ガネーシャがミルクを飲んだ⁉︎
1995年9月21日のことである。その数日前、カルカッタ(現コルカタ)から電車で2泊しながらボンベイ(ムンバイ)を目指していた。ボンベイの北に位置するヴィドゥヤヴィハールにあるソマイヤ大学に行くためだ。しかし、インドの電車は冷房がきつく、さらに長旅とあって少し体調を崩していた。
少し体調も回復したころに、遅れていた調査を再開しようと、ローカル電車を乗り継ぎ、カーネリー石窟の調査に出かけた。前2世紀から後8世紀まで開鑿された仏教石窟である。知的好奇心を踊らせながら調査を続けたが、病み上がりとあってかなり疲労した。やっとこさ大学内の寄宿舎に戻ると精魂尽きたように眠っていた。
「ドンドン、ドンドン」
扉を叩く音がしたので、重く感じる体を起こし扉へと向かった。扉の外には寄宿舎にいるこの大学の学生が立っていた。
「どうしたんだい?」
面倒臭さを絵に描いたように彼に聞いた。
「ガネーシャがミルクを飲んでいるんだ!今から一緒に行こう!カメラを持ってるだろ?それを持って行こう」
ただでさえ疲れているのに、ガネーシャがミルクを飲むなんてバカバカしいと、少し怒りに近い感情を起こしてしまった。何せ昼間の調査でくたびれていたし、夕食さえとっていなかったほどなのだから…。
「それで?」
「ガネーシャがミルクを飲んでいるんだ!これがどういうことかわかるか?」
わかるか?と言われたってわかるはずもない。
「良かったね。ありがとう知らせてくれて…」
最後の力を振り絞るようにありったけの愛想を使って言った。今すぐにでも寝たかったからだ。しかし、彼はそれを許してくれず、とにかく一緒に行こうという…。
結局、ぼくは彼の熱意に負け簡単な身支度をし、カメラを持って部屋を出ることにした。
道中、彼は必死にガネーシャがミルクを飲むことがどれだけすごいことなのかということを、延々と話していたが、私はうんうんと言うだけでほとんど耳を貸さなかった。
ガネーシャはヒンドゥー教の三大神のひとつシヴァの息子であり、象の頭を持っている。これには謂れがあって、自分の息子だと知らなかったシヴァは、ガネーシャの頭を切り落としてしまう。妻のパールヴァティーから息子であることを告げられ、自分はなんてことをしたのだと息子の頭を探すが見つからない。最初に出会ったものの頭をガネーシャの頭にしようとしたところで出会ったのが象だった。だからガネーシャの頭は象なのである。
確かにガネーシャはインドでも人気のある神ではあるが、言っても祠堂に祀られているのは彫像に過ぎない。そんなものがミルクなんて飲むはずがない。訝しい思いのまま、彼に着いていった。早く帰って寝ようという一心で…。
大学を出て、何本か道を曲がって集落に入っていった。おそらく普段ならひっそりとしているであろうところに黒山のたかりである。そこでやっと彼の言うことがあながち嘘でもないのかもと思った。が、ガネーシャがミルクなんて飲むはずがないという思いは変わらなかった。
「どうだ?嘘じゃないだろ?ガネーシャがミルクを飲んでいるんだ」
「わかったよ。信じるよ」
「君も、ガネーシャにミルクを飲ませてみるかい?こんな経験、二度とないよ」
「君の言うことは信じるよ。だけど、ここから見てるだけでいいよ」
何せ黒山のたかりの中に長蛇の列ができていたのだ。そこに並んでガネーシャにミルクを飲ませるだなんて考えただけでもうんざりだった。まだ、早く帰って寝たいという思いは抜けていなかった。
そこに一人の老人がやってきた。
「お前はジャーナリストか?見た感じ日本人に見えるが、ここを取材しに来たのか?」
仮にジャーナリストだったとしても、ここまでやってくるのにどれだけ時間がかかると思ってるんだ…。
するとその老人は大きな声を出して、
「いいか、みんな。ここにいるのは日本人のジャーナリストだ。この記念すべき出来事を記事にしてくれるそうだ。彼にガネーシャがミルクを飲んでいることを体験させてやろうではないか!」
言い終わると老人はぼくの腕を掴み、列を割り込み、小さな祠堂の中に連れ込んでいった。
ここまでされると今度は申し訳ない気になってきた。ぼくはジャーナリストでもなければ、熱心なヒンドゥー教徒でもない。ここにいる人たちは皆熱心なヒンドゥー教徒だからだ。
祠堂の中に入るとスプーンを手渡された。それでガネーシャにミルクを飲ませろという。注目を浴びながらぼくは恐る恐るミルクの入ったスプーンをガネーシャの鼻に運んだ。
なんと‼︎少しづつスプーンの中のミルクが減っていく‼︎
「そんなバカな‼︎」
と、思ったけど、これは確か理科で習った何とかという現象だろう…。
祠堂を出るとそこには年老いたサドゥーが一人立っていた。サドゥーとはヒンドゥーの行者のことを言う。
「日本人のジャーナリストよ。これは今まで100年もの間一度も起きたことはないし、今後100年は起きることはないであろう。そしてこれはここだけではない。全インドで起きているんだ。いやインドだけではない、全世界でだ。お前はとてもラッキーだ。なにせガネーシャの加護により吉祥を手にしたのだから。生きている間にはご利益に恵まれ、死後には天に生まれるであろう。いいか、その吉祥は生きとし生けるもの全て廻施せよ」
何が何なのか訳が分からなかったが、ここに集う人たちの眼がやたらと輝いていたのは今でもはっきりと覚えている。確かに汚れのない眼だった。
後から知ったことだが、これはサティヤ・サイババの予言に因むもので、それを全インドのメディアが取り上げたことで騒動となった出来事である。デリーでは牛乳の値段が10倍ほどに上がったという。
翌日、大学近くの店でサモサとチャイで朝食をとりながら、新聞に目を通した。どの新聞も一面で前夜の出来事を伝えていた。
事実の如何のほどはわからない。しかし、その時感じたのは科学的にどうかというのは、時としてどうでも良いことにも感じる。幸せとは人知の判断を超越したところにあるのではないかと思った。二杯目のチャイを頼み、辺りを見るととても幸せそうな顔したインド人たちが談笑していた…。
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