育った家は巣立つところ



育った家は巣立ところ。

出てもいい。
と言うか、
出るところ。

って、思う。


心理カウンセリングを受けてた時があって、
家を出ても良いんだって、言われたことが
印象的だった。

私の周りの人は
家を出たらダメだって言っていて
逃げることになるから、という理由と
そこに私がいないといけないから(私しかまともな人がいないから家を継ぐべきだって)って言う理由
があった。

でも心理の先生は
こう言う人もいるよって

「育った家が大変だったから
自分で自分の家族を作る」って
家を出る人もいるんだよ。

そして、それは悪いことじゃ無いんだよ。


って、言われて
もっと言えば「逃げたって良いんだよ」って
いう事だった気がする。


今思うのは、自分を守るために
逃げるのも必要だし、

育った家は巣立つところだから、
自分の人生を生きるために
出るのは自然なこと健全なこと
なんじゃないかと思う。

そして、自分の家族を作ったり
自分のしたい仕事をしたり
挑戦したり、自分の道を切り開いていく



実家を最初に出るときに
すごく怖かった。

小さいときから父に「早く家を出ていきなさい」って言われていたから、「一回出たらもう戻るところがないんだ」って思ったら、一回不登校になって家でもいじめられてて居場所がなくてノイローゼになりそうなとき一週間だけお母さんの昔の恩人のところに行ったときがあるんだけど、帰ってきたら私の所有物がみんなに勝手に使われていて、

家を出たら、本当に私の場所が奪われるんだ!って
実感して、なおさら出ることへの恐れが襲ってきていた。出たい思いと出たらおしまい。と言う思いと。

だから、実際初めて実家を出るとき出る機会に
素直に喜んで出ると言うより、もちろん1人でやっていけるのかっていう思いもそうだけど、

時間がかかった。

でもある時出会った夫婦に
親に反対されて、結婚できなかったけど
思いきって家を出て結婚してみたら、
なんとかなったよ。すごく怖かったけどね
結構大丈夫なものだよ。

って、言われて

出てみたら、ほんとだった。


色々自分の考えで試してみる
こうしたいって言うのを
家具の配置とか持ち物とか
食事の一つ一つまで
自分で一個一個決めてやってみる
心地のいいところを見つけていく

実家ではこうだったけど
私はやっぱりこう思うなって
ところを見つけて納得していく。

という過程を楽しんだ。


寝込みたいときに寝込める。
実家では約10人分の家事とか認知症のおばあちゃんとか発達障害の妹とか、お母さんもおじいちゃんも逃げるように好きなことしに出掛けてたから
全部やらないと行けなくてノイローゼで参っていた。

けど、私が居なきゃいないで
やるしかなくなって二人とも
おばあちゃんを見るようになって
連れて歩くようになって
妹もおばあちゃんのお世話をよーくしてくれて
て、とってもよい形ができていた。


だから「自分がいなくちゃいけない」って
もし言われてたり、そう思って
本当はもうどうにもならないくらい
参ってるのに、そう思い込んでいるなら
なんとかなるから大丈夫だよ。


初めデイサービスとか利用して
いなかったんだけれど

心理の先生に話しているなかで
「一人一人が大切だから
おばあちゃんもお母さんもおじいちゃんも
私もみんな大事だから、デイサービスを
使っておばあちゃんを見る人の負担を減らして
助けてもらっても良いんだよ。」って

言ってくれた。


当時ってそんなに今ほどデイサービスって
利用者が多くなかったような気もするせいか、
デイサービスを使うってことがちょっと
ひどいこと?のように感じるイメージがあったよう
な気がするけれど、心理の先生のこの言葉はすごく助けになった。

『みんなが大切だからみんなの負担を減らして
良い距離感で良い関係良い日常を送れたら
それが良いんだな』って思えるようになった。


で実際、もう笑いありの楽しい介護生活で
デイサービスのスタッフの方に
おばあちゃんが本当に穏やかでって
誉められてた。

実際はおじいちゃんに反抗期してたけどね😆


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