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その日に会うことは叶わないけれど、ぼくは進むことができる。

8年前。ぼくは何をしていたか。

2012年。ぼくは大学2年生だった。春休みに県議会議員の方のもとでインターンシップに参加し、そこで「教育の道に進む」ことを漠然と決めた頃だった。

今になって「あの時こんなクッソ面白そうなイベントがあったなんて…!」と知ったのである。

昨年の夏に47歳で亡くなられた、瀧本先生の講義がちょうど8年前にあったのだ。当時ぼくは「武器としての決断思考」や「僕は君たちに武器を配りたい」を読んでいて、まさに「行動しよう」と思ってインターンに参加したりしたりしていた。

この本をつい数日前にTwitterで知り、早速買って読んだのだが「うわ…これ(8年前の東大での講義)は行きたかった…」という感想以上に、「その時からのぼくの8年間」を思い返しては「ぼくはどんなアクションを起こしていたか?」を振り返っていた。

先述のとおり、インターンに参加したことで教育の道を進もうと漠然と決めた。ぼくは塾でバイトしていて、「生徒が自ら進んで勉強するには何が必要か?」という問いを立て、教育関係に限らず、スポーツや経営学系、ビジネス書などジャンルを問わず本を読んでは少しずつ実践していた。

それは結果として現れた。テストの成績が2倍に上がったり、嫌いだった科目が好きになったり。
こうなったのも彼らが自分で行動した結果、に集約されるが、ぼくは何をしていたかというと、彼らが行動したことを肯定し続けただけだ。もちろん、逆ならばその態度を示したことに対しての注意をした。当然、言葉で。
ぼくは教師として働いているが、この経験が生徒や同じプロジェクトで動いている後輩たちとの関わりの中に活きていることは確かだ。

大学では経営学部にいて、「人に合わせるよりも自分の興味に従う」ことを念頭に置いて授業を選んでいた。「フル単」という言葉は完全に度外視。
面白かったなと思っているのは、「人生の勝ち組になる方法」と題された「人とのコミュニケーションを学ぶ基礎演習」と3、4年のゼミだろうか。

その基礎演習では同じ受講生同士で模擬結婚をし、4組8人ぐらいのグループを「ご近所さん」とする仮想組織をつくり、毎週のレポートと発表をした。さらに、毎週その模擬夫婦で交換ノートみたいなこともやった。
ぼくはこの頃から人間のコミュニケーション、ひいてはコミュニティに興味が芽生えていたのかもしれない。「ご近所さん」によって発表の毛色が違うし、模擬夫婦ごとでもノートの書き方が当然違う。
ちなみに一番最初の授業で「この日は私の家に来てください。絶対です」と言われ、先生の家でホームパーティーをしたことは今でも鮮明に覚えている。ぼくの取ったご飯を先生の飼い犬に食べられたからだ。

ゼミは企業とのコラボレーションがメインだった。いくつかの大学のゼミが企業と一対一でコラボをし、コンペをするといった感じ。
ぼくはゼミを決めるとき「これめっちゃ楽しそうじゃん」と考えて入ったが、2年の終わりに入った学生団体での活動が楽しく、ゼミ活動が二の次になりがちだった。それでかなりの迷惑をかけてしまい、コンペで1番になれなかった。そこで「行動の責任はその行動主に存在する」ということをいやというほど実感した。

しかしそれは「行動することで責任は伴い、その分自由が生まれる」ことに気づいたきっかけでもあった。ゼミの先生は「好きなテーマで卒論書きましょう」と再三言っていて、卒論のテーマ決めにも極力口出ししなかった。
(逆にそれが「全くアドバイスがないから先生に何か言ってほしい」と学部長に相談する事態になったが)
この2年でぼくは「自由とは」を身を以て知ることとなり、それが「遠回りして教職を履修する」理由の1つとなった。

時は流れ2017年、今のぼくに欠かせないものと出会うこととなる。

マーブルタウンである。

岐阜で開催されている記事を見て、それを主宰していたのが学生時代に会ったことのある子だったから、「ボランティアで参加したいです」と連絡をとりOKをもらえた。
参加して「これ刈谷でやったら面白そう」と思い、元々やってた人に会うこととなった。そこで「いずれ刈谷でやろう」となったわけである。昨年9月、それは形となった。

2012年から8年。行動することでいろんなことをなしてきた。

卒論書いた、教壇に立った、マーブルタウンやった、箕輪さんの講演会やった、オンラインで繋がった人たちとリアルなモノを生み出した、、、

語っていたらキリがないが、経験を積むことができたのは確かだ。

そして今も動いている。後輩たちと高校生向けメディア「せんぱいボイス」を運営している。今までの経験が活きている。

(ぼくの8歳下、つまりぼくが本格的に動き始めた時期を生きている子たちがメインで動いてくれている。こういう後輩がいることが本当に嬉しいし、ありがたい)

2020年6月30日、瀧本先生に東大の伊藤謝恩ホールで会うことは不可能だけれど、行動を続けることで、彼の理想とする世の中には進めることができるとぼくは考えている。大学時代に、先生の本に出会えて、瀧本先生の存在を知ることができて本当によかった。

これからもぼくは進み続ける。自分のために。

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