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生江史伸シェフと「食べる」を考える

この1年間、毎朝向き合って翻訳したアリス・ウォータースの『スローフード宣言〜食べることは生きること』に装丁がつき、自宅に届きました。

出版についてなど、何も知らなかったところから情熱だけでスタートした翻訳作業。本当に形になったと、感動しました…!

支えてくださった皆さま、見守ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。

本の詳細、ご予約は「海士の風」のサイトからお願いします!
11月3日には全国の書店にも並びます。


そして今日は、出版記念イベントで、レフェルべソンスのシェフ生江さんと、海士の風代表の阿部さんが対談しました。

生江史伸(なまえしのぶ)さんは、日本でアリス・ ウォータースの思想を実践し、2020年12月 ミシュラン三ツ星とグリーンスター(持続可能な行動への称号)を同時に取得した東京・西麻布のレフェルヴェソンスのエグゼクティブシェフです。

お二人のお話、面白かった〜!
印象に残った忘れたくないこと4つ、メモしておきます。

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海士町の銛突き漁と、命の尊厳

生江さんと阿部さんは、今日の午前中、隠岐諸島の海士町で素潜り漁に同行していました。深さ18mの場所で、漁師さんが銛1本の突き漁で60-70cmのクエと対峙し、仕留めているのを生江さんが一緒に潜って撮影。そんな動画を観るところから対談はスタートしました。

阿部さん
「あれは立派なクエでしたね。高揚しましたよね。生江さんならどう料理しますか?」と阿部さんが聞くと、

生江さん
「フレンチでは元の形がわからなくなるくらい丁寧に工夫を凝らすことが多いけれど、あれだけのクエなら、なるべく生きていたそのままの形でテーブルに出したい。海にいたときの姿も思い浮かべながら、皆で共にいただくイメージが湧きました」と。

あの海でここまで生きてきた魚への敬意、畏怖の念に触れた生江さんが『スローフード宣言』から引用したのが、以下の一節でした。

P120
 とてつもなく美しいものに触れると、私たちは畏敬の念を感じます。美しさが人をハッとさせ、人と自然の間にある幻想上の境界線を吹き飛ばします。美しさは人が理解してコントロールできる領域の外にあり、無視することができない超越的な万能性を持っています。
 マイケル・ポーランは著書『幻覚剤は役に立つのか』の中で、畏敬の念は人間が進化させてきた根源的な感情であり、自分が大きな何かの一部であると感じ、利他的な行動を促すものだと書いています。
 「大いなる存在は、社会の共同体でもいいし、自然そのものでも、精神世界でもいい。自分自身や個人の狭い関心事など瑣末なことだと知らしめる強力な何かであるならば。畏敬の念を感じる体験は、利己主義の素晴らしい解毒剤だ」

阿部さん
「わかるなあ。前に、哲学者の内山節さんから”社会”とか“自然”という言葉はもともと日本にはなくて、明治維新後に作られた翻訳語だと教わったんです。それ以前の日本では、生きている人だけでなく、死者・人・自然が同じところに暮らしているという概念を持っていた」

生江さん
「自然との接続は、昔はもっと簡単に行われていたんですよね。畏敬の念は日常にあり、人は自然と向き合いながら、皆と協力して生きていたのではないかと思うんです」

阿部さん
「そんな ”畏敬の念”、生江さんは料理する中ではどんな風に意識しているのですか?」

生江さん
「農業大国のフランスと比べると、日本では農業で育てられるものより、天然のものを使うことが多い。出汁を摂る昆布も天然のもの、鰹節も養殖ではなく、天然のものを発酵させて作ります。”自然からのいただきもの” という感覚は、本来、日本にとても強かった。
 秋になると秋刀魚を食べますよね。そうやって、日本では季節と自分たちを同化させてきた。海外の料理文化を知るほど、これこそが日本の貴重な文化だと実感しています。
 本来は日本の人は自然に対してセンサーが高いはずなんです。でも、昨今の食生活を見ると、そうとも言えない。だからこそ、そこをテーマにして料理を作りたいなと思います」

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シェ・パニースで感じたこと

 生江さんは2001年、シェ・パニースのことなどまったく知らない状態で、偶然入店したそうです。スタッフは笑顔で気持ちよく出迎えてくれて、当時の生江さんの最初の印象は「”あったかい系” の店だな」でした。

 ところが、1皿目に農家さんの名前がついたルッコラのサラダが出てきて、状況が一変。同席していた他の皆も、それぞれに違う前菜を頼んでいて、一口食べた瞬間、皆で顔を見合わせました。

「これ、やばくない?」

特別な手をかけているようには見えないのに、驚くほど美味しい。なぜこんなに美味しいのか?皆で夢中でシェアして、皿をつつきあいました。

メインに食べたオーガニック牛のグリーンソースもすごく香ばしく、その美味しさは今でも思い出すことができるそう。シェ・パニースがアリスの店だと知り、バークレーの本屋で4冊、アリスの本を買って帰国しました。

「それがシェ・パニースとの出会い。20年前にハートを射抜かれて、今もその弓矢が抜けないんです。
 とにかく美味しかった。美味しいから “どうしておいしいんだろう” と考えました。そこから美味しい食材を追求した結果、それが有機野菜やローカルなものでした。
 後にアリスに直接会ってそれを伝えると、彼女自身も入り口はいつも ”美味しかった” で、理由を探ったら、美味しいものがたまたますべてファーム・トゥ・テーブルやオーガニックだったと話してくれたんです。同じだね、と盛り上がりました」

 初めて食事しにいって13年後、2014年に、生江さんはシェ・パニースに研修に行きました。

「たった4日間だったんですが、この4日間は何者にも変えられない、忘れられない経験でした。とにかく、東京では考えられないような型破りな営業スタイルだったんですね。

 まず、まかない。普通、まかないといえば、仕入れた野菜の端材+そこに少しの足し算でおいしくない野菜をいかにおいしく食べるか、というものなんです。食材をできるだけ廃棄しないために「賄う」という言葉が出てきたはずでした。

 ところがシェ・パニースでは、お客様が食べる料理と、料理人が食べる料理が一緒なんです。ディナーは早い時間か、遅い時間かの一晩2回のみ。驚いたのが、1回目で出したのと同じ料理を皆でシェアして食べること。営業中にですよ。確か、7時半くらいだったかな。
 シェ・パニースでは毎日メニューが変わるので、スタッフもそれを毎日食べて確認することができるわけです。

 毎日、12時過ぎに出勤して、21時過ぎ〜22時には帰宅していたかな。そんなこと、東京ではあり得ません。すごいなと思いながら、残念ながら今もこれは真似することができていないのですが。

 自分たちもお客様と同じ料理を食べることで、「おいしい」が自分で判断でき、後半も自信を持って動ける。必要なら修正もできる、というすごい仕組みでした。

 とにかくすごく影響を受けて、ブリコラージュでは従業員に好きなものを選んでもらい、食べるようにしています」

阿部さん
「漁師と魚が尊厳を持って対峙していた、と言う表現が印象的でしたが、ここでもキーワードは “フェア” であることなんでしょうか。食べる人と提供する人も、本来、対等だということ?」

生江さん
「そうですね。”fair / 公正” であることはスローフードの3大スローガンの一つでもあります。そこは自分でも判断基準の一つにしています」

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分断と二項対立ではなく、議論を重ね合わせる

「フェアな農業と、これから訪れる食糧難の時代との折り合いはどうつけていけばいいのでしょうか?」という質問に対する回答も、印象的でした。

 国連でもよく言われますが、問題を解決するのに “One size fits all - 1つの定型パターンがすべてに適用可能などということはないと思うんですね。

 ある土地に固有の歴史、文化、風習は変わるものです。でもこの五十年で変わり過ぎました。変化のスピードに追いつけないために、人は違う解決法を導き出した。少し前に「緑の革命」などで爆発的に生産量を増やしたりもしました。

 日本限定で考えると、今、お米の消費が減り続けています。一方で、小麦の消費は上がっている。ということは、米食を続けられないライフスタイルの変化があったのでしょう。

 今、日本で米は余っている。だから日本政府は「米の生産量を減らしなさい」という政策をやっています。「緑の食糧戦略」の目標設定では「2050年までに有機栽培の畑を25%に」というものがあります。ところが、現在の数字は認定農家で0.2%、非認定を入れても0.5%です。30年間でこれを25%にというのは、とてつもない変化です。

 そのことについて、有機エリアと慣行農法を半々でやっている農家さんと話していた時に、彼がこう言ったんですね。「米を全部オーガニックにしたら、25%行きますよ」

 夢のような話ですが「日本の米が全部オーガニックです」ということができたら、生産は減る、米あまりも減る。今の消費量とちょうど同じくらいのラインに乗るかもしれない。さらに、生物多様性が復活する、ということもあるかもしれない。さらにそれが海を潤し、生態系の循環も促すかもしれない。
 米をオーガニックでやることが、日本の一つのソリューションになるかもしれないという話でした。

 大きな問題を解決するアイディアはないようで、現場には実はたくさんある。いろんな人と話して、いろんな意見を混ぜ合わせて化学反応…ではなくオーガニック反応を起こしていくと、難しいと思っていたことに対する解決策が見えてくることがある。だから、オープンなステージでいろんな話を重ねることが大事だと思うんです。

 これだけコミュニケーションがとりやすい時代に、国や農協からの上から指令で動かすのは、効果的ではないかもしれない。いろんなレベルで話をすることが、大事ですよね。

 それから、オーガニックであれ、スローフードであれ、こうして新しいムーブメントを始めるとき、そこについていける人、ついていけない人が出ます。いわゆる「分断」です。

 その分断をできるだけさせないためには、全員参加が大事です。そしてそこで、できていないことを批判するのではなく、それぞれができることを評価していくべきです。

 英語で言うshaming, blaming=相手ができないことを「なぜできないんだ」と言いあえば、お互いがどんどん離れていく。それをまず、止める必要があります。小さなことでもいいから、できたことをお互いに褒めていく。それを全員、または全員に近い形でできる形は何かということ、いつも考えています。

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生江さんにとって、料理とは

最後に生江さんが料理について問われて語ったことも、印象的でした。

「僕にとって料理とは、作ると同時に喜びを感じていただくこと。目の前の相手が喜んだ状態で、僕らの教えてもらった話をシェアしていく。喜びの感覚を使いながら物事がより良い方向に流れるよう、提案・手助けをしていく。それが僕にとっての料理です。

 料理する、というのは、おそらく人間が動物で唯一やっている営みです。言ってみれば、料理は人間らしさの一つなんです。家族など大事な人のために作る、というのもあるけれど、人間は、縁のない人のためにも作る。そうすることで社会の潤滑剤になり、共感・共有を生むことができたらいいと思います。

 狩猟採集の時代は “自分でとる、自分で料理する、自分で食べる” が基本でした。定住化が可能になった時代から、人は共に料理し、共に食べるようになった。同時に、自分たちがやるべきだったことを外部化していったんです。

 自然から「とる」のをやめて「育てる」ようにもなりました。さらに、採ることだけでなく、料理を作ることも外部化していきました。料理は、自然とつながることでもあったんですね。それを手放してしまった。毎日料理をするのは難しいかもしれないけれど、できれば人は料理をしていた方がいいのだと思います。

 僕の仕事は料理をすることです。人間から離れてしまったところで仕事をしているので、それを人間に返していかないといけない、という思いがあります。食べることの根源にある行為が個別に切り分けられているから、世界で問題が起きるとも思っている。だから、それをもう一度繋ぎ直したいと思っています。

 そんな中で、この本にはエッセンスが詰まっている。過不足なく、ちょうどいい形で。これまでたくさんあったアリスの本で語られていたことが、1冊にぎゅっと詰まった、まさに集大成的な本だと思います。

 この本を調理師学校で使ってほしいと思いますね。わかりやすい日本語に変えて、初等教育でも使ってほしいとも思います。

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生江さん、「海士の風」の阿部さん、今日は本当にありがとうございました!

『スローフード宣言〜食べることは生きること』は現在、絶賛ご予約受付中。11月3日には全国の書店にも並びます。



出版記念トークシリーズ第2弾は、シェ・パニースの料理長、ジェローム・ワーグさんがスピーカーです。わたしが聞き手(&通訳)を担当します。
第3弾は「ポケットマルシェ」の高橋さんがゲスト。

どちらのイベントも、お申し込み受付中です。
よかったら、聴きにきてください。

第二弾 [11/6] ジェローム・ワーグ氏(シェ・パニース元料理長)

第三弾 [11/23] 高橋博之氏(ポケットマルシェ代表)


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