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15年間私を無視してきた父親が倒れた


家族に苦手意識を持っている人は、案外いっぱいいる。

生みの親を悲しませてはいけない、家族は仲良くしないといけないと言われることが多いけど、親といることが苦しい人もいる。


 

そんな親が体調を崩して寝込んでしまったら、どうしたらいいだろうか。


おいそれと会いに行けない理由がある。

 

「実の親なんだから、帰って会うのがあたりまえ」
「親は大切にしないと」


そんな「普通の家族」像の押し付けに、ずっと苦しんできた。

 

 

 

実家を出て10年になる。

連絡先は母親のしか知らない。その母親とも折り合いがいいとは言えず、飛行機を乗り継ぐくらいの距離感がちょうどよくて、連絡も2ヶ月に一回LINEを一往復するくらい。そんな母親から、こんな連絡が来た。

 

「オヤジ(私の父親)の食欲がなくて、もう3日くらい何も食べてない」「病院に行こうと言っても行かないし、このまま死んでもいいの?と聞いても何も答えない。もし、nuiちゃんから電話してもいいと思えたら、オヤジに電話してほしい」
 

 

母と父は離婚の手続きの最中。

父親は今年で72歳になる、はず。なんか、ちょっと目の奥が熱くなった。何の涙だろう?私は悲しいのだろうか。

 

血縁上の「父親」は、人生の「お父さん」ではなかった。

沸点が低くて、無口オブザ無口で、自転車の練習のとき、間違って父親の足を轢いてしまい、キレられて2度と練習に付き合ってくれなかった。

 

キレられたことはあっても叱られたことはない。
「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」「ごめん」を言われたことがない。
「いただきます」「美味しい」と言っている姿を見たことがない。

晩ごはんに添えられたきゅうりの輪切りが蛇腹になっているのをつまみあげて、「きちんと切れてない」と茶化し、夜だったけどお母さんは家出した。大泣きする私の横で、父親はじっとテレビを見るだけだった。

当時のお母さんは父親を「反面教師」と言った。今は「アスペだ」と言っている。
人に共感ができなくて、協調性がなくて、マイペース。
歳の離れた上のきょうだいも父のことは好いていなくて、そんな家族の雰囲気から、「お父さんは普通のお父さんじゃないんだ」と思った。

 

小さい時はお父さんが好きだった。私が末っ子だからか。
酒に酔ったときは上機嫌でちゅーしてくる。
誕生日にはいつのまにか2人で遊べるおもちゃを買ってきている。
キャッチボールをしたり、髭をすりすりされて痛がったり、耳毛を抜いてあげたり、膝の上でジェットコースターごっこをしたり。逆に言えば、良い思い出は、今挙げたのがすべてだった。

私は父親似だ。過度に恥ずかしがり屋なところも、手先を動かす作業が好きなのも、父親譲り。
だからか、上のきょうだいよりはかわいがられていた気がする。

 

でも、気分屋でマイペースな父親に話しかけても、返事が返ってこないことが多かった。
話しかけても、構ってほしくても、テレビを見つめ続けてこちらを見ることもなく、やがて大きくなった私は腹を立てた。

 

お父さんのほうから振り向いてほしい。

 

父から話しかけられるまで、私から話しかけるのをやめた。

そして15年くらいが経つ。

 

勉強を頑張って学年で2番をとっても、進学で飛行機を乗り継がないと行けない土地に旅立つ日も、母が「何か言ってあげなさいよ」と促してもこっちを見もしなかった父親。

上のきょうだいが入院したときも、見舞いに行ったり声をかけたりしなかったらしい。
学校の卒業式に母がどうしても出れなかったとき、代わりに行ってあげてほしいと話しても父は行かなかったらしい。

保護者指名とか緊急連絡先はいつも母親の名前と電話番号にした。

今になって、母が家のことや役所の手続き、育児、自営業の経理関係など全てを一人でやっていたことを、本当の意味で理解する。

家族内に蔓延する、父親への怒りとか、嫌悪感。

 

 

話しかけられたのは、15年で2回だった。

高校の時に寝坊して遅刻確定のとき、「車で送るか」。
就職して初めての帰省のとき、「どこで働いとるんか」。

びっくりしたから覚えている。なんでそんな時だけ、そんな言葉をかけるの、と逆に苛ついたのを覚えている。

 

 

5年前、最後に父の姿を見たときは、見かけはかなりしぼんでいて老いを感じた。

最近は母とは別居して、母が離婚の手続きを進める中、父はどこにも出かけず誰とも会っていないと聞くと、一応医療関係の仕事をしている身としては行く末が予想できる。

 

いつか唐突に、葬式に呼ばれても不思議じゃない。

それでいいんだろうか。

その前に、父と話すことはあるだろうか。

どうしてもイメージが浮かばない。

 

きっと無言が続いて、父が返答しやすいように内容を選んだり、無視に耐えながら話しかけ続けたりするんだろうな。それは苦痛だな。それに今更何も話すことはない。

ずっとそう思ってた。

 

だけど、いざ父の不調の知らせを聞くと、少し鼻水が出てくる程度に目が潤んだ。

偽善かな?嫌いなのに。
怒ってたのに。
いや、好きだったから怒っていたのか?

 

誰だって、実の親から愛されたい。
好きだったのが、無視され続けて、裏切られたような気持ちがしていたんだ。

父には、自分の子を守りたいとか大切に育てたいとかいう気持ちがないんだなと、気づいたから怒っていたんだ。

 

母によると、父の父、私の祖父は、同じく父親らしくなかったらしい。

だから、父は愛され方、愛し方を知らないんだと。父親のお手本がないから、親としての在り方がわからないんだと。

 

 

母からの連絡のあと、今までの思い出とか怒りが入り混じって、でも放っておくのはどうなんだろうと思って(上のきょうだいは、放っておけと言ったらしい。だから母は私に、よければ父に電話してくれないかと連絡したらしい)、私はずいぶん悩んだ。正直苦しかった。


でも、涙が出たってことは、このまま何もせずにもし父の身に何か起こったら、きっと後悔するんだろうな。

 

私は母親と電話して、病院に行きたがらない父親をなんとか行かせる方法を話し合った。

次の日、母は私の提案をのんで救急車を呼んだ。
救急隊員の方も説得に加わって、父は病院に搬送されて入院した。胃腸系に問題があったらしい。

母は、病院の地域連携室の人と相談して、父の入る老人ホームを探すらしい。そして地元に帰る、と。

 

 

家族関係を誰かに納得される必要なんかない。

「連絡しないのは良くないよ」「親は絶対心配してるよ」と言ってくる人たちに、説明してわかってもらおうとしても、徒労に終わるだけだ。

彼らはなぜか、自分の理解できる範疇に私たちを収めようとしてくる。
どうして他人に、家庭の事情を納得してもらう必要があるのか。

 

私には、疲れ果て困り果てている母親の話を聞いて、思いつく限りの対応を提案することしかできなかった。それが精一杯だった。

帰るのに1日かかるし、ご時世柄、職業柄、簡単に帰れないという事情もある。

落ち着いたら、もしかしたら母と一緒に会いに行くかもしれない。
そのときは、同棲している彼も、とりあえず会わせられたらいいのかもしれない。

 

ひとまず、これが私が出した答えだった。

 

 

 

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