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バレンタインなんか、大っ嫌い。


あげる予定もなくて、あげたい人もいない。

三度の飯より恋をください、の私にとっては、

そんなバレンタインは、たぶん久しぶりだ。




バレンタインの数日前、マッチングアプリで知り合った人と、あわよくばの駆け込みデートを入れていたのだけど、とてもいい人だった、という、それ以上でもそれ以下でもない、またお前か、というくらい馴染みのある感覚で、最後の期待も儚く散ってしまった。


その日から、やけに気分が重たくて、からだもこころも思うようにならなくて、不調を抜けないまま、今日を迎えた。


そんな自分の気分を少しでも上げたくて、近くのケーキ屋さんまで行って、チョコレートケーキを買ってきた。



せっかくの日曜日なのにね。

せっかくこんなにいい陽気なのにね。



愛したい相手がいないことは、私にとっては心身に不調をきたしてしまうくらい、味気ないのかもしれない。

でも、この陽気のおかげで、48時間くらいふさぎ込んでいた心が少しだけ前向きになって、久しぶりに自分のために生チョコでも作ろうかなという気になって、材料も買って、春めいた陽気の中を、ひとり歩いた。


あげる人も、あげたい人も、いないバレンタイン。



私の事情にはお構いなしで、世の中は、嫌でも、バレンタインのことを、私に知らせてくれる。


いつかこうなりたいと、憧れでフォローしているTwitterの惚気アカウントの方々も、

今、私の目の前を、手を繋いで歩く、旦那さんと赤ちゃんを抱っこした奥さんの夫婦も、

いつもは、幸せをおすそ分けしてもらうけど、今日はちょっと優しい気持ちになる余裕がないみたい。


こんなはずじゃなかったのに、と思う。

いつになったら、私は、“みんな”みたいに、大好きな人と手を繋ぎながら、幸せを感じることができるんだろう、と思う。

もう、十分に、私は私を愛せるようにもなってきたはずだけど。

私は私の寂しさを、優しく包んで抱きしめられるようにもなってきたはずだけど。


やっぱり、寂しい。


もう、寂しさそのものを否定する気持ちもだいぶ和らいできたけど、それでも、こんな日にも空いている私の隣は、風通しがよすぎて、ちょっと戸惑う。



だからかな、ケーキ屋さんからの帰り道、バレンタインの思い出なんか、思い返してしまった。

あの日、チョコを受け取ってもらえなかったこと。

そういえば、あの日も。


これまで、私が、愛そうとした彼らの顔が浮かんでくる。


思い返せば思い返すほど、バレンタインにいい思い出なんてないことを、思い知ってしまう。



だけど、

いっそ、誰もいないなら、今年は、これまでのバレンタインの総集編を、ちょっと書いてみようかな。

心の底から、書こうと思い立って、言葉を並べ始めたら、さっきまでの体も心も重い私はいなくて、俄然やる気になって、ケーキをたいらげて、今、椅子にすわってる。


ブログがあって、よかったね、私。



***



私の初めてのバレンタインは、幼稚園のとき。


同じ団地に住んでた、ひとつ年上のあきらくんにあげるチョコを、お母さんと一緒に作った。

チョコを白とピンクと淡いグリーンの3色に染めて、大きなハート形に固めたチョコを3つ、白いトレーに乗せた。


緊張していたのか、肝心の、あきらくんにあげたときの記憶は残っていないのだけど、私の鮮烈なバレンタインデビューとして、3色のハート形のチョコが、記憶に焼き付いてる。



初めてのいわゆる本命チョコは、中学3年生のとき。

隣の中学校出身の、一つ上の先輩だった。

中学1年の夏に、部活の大会で、人生初の一目惚れをしてから、ずっと好きだったのだけど、
私が中学3年、先輩が高校1年のバレンタインに、初めて、チョコレートを渡すタイミングが訪れた。

それまでは、1回告白して、今は受験に集中したい、と振られていたり、先輩の受験の時期だったりして、タイミングがなかった。

当時、高校を選抜入試で受験した私は合格発表が少し早くて、たしかバレンタインの1週間前とかが、合格発表だったのだと思う。

もしも、合格したら、先輩に、バレンタインに会ってください、とメールする、と決めていて、私は、無事、第一志望に合格した。

だけど、部活の強豪校に行くために、地元から離れた寮に入った先輩が、私に会ってくれるなんて、奇跡でも起こらない限り、ありえないとわかってた。

それでも、聞いた。
合格した記念に、聞いてみよう、みたいな気持ちだった。


「先輩に、渡したいものがあるので、会ってくれませんか?」

先輩のために設定してる、着信音が鳴った。


「今度帰るから、そのときだったら会えるよ。また、あの駅で待ってるね」


それを見た瞬間、私は履いていたスリッパを天井にぶち上げて、ベットに倒れ込んだのを覚えてる。



頭が真っ白になって、ただ、奇跡だ、と思った。

しかも、前に一度、待ち合わせしたことを覚えていてくれて、「またあの駅で待ってるよ」というセリフが、どんなドラマよりもドラマだった。



それからの一週間、レシピ本を買い漁って、ネットで調べに調べて、私ができる中でいちばんの最高傑作を作ろうと必死だった。

そんな命懸けのチョコを、ぶっつけ本番で作ることなんてできないから、練習したのだけど上手くいかなくて、「材料を無駄にして」と、おばあちゃんに怒られたような気もする。

それでも、人生懸けた試合前のアスリート並みの気迫を前にしたら、おばあちゃんの怒りも無意味。

家にある道具を総動員して、台所も自分もチョコまみれになりながら、やっとの思いで作ったチョコ。

できたのは、前日の深夜だったと思う。



チョコのトリュフを4つ。

ナッツをまぶしたり、生チョコだったり、ホワイトチョコだったり、味を変えて。

100均で売っている中でいちばん可愛いと思った、真っ赤な箱に入れて、プレゼント用の紙袋に入れたのを覚えてる。





待ち合わせ当日。

何度も降りている地元の駅が、私には初めて降り立つ夢舞台のようだった。


地元の冬は、寒い。

氷点下が普通の山奥で、ぽつりとある無人駅。

1年でいちばん寒いであろう2月に、生足にミニスカートに白のロングニットという格好で挑むのは、あまりに寒すぎる。


でも、そのときの私が世界一可愛いと思う格好で行った。


たぶん、寒さなんて関係なかった。

2年以上、ずっと好きで、想い続けた先輩が、私に会いにここに来てくれる。

何を話したらいいんだろう。
とりあえず、気持ちは伝えよう。

緊張と、嬉しさで、今すぐにでも空を飛んでしまいそうだった。


命懸けのチョコを持って、命懸けの勝負服でそこにいた私とは対照的に、高校の部活の黄色いウインドブレーカーで、少し、手をあげて私に合図して、先輩は登場した。

先輩が見えたときから、私の頭はもう真っ白で、声が届く距離で先輩が止まったとき、

「お、お久しぶりです」

緊張できゅうっと縮んでしまった声帯から、そう絞り出すのがやっとだった。


「渡したいもの、こ、これです。チョコです。よかったら、受け取ってください」


先輩は、言った。


「………もらえないよ」


時が止まったかと思った。

緊張で震えていた足から、崩れ落ちそうになった。


告白を、振られる展開は予想してた。
でも、私の予想より早く、先輩は断った。


「…え、なんでですか?」


「お返しとか、できないし…」


「…いや、お返しとか、いらないので…もらってください」


「…ごめんね。…用事があるから、行くね。」



たしか、会話はこれで終わったと思う。


先輩は、混乱して立ち尽くす私に何の未練もなく、くるりと背を向けて、歩いていった。



呼び止める気力もなかった。


大好きで、夢に見ていた先輩との1年ぶりの再会。


何を話そうか、楽しみで、緊張で、溢れて、胸の高鳴りで心臓ごと爆発してしまいそうなほど、期待した時間。


それなのに。

現実は、先輩の登場から、退場するまで、ものの3分くらい。


あれからもう15年近く生きてるけど、あんなにも、なんだったのかわからなくて、形がなくて、確かにあったはずなのに、何も掴めなかった3分は、今日まで出会ったことがない。



今なら、いや、何しに来たんだよって、ツッコミを入れてしまうと思う。


自分のことを好きと知っている女の子から、バレンタイン直前に、渡したいものがあるって言われて、わざわざ離れた場所から会いに来て、渡したいものを、受け取れない、と帰っていく心理を述べよ。


わからない。

国語は得意で、どの教科より好きで、想像力がたまに解答を超えていって、独自のストーリーを生み出してた私でも、一生解けない。


いや、ほんとは、解きたくないだけかもしれない。



とにかく、当時、私は、立ち尽くすしかなかった。


なんで、先輩は、来てくれたんだろう、と思った。

どうして、会ったんだろう、と思った。

先輩が視界から消えて、やっと寒さを感じてきて、体ががくがくと震えだした。

スカートから出てる私の足は、血が流れているのが嘘かと思うくらい、冷たくなっていた。

やりきれなくて、涙も出なかった。


住み慣れた田舎の電車のダイヤに、あの日ほど無力感を感じたことはない。

次の電車が来るまで、あと1時間。私は、こんな格好で、こんな気持ちで、過ごさないといけない。


先輩と話せるはずだった幸せな1時間は、寒くて虚しくて心も体も痛すぎる1時間に変わってしまった。


誰もいない駅のホームでしゃがみこんでいたら、先輩の着信音がなった。


駅にひとり取り残された私に、先輩はどんなつもりでメールをするんだろう。さらに混乱して、急いで、受信ボックスを開いた。


「ごめんね。言い忘れたけど、ありがとう。」


それを見た瞬間、堰を切ったように、私は大声で泣いた。


ありがとうと言うくらいなら、もらってほしかった。

嘘でもいいから、受け取ってほしかった。


先輩が、受け取れなかったのは、チョコじゃなかった。

先輩が、受け取れなかったのは、私の気持ち。


そんな誠実さを受け取れるほど、大人ではなくて、先輩を好きという気持ちだけで精いっぱいだったあの日の私には、まだ、痛くて、酷かった。



そんな経験をして、もう恋なんていいや、と思ったのもつかの間、次の年のバレンタインは、同級生の男の子に渡した。

正確には、渡したかったのだけど、渡せなかった。

恋なんていいや、と思っていた私に、もう一度、恋をさせてくれた彼は、一見、おとなしそうな男子だった。

妹がいて、女の子と距離が近くて、話しやすい彼は、私の心の隙間にそっと入ってきた。

メールも電話もして、すごく優しくしてくれた。
私の名前を、呼び捨てにした。
きっと、彼は私のことを好きでいてくれるんだろう、と思ってた。

だから、バレンタインは、告白してからチョコを渡そう、と思って、作っていった。

体育館の裏に呼び出して、綺麗にラッピングしたチョコを後ろに持って、私は、彼に「好き」と伝えた。

勝負は決まってるはずだった。


でも、彼は「ごめんね」と言った。

私は、わけがわからなくて、彼が私のことを好きではない、ということを理解するのに、少し時間がかかった。

でも、この、後ろに隠しているものは、私には渡す資格がないんだ、と、悟った。


大学時代は、ほぼ一人の人を追いかけていたけど、

思い返せば、チョコを渡す、というところまでいかないところで、攻防戦を繰り広げていた。

何それ?って感じだと思う。

私も、何それ?って今は思う。


彼は、恋愛にトラウマがあったらしく、とにかく、少しでも、恋愛として好き、ということを感じ取ると、すぐに心のシャッターを下ろす彼だった。

私も私で、そんな彼に、何度か告白して、何度もぶつかった。
ぶつかって、音信不通になって、また戻って、を繰り返してた私も、いつしか好き、というのを見せなければ、彼はどこにも行かないのかもしれない、と学んだ。

そんなふたりにとって、チョコを渡す、というのは、まさに、禁忌事項だった。

彼に、義理チョコなんて渡せないし、彼に渡すなら、どうしたって本命チョコにならざるを得ない。

彼も、きっと、そのチョコの意味を考えすぎて、私とどう接していいのかわからなくなってしまうだろう。

本当にめんどくさいふたりだったと思う。

仲良くなりたてで、まだ、私も彼もお互いの気持ちに気付く前に、商店街のお菓子屋さんでバイトしていた彼が、ホワイトデーの時期に、君にあげようと思って買ったよ、と、明治のホワイトチョコをくれたことがある。

私は、君にもらったその箱を、その後何年も、捨てられなかったよ。

この彼は、もちろん、この手紙の彼なのだけど。



その後、何度か、恋人と、バレンタインを過ごしたけれど、どうやって過ごしたか思い出せなかったり、関係が冷えてしまった中で迎えたタイミングだったりして、私の中で、すごくいい思い出としては、残っていない。



20代後半になってからは、作るのはやめてしまって、百貨店で買うようになった。


その後、大好きで、彼も私を大好きと言ってくれる人ができて、渡したくて買ったチョコ。

でも、恋人がいる人だったから、結局、迷って、渡すことができずに、自分で食べた。


これまでも、渡せなかったときは、自分で食べていたけど、私、自分で食べている率が尋常じゃなく高い気がする。


そして、また、違う人を好きになって、その彼にあげるチョコを選ぶために、百貨店をいくつも回った。
いろんなことにこだわりが強い彼が喜ぶかなと思って、老舗のパティスリーにも行ってみた。

悩みに悩んで、決めたチョコ。

彼が好きだと言っていたモチーフのメッセージカードを見つけて、「好き」と言う言葉だけは使わずに、ありとあらゆる言葉で、愛を伝えるメッセージを綴った。

1枚しかないメッセージカード。
失敗できないと、気合を入れて書き始めたのに、最初の「○○へ」のところで、「くん」を入れ忘れて、なぜか彼の名前が呼び捨てになってしまった。

一度も呼び捨てで呼んだことなんてなかったのに。

封筒に入れて、チョコレートの箱の下に、そっと張り付けておいた。



それなのに、当日、彼とケンカをした。

というか、彼がある約束を忘れていたことに対して、一方的に私が怒った。

それでも、彼のためにチョコを選んで、心を込めてメッセージを書いた私のために、これだけは渡そうと思った。


別れ際、

「それ、怒ってないときに用意したやつだから、今は、怒ってるから無効だから」と、我ながらすごく可愛い手紙を、それ以上に可愛くない渡し方で、渡した。

彼は、嬉しかった、とLINEをくれた。
仲直りして、一か月後、また彼に会いに行った。

私の世界には、ホワイトデーというものがあって、それは、バレンタインの一か月後なのだけど、彼の世界には、ホワイトデーなんか存在しないのかと思うくらい、何もなかった。


「手紙、嬉しかった?」と聞いたら、
彼は「嬉しかったよ。ありがとう」と言った。



「あれは、私の、ラブレターだったんだよ」



そう言うと、彼は本当に一瞬だけ顔色を変えて、でもすぐにいつもの彼に戻って、


「名前、呼び捨てだったけどな」と、笑った。


だから、私も笑った。

彼が、何もしないことは、わかっていたけれど。
わかっていたけど、それでも、何かあるんじゃないかと思った。


お返しがないからって、彼にがっかりするなんて、見返りを求めてる時点で、愛じゃない。

そう思う私もいた。


だけど、その出来事がきっかけで、彼との関係性が、私の中で諦めに変わっていくのを、止められなかった。

彼には、私は、何も期待できない。

そんな関係性が、ただ、ひたすらに寂しかった。





***




そんな、バレンタインの思い出たち。


自分で思っていた以上に、幸せな思い出がなくて、今、驚いてる。


バレンタインだけを切り取ると、こうなってしまったけど、どれも、楽しくて、大切だった恋の話だということに変わりはない。


ただ、生まれつき、私、バレンタインとの相性が悪いのかもしれない。



わかってるよ。

というか、今なら、わかるよ。

彼らには、彼らの事情があって。

タイミングがあって。

受け取れない理由があって。

気持ちを返せない理由があって。


それは、ただ、私のことを好きじゃなかったからだとしても、それ以外にも理由があったのだとしても、
彼が私の気持ちに応えられなかったことと、私の価値は、別。


今なら、わかる。


私は、何一つ、悪くなんかない。

私の愛に価値がなかったわけじゃない。


それでも、思っちゃうじゃない。


私が、もっと、彼好みの女の子だったら、結果は違った?って。

私の愛に、もっと、魅力があったら、受け取ってもらえた?って。

きっと、バレンタインは、これまでの私にとって、愛させてもらえないことを知るイベントだった。


好きな人を前に、何度も思った。

ああ、やっぱり、私じゃ、だめなんだ。

私、こんなに、あなたを愛したいのに。


これまでの私にとっては、ここで終わり。


でも、今の私には、続きがある。

それでも。

それでも私、毎年毎年、懲りずに、愛そうとしてきたんだよね。

こんな思い出しかなかったら、少しくらいバレンタインを恨んでいてもいいと思うんだけど。

でも、私、バレンタインが嫌いって気付いたのなんて、今日が初めてで。

バレンタインに怒っていたことに気付いたのなんて、今日が初めてで。

どれだけ受け取ってもらえなくても、
毎年、毎年、次こそはって、

バレンタインに怒ってることに気付く隙もないくらい、好きな人を、愛そうと必死だったんだね。


今年、愛する相手がいなくて、やっと気づいた。

私、バレンタインが、嫌いだった。

バレンタインなんて、大っ嫌いって、生まれて初めて、叫んだ。


愛を受け取ってもらえなかった、思い出が多いから。
でも、愛を受け取ってくれない彼らを嫌いにはなれなかった。


いつも、私が悪いんだ、と思った。
愛を受け取ってもらえなかった、私が、嫌いだった。

それでも、

それでも、誰かを、愛そうとし続けてきた私が、今は、愛おしい。

今年はちょっと休憩したけど、来年も、再来年も、私は懲りずに愛し続けていると思うから。

いつか、バレンタインのことも、大好きになるから、待っててね。


あなたのサポートと、気持ちを受けとったら、きっとまた素敵な文章を生み出しちゃいます。応援に、文章でお返しし続けられるような、生きるアーティストでいたい。