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自らの過去と人の振り見て。

前回はこちら。

2/27〜3/5

2月と学年末試験が終わった。正直、自己採点をすると合格点はあげられない。もっとできたことはあるし、一度範囲が終わったからといって、類題よりも同じ問題を完璧にやれるまで何度もやった方がいいとか、力を確実につけさせられなかったという気持ちは強い。

それから、今月の下旬に予定していた企画も、このご時世ということで中止を決めた。今度こそできる…!と期待の中で進めていたが、そうはいかなかった。辛い。できなかったことよりも、2年半前に参加してくれて、「コアメンバーやりたいです!」って一緒にここまでやってきたのに、開催まで行けなかったことが本当に辛い。2年前もこの時期に中止が決まって、何もできなかった間もついてきてくれて、やっとできそうなところまで来てこれだから、中止を決めたということを自分の口で伝えた時には申し訳なさと悔しさでいっぱいになった。
それから、ボランティアとして参加しますと言ってくれていた人たちに連絡を取る指も重かった。年明けに「今年はできそうです」と連絡をしたから、いくら不可抗力とはいえ期待に応えられなかった思いが漏れていた。

今週は、そういった苦境が押し寄せてきた。が、そういう時にこそ、自分自身のあり方を見つめ直す機会になると思っている。

2年前に中止になって、そこから全部止まった時には、ついてきてくれるメンバーと特にやり取りもしなかった。それで去年のこの時期に「ついてきている人をスルーして自分のことばかりやっていたのはまずかったし、その子たちのことをもっと知っておきたい」と自分の行動を見直して個別で会っていた。そのおかげで、ついてきてくれる学生の子から今学生がどうなっているのかを知ることができたし、何より数少ない時間を割いてでも力を貸してくれるということに頭が下がった。駒、なんて思っちゃいけない。

だから今回の中止のことも、自分の口で伝えられたことは、その時こそしんどかったけれどもスッキリしている。嘘をついたり、誤魔化したりするよりも互いの精神衛生上いいはずだし(ある漫画によれば、「嘘は人を孤独にする」ともいう)、一人でやってきたことじゃないわけだから、ついてきてくれたことへの感謝の姿勢を示さなければならない。

その子たちは「これからも何か手伝えることがあれば言ってください」と言ってくれた。こういう子たちに本当に出会えてよかった。その子たちのこれからどうしたいか、どうなりたいかを知っているから、自分のできることで力になれたらと思う。

話は少し戻るが昨年末、祖父の通夜で住職さんが「故人の生前の言っていたことをまとめますと、『何かを成し遂げたかどうかよりも、生き切ったと思えるかどうか』と言っていたようです」と法話でおっしゃっていた。
祖父は自分がいろんなことをやっているのをFacebook経由で知っていたし(もちろん、この日記も)、会うたびに「あれはどうなんだ?」と聞いてくれた。だから、自分が何もできてない様子を見ていたから、こういうことを自分がいないときに言ってたんじゃないか、なんて思ったりもした。
ただ、確かに言えるのは、その住職さんの法話のおかげで、自分は腐らずにいられたと思っている。思い返せば、さらっと言うのもアレだけれど、祖父はそういう生き方をしていたような気もする。ただ自分のやりたいことを、いろんな人と一緒にやっていた。

どんな苦境にも、ここから新たに一歩踏み出すためのヒントが必ずあると思うようになった。自分がどんな積み重ねをしてきたか、それから周りにいる人がどんな振る舞いをしてきたか。過去の積み重ねから、自分だけでここまできたわけではないと気付かされるからこそ、これまでの積み重ねと周りの人の力を積極的に借りて、自分の生き方やあり方を見つめ直すことができた一週間だった。

これまでの振り返りはこちら。


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