献血のタブーを3回犯した話
私は定期的に献血している。
母が2回ガンをやっていて、その手術で輸血を受けたので輸血提供者の方々にとても感謝している。母の命を救ってくれた人達のように自分も他の誰かのために貢献したい。それが献血を始めた最初の動機だった。
今では母はピンピンしているので、彼女が癌サバイバーだという認識も薄くなってしまった。以前の使命感も薄れてしまっている。あまりに献血しすぎてもはや献血に行くのにあの頃の志はない。もう習慣になってしまっている。
初めての献血はとても緊張した。問診での確認事項がたくさんあったり、副作用に怯えたり、採血の針よりも太い針の痛みに耐えられるかどうか心配したり。
今はもう献血時に動揺することはない。終始平常心である。
あらゆる確認事項には頭を使わず自動的に回答できるくらいに何回も回答を重ねてきたし、針の痛みにも慣れた。10回以上献血をしてきたが一回も献血後に不調になったことはない。私にとって献血は完全に安全だという認識だった。
さて、今回の主題に移ろう。
私は3度、献血のタブーを犯している。1つ目は血抜き後の大量飲酒、2つ目は貧血気味×猛暑日×寝不足×粗末な食事の日の献血、3つ目は献血後の激しいキーボード演奏だ。
① 血抜き後の大量飲酒はシャレにならない。かなり酔いが回りやすくなる。
血を抜く=体の水分を抜くということは脱水状態ということだ。脱水状態の時に大量飲酒をすれば大変なことになるのは明らかだ。
あの日の私はハイボールを3杯、梅酒ロックを2杯、日本酒2合を飲んだ。ただでさえ献血後の飲酒は禁忌であるのにちゃんぽんをしてしまった。
案の定悪酔いして目の前が真っ白になった。気づいたら自宅の玄関で寝ていたが、どうやって帰ったかの記憶は全くない。運良く帰ることができ、目覚めることができたからいいものの、急性アルコール中毒などで死んでた可能性は大いにある。犯罪に巻き込まれてしまうこどあったかもしれない。馬鹿すぎる。以来飲酒が怖くなり、外ではあまり飲まなくなった。
②最高気温35度の日だった。面接を2社受けた帰り、お金がないが空腹と喉の渇きを癒したい、という動機で近くの献血ルームに向かった。2社とも駅遠の会社だったのですごく汗をかいたのを覚えている。ただでさえ35度の高温に焼かれて汗ダラダラなところを、地獄の暑さを誇るリクルートスーツ着用によって通常よりも大汗をかいた。
問診では3時間しか寝ていないところを7時間寝たと言い、食べていない朝ご飯を食べたと答え、面接の移動中に何度も立ちくらみをしたが元気だと答えた。献血慣れしすぎてに「献血可能」な回答をするように脳にプログラムされてしまっていた。看護師さんや医師の方々をだまくらかして私は血抜きに至った。
帰り道、視界に靄がかかり(テレビの何のチャンネルも写っていない時のザーッとなっている画面の丸版が視界をうろちょろする感じ)気持ち悪くなりつつも帰宅し、玄関口に倒れ込んだ。ご飯も食べずに寝てしまおうかと思ったが、なんとなく危機感を覚え、2Lペットボトルをがぶのみした。これがナイス判断だったと思う。あのまま寝ていたら、熱中症の死亡者欄に名を連ねていたかもしれない。一人暮らしなのだから必然的に発見は遅くなるので最悪の事態になりかねない。馬鹿すぎる。
③学生時代、ちょっとだけバンドのお手伝いをしていた。ピアノがメインの曲をやる時だけ参加していた。
大学に来ている献血の車にはつい引き寄せられてしまう私である。その日も献血カーの姿を学内に発見し反射的に乗った。
いつものように血抜きをしてもらってバスを降り、そのまま次の授業へ向かった。授業が終わったらすぐに練習へ向かうのだが、その時にはすでに献血したことなんて忘れ去っていた。
お手伝いしているバンドは一回没頭してしまうと3時間は演奏しっぱなしの熱心なバンドだった。その日も例に漏れずぶっ通しで演奏し続ける。
演奏していると、いつもと打って変わってなんだか手元がツルツル滑る。手元を見ると真っ赤だ。鍵盤に落ちていたのは汗ではなく血だったのだ。出所は献血の針を刺した場所であった。
私は3度も献血のタブーを犯してしまった。失敗して学ぶ、というのも人生において必要なことかもしれないが、献血の場合命に関わるので例外である。
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