私の経歴を振返る②

家電販売員時代
‐家電接客はエキサイティング
‐仕事に必要なカード(情報)集め

社会人生活は秋葉原の電気街からスタート。
当時はまだごちゃごちゃしたカオスな感じがあって、駅に隣接している雑居ビルではよくわからない部品が種類別に箱に入って売られていました。

家電を買いに来る人はいろいろ店舗を見て歩き、あの店でいくらだった、など表示価格からどれだけ値切れるか交渉をするのが通常でした。こちらも定期的に市場調査に出て、他店の値段をチェックしていましたから、ありえない値段かどうかは判断がついたし、他店が最安値だったとしても、在庫限りでつけている場合もあったりして、自分たちがそれに対応するかどうかは最終的にはお店の判断にゆだねられていました。

ベテランの販売員には大概お得意さまがいて、家電一式買う時などは各階アテンドして、最後は所属のフロアで伝票を切って売上達成!パチパチパチ、いかにも売場のエースという感じで格好良かったです。

お客様の前で電卓をたたきながら利益率を考えて、ご要望に合わせて色々な商品と組合せて上手に値引きする、その場の頭の回転もそうだけど、普段からメーカー営業と話をして、今どのモデルがキャンペーンをしていてオススメなのかとか、廃盤になるモデルはこの週末多少値引きしても良いといった情報や条件をしっかり持っていることも大変重要でした。

当時顧客とのタッチポイントが今よりも少ない時代、販売員とメーカーの会話はとても大事なものだったと思います。良いメーカー営業さんほど売場にふらりと来ては世間話をしていったもので、そんな会話の中から出たアイディアも少なくありませんでした。

いろいろな裁量を与えてもらって、商品を仕入れて売切る、商売の基本を教わった職場でした。

店舗マネジメント時代
‐郷に入れば郷に従えの精神
‐パワーと影響力の使い方
‐会社の理念と現場の差

家電量販店からスポーツメーカー店勤務に転職したのは、当時モール型アウトレットができはじめ、メーカーが直営アウトレット店を出店する時代でした。女性の店舗経験者を探しているという話を知り合いからきいて、接客や店舗管理にある程度自信ができていたし、何より運動好きの私は憧れのスポーツメーカー勤務を夢見て決めました。

配属されたお店には、社員志望のアルバイトがたくさんいて、数少ない契約社員の座を狙って殺伐としていました。社員はどうかというと、会社の新規事業への配属、さらに店舗勤務が不満で明らかにいやいや仕事をしていました。それもそのはずで、本社に行ったときにわかったのですが、直営店事業部はあからさまに馬鹿にされていたのです。いい大人が、平気で隣の島から馬鹿にしたり、からかうようなことを言うのです。なかなかすごい職場に来ちゃったなあ、と思ったことを覚えています。

職場の考え方や掟を理解するためには、まずはその村(職場)のルールに従って暮らしてみます。2~3か月くらい、まずはそこのルール通り完璧にできるようになるまで何も言わず、黙って働いてみると、良いところと悪いところが見えてきます。悪いところというのは、私から見て違和感のある行動で、それもジーっと見ていると動機とか原因が見えてきたりします。

でも、そのころには関係性もできて、集団の中で誰がどんな役割なのかもわかるので、改善が必要なところは相談したりして、立場を作っていきました。

つづく









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