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地球でより良く生きるための知恵(インタビューwithセヴァン・スズキ②)

セヴァンとおしゃべりした内容、全文翻訳しました。5/7木曜日の「サステナ*デイズ」で紹介できなかった分も覚えておきたくて、ここに残します。

インタビュー①の続きです。

▶︎子どもたちはどうしてる?

 多くの親にとって家で親子で勉強することは習慣になっていないのかな。先生たちは、子どもたちがすべてから切り離されないように、コミュニティーとしてつながっていられるようにと本当に良く努力してくれてる。息子たちには、学校の先生から毎日のようにメールが来るの。ありがたいことだけど、うちではもう、思いっきりホームスクーリングを楽しんじゃおうって決めた。

 不便もあるけれど、家で子どもと長い時間を過ごすこと、ホームスクーリングが皆の当たり前になっているこの時間は、私にとってmagical - 特別な時間。長男は今10歳だけど、前を向いて長時間座って、ただ講義を聞くことがこんなに小さな子どもに求められているなんて、よく考えてみたらそもそも難しいんじゃないかって。外出自粛のための休校に入る前は春休みだったから、それがそのまま続いていて、長い長い春休みでもいいかなと思ってる。

 (ビデオ電話のカメラを外に向けて)窓の外の景色、見てみて。すぐそこに海があるでしょう。干潮になると、もっとずーっと潮が引いて、遠くまで歩いて入っていけるようになるの。食べものもたくさん取れる。先週は昼間に干潮が続いていたから、次男と一緒にウェットスーツを着て、何度か潜ったんだ。次男が巨大なカニをとったり、長男が初めて一人でタコをとったり… 

 ここに暮らすハイダ(*)の人たちがもう14,000年も続けてきたことを、今わたしたちも毎日することができている。先祖が代々食べてきたものを私たちも食べる。伝統的な習慣が自分たちの中に入ってくるのは、素晴らしい感覚ね。

*ハイダ:
ハイダは、カナダ西海岸の先住民族。セヴァンは、先住民族ハイダの文化伝承者の両親の下で育ち文化再生運動や環境保全運動にも参画していたジャドソン・ブラウンと12年前に結婚し、ハイダグワイ(旧名クイーンシャーロット)諸島に暮らしている。現在2児の母として子育てをする一方、大学院博士課程でハイダ伝統文化継承のための活動や環境活動に力を注いでいる。

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▶︎森をおばあちゃんと歩く時間が大事だって前に話してくれたけれど、おばあちゃんについてもう少し教えてくれる?

 今、私は大学院の博士課程でハイダ語とハイダ文化を研究しているの。ハイダ語を話す人はもう20人しか残っていない。それもみんな、高齢の方々で、まさに絶滅危惧種なの。言語にはその文化に根ざす精神性や地球とのつながり、すべてが込められている。それが失われてしまうのを防ぎたくて。

 ハイダだけじゃない。いま、世界中のどんな先住民族のコミュニティーも言語が失われつつある。日本語の方言もそうでしょう?暮らしが都会化され、生まれ育った土地を離れる人が増えるにつれて、言語は失われていく。同時に、その言語でしか表すことができない文化や、家族や土地の習慣、伝統も消えつつある。

 ハイダ語を話せる20人の一人に私の夫もいて教えてもらっているけれど、彼にとってもハイダ語はすでに第2言語なの。学びはじめてすぐに気づいたことがあってね、ハイダ語は、地球環境を理解するための素晴らしい図書館みたいなの。だから、ハイダ語を勉強することは私のこれまでの情熱ともぴったり重なっている。かつてこの地球に生きたハイダの人々の暮らしを今につなぎたい。そんなわけで、私の研究テーマは「多世代間でどう言語をつないでいくか」。
 ハイダ語を第1言語とする人々の中でいちばん若いのは夫の母で、もう70歳。だから今、私は、自分の子どもたち、私と夫、義母たちの世代をつなぐことに情熱を持っている。世代間で繋がり直して、ハイダ語で語り合うことにね。

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▶︎お義母さんからの言葉で、特に印象に残っているものは?

 ハイダ語での会話にはインスピレーションがありすぎて、どうしようかと思っているくらい。ハイダ語とその背後にある文化を理解するごとに、そして、きっとおそらく似たようなものがハイダだけではなく世界中の失われつつある言語の中にあると感じることで、私自身の人類に対する信頼を取り戻すことができている。

 言語の中に浮かび上がってくるロールモデルが教えてくれている。この地球で人類としてどう生きていくべきか。世界中あらゆる場所で、消えつつある文化 - まだ存在しているけれど、辺境に追いやられている文化は、人はよりよく生きることができる、と教えてくれる。でも、今そんな素晴らしい文化が世界中で消えつつあるの。

 何年も前、夫の母に、こんな質問をしたことがあった。「地球によく生きるって、どういうこと?ハイダ語で “サステナビリティー / 持続可能性” を表す言葉はある?」って。その時は、答えがなかった。聞こえなかったかな、とか思っていたんだけど、3日後になって返事があったの。「この前聞かれた、あの“サステナビリティー / 持続可能性” についての質問だけど」って。

 彼女は、3日間、考えてくれていたのね。そして、教えてくれた。「一つの単語で表せるわね。サステイナビリティーは、 “respect - 敬意”。食べ物への敬意。私たちに食べものをもたらす土地と海への敬意。身体への敬意。私たち自身への敬意」 

 ハイダ文化の精神性の力強さの根底にあるのは、食べ物との関係性。土地から食べものを得ることにあると思っている。

 考えてみて。海でとれたものをそのまま食べるとき。たとえば、ウニを海からいただき、殻を割って、そのまま口にいれるとき。その行為で、地球が育んだ命がそのままの形で、あなたに供されている。食べものを介して、自分が土地や海と直接つながっていることがわかる。それはあり得ないくらい深い行為で、ウニの命があなたの命になる瞬間なの。そこには何の分離もない。私たちが「自然、環境」と呼ぶものと、自分自身に、なんの隔たりもないの。とって、食べる。この聖なる営みを行うことで、私たちは学ばなくちゃいけない。

 だから、私たちが家族で大事にしている時間の真ん中にあるものは、食べものをとってくること。感謝の気持ちと共に、いい心の状態で海に入る。収穫したものを輪になって囲み、地球にあるものをそのままいただく。それは、地球への尊敬の行為。普通のことのように聞こえるかもしれないけれど、ものすごく深いことだと思っています。

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 28年前、大人に「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください」と訴えたセヴァンが大人になって得たのは、小さい頃から家族で良く通って惚れ込んだ、ハイダグワイでのサステナブルな暮らし。

 ハイダの森には、人が何人も手を繋いで囲んでも囲みきれないくらいの大きな木がたくさん残っている。産卵期になれば上流へとのぼる鮭で川は大きく盛り上がり、熊がそこにきて狩りをする。熊は捕まえた鮭をその場で食べることはせず、森の奥まで持っていって少しだけ食べる。残りを残して森に置いておけば、小動物や虫たちが集まって残りを食べ、残渣は森の栄養となる。

 そんな森に惚れ込んだ幸せな幼少期があったから、大好きで守りたいものがあるから「枯れてしまった川にどうやって鮭を呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう」という言葉も出てきたんだな。

 大人になり、ハイダ語とその背後にある文化を理解するごとに「私自身の人類に対する信頼を取り戻すことができている」と笑うセヴァンは、相変わらず眩しかった。

 そして、セヴァンがいうように、まさにそれはハイダだけではなく、日本の方言や文化も同じはず。おばあちゃんの知恵、郷土料理、固定種… 昔からずっと続いてきた、でも今は失われつつある世界中の方言や文化の中に「この地球で人類としてどう生きていくべきか」、浮かび上がってくるものがある。

 かつては世界中で、大人が農作業する横に、漁から戻った浜辺に、子どもたちの居場所があった。大人が何を教えなくとも、その時間と場を共有しているだけで、子どもたちは生きるのに必要なことを感じ取った。でも都市化と分業化が進み、人の暮らしが自然から切り離されると共に、子どもたちの居場所も、経験から学びとる機会も、奪われていった。

 本来、学校という場所は、地域の自然と日々の暮らしの中で蓄積された膨大な生きる知恵を整理整頓し、秩序立て、深めるための場所であったはず。分母にあるはずの生きる知恵や経験が圧倒的に足りていない小さな人に講義だけしても、そりゃあ入っていかないよね。

 大人たちは、人の暮らしと自然が切り離されたこと、地域社会がなくなったこと、そういう根っこの問題をすっ飛ばして「学校を変えなくちゃ」という。だけど、変えなきゃいけないのはまず私たちの暮らしかたの方かもしれないってこと、改めて感じた。

 「私たちが欲しいのは、これまでとは違う ”普通” であり、未来」だって、セヴァン、話してたな。時間がある今はいい機会。有限な地球で右肩上がりの成長を目指し続ける「元通り」じゃ困るから、新しい未来、子どもたちと話しながら見据えていこう。

5月7日放送「サステナ*デイズ」、音声はこちらで聞けます。https://park.gsj.mobi/voice/show/19417


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