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豚汁家族

小さなお姫様を連れて家に帰ると鍋には豚汁があった。

これがちょうど20杯目の豚汁でした。

***

なんだかワクワクした1年になりそう、世の中にまだそんな空気感が漂っていた2020年正月。

私はこたつから出られず、ずっと寝ていた。
ぐずぐずと続く頭痛と胃痛に「おや?」と思い、病院へ行き妊娠がわかった。

思えば去年の10月の台湾旅行のとき、そのときは混迷を極める歯の治癒祈願のため行った龍山寺で、子宝祈願の文字を見て「子どもが欲しいな」とやんわり思っていた。

とはいえ、年末にコンペで勝ち取った案件があったり、去年力を注いできた案件がさらに広がるだろうというタイミングだったり、個人的にもやりたいことができるようになってきた時期だったので、望んでいた妊娠にも関わらず、正直「今か…」という気持ちがあったことは否めない。

うれしい気持ちよりも不安な気持ちの方が大きかった。
仕事もそうだし、ちゃんと育つのか、育てられるのか。

結果的には「今だったんだ」と思えるようになるのだけど、それはもう少し先の話。

はじめての健診の日、帰りに寄ったスーパーでいつものごとく「夜何にする?なんでもいいはなしね」なんて話していたら、「豚汁作ろうかな」と夫が言った。

それが豚汁のはじまり。

夫は家事をほとんどしない。お湯を沸かす以上の料理はしないし、自分のおしゃれ着しか洗濯しない。
料理をしたり、掃除をしたり、洗濯をしたりする旦那様が世の中にはいるらしいという話を耳にするが、うちにはいない。

最初の豚汁は2時間半かかった。

初期の健診は4週に1回。その間は毎回ドキドキした。健診は日曜日に行くことが多かったから、日曜の夜は豚汁になることが増えていった。
私の不安とは裏腹に赤ちゃんは少しずつ大きくなっていったし、夫の豚汁も毎週少しずつアップデートしながら効率よく作れるようになっていった。

並行して世の中の新型コロナの影響は拡大していった。

豚汁が4杯目になる頃、緊急事態宣言が出され、会社の出社禁止が決まった。
直前に慌てて近い上司、同僚に妊娠を報告した。
「うれしい」その言葉で、「ああ、うれしいことなんだ」と思った。

まだお腹は大きくもなっていないし、胎動もない。幸いなことにつわりもないから実感もない。
私の「うれしい」は、周りの人たちの「うれしい」「おめでとう」の言葉の積み重ねでの”納得”に近いものだった。

5杯目の豚汁は、静かなゴールデンウィーク中だった。唐揚げも作ってくれた。
去年のゴールデンウィークは、新婚旅行中だった。
あのとき20日間もずっと一緒にいて、こんなことそうそうないよなって思ったけど、出社禁止の影響で毎日一緒にいる。
来年はもう1人いる。子どもともいろんなところを旅行しようなんて話す。
胎動があったのもこの頃。

6杯目の豚汁の頃、女の子とわかった。
男の子のような気がしていたし、私が女の子らしい女の子ではないから育てられるのか心配になったりもした。
お義母さんがすごく喜んでくれたし、女友だちがおしゃれやメイクを教えてくれると言ってくれた。「恋愛のテクニックも教えてやってくれ」と頼むと「私が知りたい」と一蹴された。

出社解禁になり、取材などが再開し始めて、引き継ぎの焦りと体力の限界をはじめた頃、豚汁は7杯目に。

豚汁が9杯目になるお腹が目立ち始める。
友だちに会うときや会社に行くとき「この服ならお腹目立たない?」と聞く私に、「隠さなくていいじゃん」と夫は言った。

2人で過ごす最後の結婚記念日は、レストランでランチをした。
生まれてくる子どもともおいしいものを食べようと約束する。
帰りに誕生日プレゼントを買ってもらった。「これからがんばらないとだから」と、いつもより高いものを買ってくれた。

ランチで贅沢したので、夜は豚汁(12杯目)とだし巻き卵。少しずつおかずのレパートリーが増えているようだ。

豚汁13杯目の頃は、引き継ぎラストスパート。
時間も迫ってきているし、コロナ禍でできることも限られているし、任せようという気持ちになる。
各方面にコロナの影響が出ていたこともあり、はじめの頃感じていた「やりたかったこと」は少しずつ薄れていた。
引き受けてくれた人がどんな風に展開していってくれるか、楽しみに思えるくらいな気持ちになっていく。

「梨泰院クラス」にハマってた頃。

豚汁14杯目を飲んだ翌日、出社最終日。
夜、何人かが集まってくれた。
仕事をしない日々がどんな時間になるのか想像つかない。

豚汁16杯目。休みの過ごし方がわかってきた。
自分がいなくても仕事が動いていく様子を感じながら、ちゃんと引き継ぎできててよかったという気持ちと同じくらい、さみしい気持ちもある。いなくてもいい、と。うん、さみしい。

気分転換に最後のデートにランチへ。暑くて、もう外出無理だ。

17杯目。コロナで中止になってた親子教室へ。沐浴できる気がしない。
最後に取材したお店に寄ったら、記事をすごく喜んでくれてた。仕事で一番うれしいのは、こういうとき。すごいうれしい。

そうこうしてるうちに、もういつ生まれてもおかしくない正産期になる。
PCR検査。陽性だったら帝王切開になってたけど、陰性。コロナの影響で立ち会い、面会NGとのこと。
それはそれでまあいいかと。みんな心細いね、っていうけど。

激しい胎動が愛おしくなる。めっちゃ元気な子なのかな。

「生まれる前の最後の羽伸ばし」と、酔って帰ってきて二日酔いの中ご機嫌取りの18杯目。
思えばコロナで飲み会が少ない時期と妊娠期間が重なってよかったと思う。もっとケンカが増えていたはずだ。

19杯目を翌日に延期し、焼肉へ。陣痛が来るというジンクスがあるらしい。
生肉食べれない私の前で迷いなくユッケを食べたことは一生忘れないからな。

翌日、19杯目の豚汁を飲みながらこんな話をした。
「いつか子どもが生まれたら『お母さんはこんな仕事をしてるんだよ』って誇れる仕事をしたいと思って6年前に転職をして、6年間がんばってきた」と。
大切にしていたこと、居場所だと思っていたものが、勘違いだったのかもしれないと思うできごとがあり、打ちひしがれていたタイミングだった。

そんな辛気臭い親に喝を入れるかのように、その夜破水。
6時間49分後、大きな女の子が誕生。

予習をくつがえすスピード感ある展開と意外な角度からの激痛、すべてが後手後手のめまぐしすぎる入院生活。
とにかく生き抜かねば。誇り云々で打ちひしがれている場合ではない。

20杯目の豚汁は、娘がはじめて家にやってきた日で、おとうと対面した日。
どこもかしこも痛む体と新しい日々に戸惑う気持ちに、変わらない豚汁の味が沁みた。

おそるおそる娘を抱っこするぎこちない夫の手つきに比べて豚汁を作る手つきは随分安定感がある。
暇さえあれば娘を見にきて眺めている様子は、豚汁を作り始めた頃、鍋に張り付いて見ていた頃を思い出した。

***

これからは娘の成長とともにおとうの豚汁が重なっていくといいなと思う。お食い初めも誕生日も入学式も、悲しいことがあった日も恋をした日も。いつも豚汁と共にその日を記憶していけるといい。

我が家は毎週おとうの作る豚汁が大きなお鍋に入っている。
今週末は21杯目の豚汁をいただきます。

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