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絶望と祝福

2021年10月30日。私は20歳の誕生日を迎えた。正直なところ、こんなに生きてる自分が信じられなかったりする。頭を働かせ、文字を綴っているのは本当に私自身なのか…前置きはそのくらいにしておこう。


絶望を思い出す

私は絶望ばかりしていた。自傷行為に近いことも何度もした。愛とか言って、振りかざされた暴力も知っている。「奇跡も魔法もあるんだよ」という台詞に夢ばかり見ていた。

子供の頃、母親に首を絞められたことを思い出していた。

「どうして普通に育ってくれなかったの!」と、ヒステリックに泣き喚く浅黒い肌をした女の顔も。

私はこの人に愛されないのだ、と幼心に絶望した。手を繋いで歩いている家族が羨ましかった。家族が好き!と澄んだ瞳で笑う同級生達には、私の気持ちなんて分からないと冷めた考えを持つようになった。住居、結婚、子供、そんな話で頬を赤らめてる恋人同士が理解出来なくなった。誓いは永遠ではない。いつだって幸せを願った当人が幸せを壊すのだ。

私は絶望をたくさん食べた。もう生きたくない、もう終わってほしい、もう何もしたくない、もう何も欲しくないと血を流しながら考えていた。


祝福を考える

それでも、やっぱり総合的に考えたら私は幸せなのである。沢山の人に恵まれてきた。愛されたかった人には愛されなかったかもしれないが、私は私なりに母親のことを愛してる。傷つけられた過去は変えることはできないが、これからの未来は今の私がいくらでも変えることができる。一生かけても許せないと思うけれど、許せないものを無理して許す必要などないのだ。いつまでもその傷に固執して、自分の未来を暗くするような選択はもうしない。

首の手を離してくれたおかげで、私は大切な人に出会うことが出来た。生涯愛したいと思える人にも。美しい作品を観ることも出来た。音楽を深く愛する喜びも知ることが出来た。

きちんと絶望した人にしか祝福は訪れない。

私の人生における全ての事柄が、私に授けられた祝福なのである。

今はとても穏やかな気持ちでこの文章を遺し、過去の私と話している。最愛の人を想いながら、私を5年間ずっと守ってくれる兄の隣で。



オムライス

写真のオムライスは私の大切な兄が作ってくれた。兄といっても私は一人っ子なので、血縁関係がある訳ではない。簡単に言えばあだ名である。鶏もも肉100g、炊いたお米適量、ケチャップ適量、卵3個…何の変哲もない家庭的なオムライスだが、とても美味しかった。お腹と心が満たされる味だった。

私はそれを食べながら静かに泣いた。

舞浜に帰るための貯金に回します