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こんなにも甘いのに

「嫌いの上に大嫌いがあるとするなら嫌いでした」
別れ際、彼にそんなことを言われた。


茶色

「夢かぁ、自分の店を持つことかな。君は?…平凡な暮らし?はは、君は本当に面白いね!…では採用ということで、よろしくね」
彼との出会いはバイトの面接だった。ふわふわした茶色の髪、笑うと細くなる目、癖のある話し方。蛙のキャラクタースタンプで「お疲れ様です」と送られて、更に惹かれるようになった。あれは一目惚れだったと思う。


オレンジ

彼はよく1人だった。自分から交流を絶っているように見えた。盛り上がるようなお客さんや、彼によく話しかける女性もとことん避けていた。「だってうるさいじゃん」と言いながら、たまに話しかけてくるのが嬉しかった。

私がお客さん絡みでトラブルになり、閉店後の店で落ち込んでいたことがある。そんな時、オレンジジュースを作ってくれた。作る所作も手際がよくて見惚れていた。業務用の大きい紙パックに入ったオレンジジュース。どこにでも売っているものだが、彼が作ってくれただけで何倍も美味しく感じた。
甘酸っぱくて、彼みたいだ。と両手でグラスを持ちながら思った。


チョコレート

彼は突然店を辞めてしまった。店長に「お世話になりました」とだけ言って、その日から来なくなったという。辞める1週間前に、彼から食事に誘われていたので尚更驚いた。全員が彼を心配していたが、何度電話をかけても、どんなに連絡しても返信がないという。次第に気持ちが冷めていったのか、彼を気にかける人はいなくなった。気づけば元の日常に戻っていた。

その2週間後、私は彼に会った。
久しぶりに見かけた彼が、なんだか懐かしくて胸が切なくなった。
50cmくらいの高さあるチョコレートパフェを1人で幸せそうに食べていた。甘党だったことが発覚。辞めてから甘いものを食べ過ぎたせいで、体重が少し増えたと言っていた。生クリームをパフェスプーンで丁寧に掬う姿も可愛らしい。

「どうして他のスタッフの連絡を返さなかったんですか?みんな寂しがってましたよ。会いたがってましたし…でも、今日は私に会ってくれて、本当にありがとうございます。会えないと思ってたから嬉しい」
「別に興味ないから。だって会う約束してたの、藍良さんだけだよ」

私だけ。その言葉が、甘いリキュールのように染み渡り、数分間酔いしれた。「もうお店の人と関わる気がないから、外で会うこともこれが最初で最後ね」と念を押されたが、それでも楽しくて甘い幸福な2時間だった。何より『彼に会ったのは私だけ』という選ばれたことによる優越感に浸っていた。


黄色

電車に揺られながら最後の数分間を全身で噛み締めていた。ふと隣を見ると目が合った。彼が降りる駅まで残り3分。
「私のことは嫌いでした?」
さっきまでは辞めた理由と今後のことと、働いてた間の愚痴を聞いていた。話しかければ、彼が笑顔で対応していた人たちを「興味ない」と返したのが引っかかっていた。だから聞いてみたかった。今日ここで私に会いに来た理由を、もっと確かな言葉で証明してほしかった。

聞かなければ幸せなままだったのに、聞いた私は調子に乗って舞い上がっていた。迂闊だった。電車のホームで泣いた。他の人の視線なんて興味がなかった。

こんなにも甘いのに、どこからが嘘なのか。私は何も考えたくなかった。

彼が好きだと言っていた、黄色の薔薇を買った。
誕生日おめでとうございます。
私はまだ貴方を嫌いになれないです。

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