やいば

aiさんのお題は夕立に失った夏祭りです

タトとヒになりたい。まだ生きている。生きている証。夕立は訪れない。夕暮れも訪れない。日暮れはまだ来ない。

生きる気力ももう残されていないの???

世界のテレビをシャットダウンしよう。いつか君に届くと信じて。

あーあ。何も悩むことなんてなかったのに。ね、あーあ。私は恋した。でもその人もきっと何かに恋していた。反芻思考になる前に、自分から飛び込んでいく。確かそう、あの記憶は、逃げ出した。人の眼を掻い潜って、誰より人目を気にしていたのは心の世界で、多分私がそうだった。頭がいい人もたいへんそうね、なんて。雨は降らなかった。ただ曇っていたような気がする。晴れていたような気もする。人混みが多い。子どもの群れ、はしゃぎながら。愛しく愛でる。車の中で筆記した。誰にも会いたくなかった。可哀想だなと思った。今は?今の私は?今は布団にごろーんして横になっている。

あの日は確かTwitterで詩人のBotツイートを見ていた。そしたらいつもの不安癖でどんな人が見てるのかなっていいね一覧ボタンを押したら、彼がいた。しばらく新しい玩具を見つけたときのように面白がって夢中になって見ていたし読んでいたのだけど、主に印象的なのは(記憶が歪められているかもしれないけれど)車内で夜出かけにいって座椅子に横になりながら膝かけをかぶってみたツイートの景色だった。4日とかくらいして、体感ではもっと長かったような気がするのだけれど、フォローした。その日はストロベリームーンとかっていって、恋が叶うとかの願掛けを含めた1日だった。調子に乗って、浮かれもして、勢いとお祝いのせいにしてそうした。意外なことに彼からはフォローが返ってきた。見られているという意識が嬉しかった。確かに自分のした選択がフィードバックとして返ってきた、平行世界線にいるような、単にネットの刺激に弱いだけの反応だった。その後はツイートを交互に掛け合わせて、というかなんだかその好きな人たちがするツイートや言葉はどれも自分のことを言われているようで、だからフォローしたわけだけど、メンタルの弱い私は取り繕って迎合するのを始めた。でも単純に面白かった。それだけ。浮かれ足だって、でもだんだん怖くなった。本当の自分を知られたら?恐怖にさいなまれた。それと同時にどんどんリンクする感覚に気が狂いそうになった。このままじゃまずいと、怖くなって辛くなって引き返した。回避性の行動だったかもしれない。あのまま溺れていてもよかった。だがそれをするだけの可愛いメンヘラ度合いの自負はなかった。それでもいっときの夢を見たかった…ってそれは、今の私の感想か(テヘ)。

わずか4日間のことだった。願望と現実の狭間で板挟みにされて痛かった。足りてないのはwhat思考の具体性だなと思った。最後に別れの言葉を送った。少し妄想していた。「ここでこの人が止めてくれれば…」とか「連絡先を交換してくれないかな…」とか今思えば身勝手な話だった。でも何事もなく、たった一言、というか一通の、一往復のやり取りだけで、意識的には終わった。喪失感。今でもわかる。あの晩は、たしかDM送った…貰った?のが18:00過ぎとか食後のちょうどいいタイミング(ベストかはわからないけれど)だったから、そのままリビングでメールを受け取ったり送った…ような気がするし、なんとしても、すぐその後、母親に泣きついた。悲しみアピールして、「今まで人生でこんな人いない、一番いいなって思ってた人と別れた」とかって、なかば自慢も含めたカバートアグレッションだったけど話した。

気づいたのはなんだろう。いつでもか、いつも通りか、ずっとストーカー行為(SNSチェック)していた。四ヶ月して話しかけ(…というかフォローという名のひどく相手のことを慮らなかったアピールをし)に行った。DM送ればよかったのかな。わからない。ただ彼の心を満たせるなら、乱せるなら、それがよかった。だめな子かな…ははは。身をひいたり押したりの繰り返し。彼はどう思っていたのだろうか。復縁はあり得ないのだと(別に付き合っているわけではないのだけど)なんとなく思った。身に染みて実感した。まだ諦めきれないとか気になるところがあってお墨付きのおもちゃみたいだった。君のいない世界はおもちゃみたいに見えたけれど、君のことをおもちゃみたいに扱っていたのは私の方なのかもしれない。猫かな。そんな可愛くもないんだけどな。

そして半年が経ち12月、年が明けて1月、彼がどうしているのか、家族と外へ出るたび、就労支援施設で担当のお世話になってる人と話をするたび、ここに、心の何処かの楽しみに君がいるなら、世界も変わって見えたのかな、なんてまた多分おもちゃみたいに考えていた。私が君を楽しませることはできない(自信がない)からと、でも何か返せることがあるかもしれないと一縷の望みにすがって、結果彼女になることなどはできなかった。当時や今の現状では明白なことだった。でも思いを伝えることのできないまま決めることは何一つもできないのだから、人生を紡ぐ糸から手を離してしまったかのような後悔の思いだった。フラワーパークに行けばカップルの集団がいて、子連れの若い夫婦を見て、彼はどんな風に、だろうかとかって考えては虚しくなっていたけれど、それが妙に涼風に心地よかった。多分今よりもっとわだかまりのような途中にあったのだろうけど。

もう4月だ。いつからか何ヶ月経ったかを数えるのをやめた。希望を持つから忘れられないのだ。半年をゆうに過ぎて、もはや4月だ。がんばろう。なぜだか、分析するつもりで解剖できてよかった。また別の視点で出会えたらよかったのかな。さぁ、今のあのままでも関われたことが奇跡だったさ、刹那の出会い、ね。ありがとう。

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