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9/10〜12「疑問から湧く興味」

前回はこちら。

10

佐渡島さんの「観察力の鍛え方」を行き帰りに読む。新書だから電車でも比較的読みやすい。

まだまとめきれていないので少しだけ書く。とにかく「仮説」を立てて観察し、そこから問いを立てる。起点はこの三者であればどこでもいいのだが、佐渡島さんは行動サイクル(「計画」「実行」「振り返り」のサイクル)からヒントを得て、「振り返り」に当たる「仮説」を起点にすることで、熱量のある観察が生まれる、というのだ。
いわれてみると、これまで仕事してきたり、他の活動してきたりで仮説を立てるところから始めたことに関しては、集中して臨むことができていたように思う。小中学校の時の理科の実験に近い感覚があった。「どうなるんだろう?」と考えたことを試して、実験の結果を見るのが楽しかった。その「どうなるんだろう?」が、これまで自分を動かしてきたのかもしれない。

11

同時多発テロから20年。あのとき確か小学生だったかな、自分は寝ていたけど、幼稚園児だった弟はその夜たまたま目が覚めていて、飛行機がビルに突っ込む映像をテレビで見たらしい。
こういった惨劇は2度と起きてはいけないことだとは思っているが、無くなるとは現状を見ても思わない。国家間はともかく、個人間の争いは絶えず起こっている。かといって、「仲良くしようよ」とも、両者にある背景を何も知らずにいうことはできない。

12

後輩に紹介してもらった「塩狩峠」を読む。

もともとキリスト教団の一宗派の月刊誌に掲載されていた小説で、主人公の「愛と信仰に貫かれた生涯を通して、人間という不確かな存在の真の意味を問うた作品(裏表紙より)」である。
これは実話をもとにしたフィクションなのだが、「特定の教えを信仰していなくても、何かしらの形で自分も贖罪はしてるんだな」と思わされた。無意識のうちにしていることも、いつか自分が失敗したことを繰り返さないために、同じ目に遭う人をもう生み出さないためにしているんだなと思ったり。
それで以前の過ちが消えるわけではないけれど、なぜか自然にしてしまう。もしかすると、これは人間が「痛い目に遭わないようにする」ために備わっている習性なのかもしれない。仮説だが。

これまでの振り返りはこちら。


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