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本を読む人と読まない人

「私はビジネス書がうまく読めない。小説とかエッセイなら読めるのに」

そう同僚に話したら、だんだんと「なぜ小説やエッセイを読むのか?」という話になった。

ローストビーフをつつきながら、同僚は
「私は最近、昔読んだ江國香織の小説の答え合わせをしているようだ」と言った。

なるほど。いつか辿るストーリーを取り入れたり、これからやってくる人生の可能性を知るためにというのはあるかもしれない。

残念ながら私はすべてがとろけるような恋愛に身を捧げることも、しゃべるカカシや掏摸や誘拐を生業にする人に出会うこともなく、32歳を迎え、これからもなさそうだ。
(舞台の夢を追い続けるヒモ男や背骨がキレイな男の人には会えるかもだけど。背骨がキレイな男の人にはむしろ会いたい)

ではなぜ読むのか?

私の場合、そんなにアクロバットな人生を送っていないからこそ、日々を彩る“言葉”や“物語”を用意しておきたいんだと思う。
もしかしたら、なんてことのない人生もハラハラドキドキのミステリーになったり、一瞬の出会いが人生を変える出会いになったりするかもしれない、そんな人生を彩る“言葉”や“物語”を探しているのだと思う。

本を読むという話でいうと、本を読んでいる人の文章と読んでいない人の文章はすぐわかる。

私はコラムの編集を担当しているが、その2人の文章は読むたびに、文字数以上の奥行きと自分の知識の浅さを痛感する。

単語のセレクト、言い回しのひとつひとつを分解することは野暮なことなのでしないけれども、Wordに打ち込まれた言葉以上の世界を感じられるのは、私がこれまで読んできた本、集めてきた“言葉”や“物語”に反応しているからなんだと思うのです。
同時に、もっと本を読んでいれば!もっと世界を知っていれば!もっと深く知れたのかもしれないのに!もっと奥まで行けたのに!と、悔しくなるのだけど。

自分で文章を書くこともあるので、そういう文章を書きたいなあ〜と思うけど、そこはまた違う筋肉を鍛える必要があるようだ。


と、小説やエッセイしか読めなくても学びは大いにあるよ、というアピールをして、ビジネス書が積まれていくことを正当化している読書の秋です。

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