということです。

もし私が電話を取るのがあと一歩だけでも早かったら、もし電話の相手さんがあと1コールだけでも待っていてくれたら…考えれば考えるほど、まるで取り返しのつかない過ちを犯したかのような後悔が押し寄せ、いつも電話の前で悔し涙を流していました。

インターネットも電子メールもなかった時代、電話は離れた相手に緊急の用件を伝える唯一と言ってもいい重要な手段でした。黒電話はディスプレイも無いため誰からの着信なのかもわかりません。もちろん留守電機能もありません。その上、着信音も今のような優しい電子音ではないので、容赦なくジリリリリン、ジリリリリン、と大きく鳴るベルの音が、緊迫感をさらに増幅させるのです。もしも重要な用件だったら…もしも家族の身に何かあったら…と不安な気持ちが止まらず、母が夜中に帰ってくるまで電話の前からずっと動けませんでした。

現代はLINEやSMSもあり、もう悔しい思いをすることは無いと思いますが、仕事上では今も緊急に連絡を取らなければならない場面があります。大人になっても未だに引きずっているのか、電話を発信する時にはコールの回数を長めに待ちながら、その間に相手さんの置かれている状況を想像する癖がつきました。

もしかしたらその人の携帯電話がバッグの奥底にあって、取り出すのに手間取っているところかも知れない。あるいは会議中や運転中で、応答出来ずにいるのかも知れない。もしくは食事中に電話が鳴ってしまい、口の中のご飯を少しでも早く飲み込もうとしてくれている真っ最中なのかも知れない。

文明の利器は私たちの社会にたくさんの進歩をもたらし、黒電話の時代に比べると何もかもが便利になりました。しかし時代が変わり連絡の手段が変わっても、その向こうに相手がいるということ、そしてその相手さんの事情を慮ることを常に忘れずにいたいと思います。

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