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《本》 落下する夕方

江國香織さんの小説を読んで。

この本は少し前に買っていたけれど途中読みになっていて、最近また読みたいと思い一番初めから読み始めた。後半になるにつれてページをめくる手が止まらなくなり、半分以上のページを今日のうちに進め、題名にもある夕方に読み終わった。

こんな気持ちになったのは久しぶりで、江國香織さんはすごいなと思う。喪失感と温かな気持ち。小説はその世界に入り込めるから、一気に読むのがいいなあと思う。


ページを進めるごとに華子の存在が気になるようになり、何が彼女をこんな風にしているのだろう、と思う。飄々として見えて、所々に影を感じる。その掴めなさ、放っておけなさ、どこかへ行ってしまいそうな儚さに惹きつけられ、めちゃくちゃなことでも許してしまう。そんなところも気になってしまうのかなと思う。

それは自分にはできない憧れでもあるし、どうなってしまうか分からない不安でもある。多くは語らない、何も信じていない。けれど、弟のことは愛している。そんなところに人間的な魅力を感じ、ほっとする。彼女にも心を許せる場所があるのだと。


華子は何から逃げ続けていたのだろう。そして、最終的に逃げることはできたのだろうか。彼女が望むゲームオーバーにはたどり着いたのだろうか。梨果や健吾、そのほかの周りの人々と出会うことで何かが変わったんだろうか。

それとも梨果と出会い、生活を共にし、一緒に逃げてくれる人がいるというその事実に安心し、死ぬことを選んだのだろうか。私には分からないけれど、少しでも生きていて良かったと華子が思うことができる瞬間があったのなら、いいなと願う。


梨果は華子に出会ったせいで大きな悲しみを負ったとも言えるし、華子に出会ったおかげで失恋から前に進めたとも言える。

出会いとは分からないもので、いつどんな人と出会うかも、どんなことが人生を変えてくれるのかも、後になってみないと分からない。それが良かったのか悪かったのかは分からない。ただ変わったというだけ。それでも、梨果は華子に出会う意味はあったんだと思う。


“そうしてまた、これは格好わるい心の物語でもあります。格好わるい心というのは例えば未練や執着や惰性、そういうものにみちた愛情。”


人間にはいろいろな感情があって、それは格好いいものだけではない。格好わるいものもたくさんあり、そういうものも正しい人間の感情なのだと、そういう気持ちを持ちながらも人は前に進んでいくのだと、なんだか肯定してもらえるような物語だなと思った。

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