ある路上生活者のこと
◆◆ 1 ◆◆
かれこれ7年ほど前のことになるだろうか…。
路上生活者支援を始めたころのことである。
ぼくの先輩でもあり、姫路のあるお寺の住職から路上生活者支援をやらないかという誘いがあり、断る理由も、ためらいもなく、それほど深刻な思いもなく、ごく誘われるがまま、路上生活者支援を始めた。その頃は、現在の場所ではなく、JR大阪駅前で行っていた。もともと教会の牧師さんが始めた活動であった。
もちろん、支援を始めたころは戸惑いもあった。彼らからするといきなりよそ者がやってきたわけで、その警戒心が働くのも無理はない。こちらも彼らとの心理的な距離をいきなり縮めようとはせず、最初のころはただ機械的に支援を行うだけで、ただただ関係性のみ持ち続けた。
その様な中で、状況が変わり始めたのはある路上生活者との出会いであった。
◆◆ 2 ◆◆
何回か月に一度の支援をしていると、ある路上生活者が気前よく話しかけてくれるようになった。もちろん、こちらからするとこれほど嬉しいことはない。心を開いてくれたのかと思うからである。
彼はぼくに色んな質問をしてきた。
「仕事、何してはるん?」
「大学の教員でもあり、お坊さんでもあるんです」
「なに、勉強してはるん?」
「仏教の勉強してます」
細かなことを言っても仕方ないだろうし、とりあえずこれなら分かってもらえるだろうということ答えていた…。しかし、彼は仔細にわたり質問してきた。ただ、それはぼくのことを理解しようというよりか、むしろ会話を楽しんでいるという雰囲気すら感じた。
「ところで、お坊さんやって言うてたけど、何宗なんや?」
「浄土真宗です。浄土真宗本願寺派です。なんまんだぶです」
「そっかぁ。お寺さんは優しいなぁ。見放さんのやもんなぁ」
この彼だけでなく、路上生活者と話していると時々ドキッとすることがある。この方は篤信者なのか?と感じたり、知識量に驚くこともある。
この方はお念仏に生きるということを分かっているのか?
こちらも彼に興味を持ち、もっと彼のことを知りたくなった。
しかしながら、その後彼との会話はあいさつ程度のなんてことのない会話が続いた。その様な中、晩秋になったころ、彼があるお願いをしてきた。
◆◆ 3 ◆◆
「寒なってくると、骨身に堪えるわ」
「ほんまですねぇ。これから厳しくなってきますさかい、どうかできるだけ温くしてくださいや」
「あんな、お願いがあんねん。あんさん、もう着ぃひんやつでええねんけど、ジャンバーというか、余ってる上着持ってへんか?来月、持って来てくれへんか?頼むわ。寒ぅてな…」
これが親しくなったからのお願いではないことはすぐにわかった。
こちらは路上生活者支援をやっているのである。食べ物以外にも、生活必需品、衣服、冬場には寝袋までを配っている。ただ寒さをしのぐだけなら、こちらが用意しているものから、身にあうものを選べば良いだけのことである。でも、彼が求めたのはそうではなく、ぼくが着ていたものが欲しかったのだ。
「あんな、お願いついでに、もう一つお願いがあるんや」
「どうしました?出来ることはやりましし、何でも言うてください」
「オレが死んだら葬式をしてくれへんか?そんなんお願い出来るやろか?」
「そんなん、構いませんよ。心配しないで下さい」
「ありがとうな。誰を呼んで欲しいとか、そんなんはないんや。ただ、お経をあげて欲しいんや。それだけでええねん」
◆◆ 4 ◆◆
それからひと月が経ち、いつものような路上生活者支援に向かった。着古した皮のコートを手に持って。ものは良いものである。皮でありながら、軽くて柔らかい。それでいて保温効果もあるものである。
大阪駅前に着くや否や、その路上生活者がぼくのところにやってきた。
「持ってきてくれたか?」
どこか照れ臭さのような思いを顔に浮かべながら、彼は言ってきた。
「着古したものですが、これで良かったら…」
「おおきに、おおきに。ほんまおおきにな」
彼はぼくが持ってきたコートを受け取ると、抱き抱えるように、その日は支援を受け取らずその場を立ち去っていった。
◆◆ 5 ◆◆
翌年の春まで彼の姿は見ることはなかった。
どうしたのだろ?と、いく人かに彼の安否を尋ねた。
「あぁ、あの人なぁ。年末に亡くなったわ。なんや病気やったらしいで」
どうりで…。
上着をくれと言ってきた時は、すでに自分の死期を覚悟していたのだろう。彼にどのような身の上があったのかはわからない。だけど、最後に人の温もりが欲しかったのだろうと思う。
ただ、寒さをしのぐのではなく、人の温もりが欲しかったのだ。だからわざわざぼくに上着をくれと言ってきたのだ。そして、葬式をやってくれないかと言ってきたのだ。
ぼくは彼との連絡手段を持ち合わせていなかったし、そのことは彼も分かっていたはずである。お葬式の約束はしたけれども、それが本当に叶うことかどうなのか分からないことくらいは十分想像できたことだと思う。彼が願ったのは、自分の最期に見送ってくれるお坊さんがいるという安心を得たかったのかもしれない。
◆◆ 6 ◆◆
帰宅後、ぼくは家の仏壇の前で葬場勤行を勤めた。
近ごろはずいぶんと直葬が増え、亡くなった方の遺体は病院から火葬場へ直行する。それぞれに理由は色々とあるのだろうけど、やりきれない思いにもなる。
人間の存在は生産性のみで計られ、死んでしまえば遺体は産業廃棄物のように扱われることに、人間って何のために生まれてきたのか、という思いになる。
もちろん、お葬式をするかどうかは自由であると思う。
だけど、お葬式をすることは、故人が間違いなくこの世に生きた証でもあると思う。そして、初七日、四十九日、百ケ日、初盆、一周忌、月命日、このような法事をやることにも意味はある。
年末にふとある路上生活者のことを思い出した…。
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