見出し画像

人のせいにすることは、他人に人生を操作させるのを許すということ

私は、自分の人生で起こる、全ての出来事を人のせいにせず自分の選択の結果として受け止め生きていくと決めています。無論、これを他人にも強要しようという気持ちは、髪の毛一本分もない。ただ、私は、どんな不条理なことが起きても自己責任論で生きていきたいのです。なぜなら、人のせいにするということは、他人に人生を操作されることを自分が許可するということだからです。人生生きていれば、人のせいにしたくなる時もやってくるでしょう。そうした方がその瞬間は楽かもしれません。しかしそれは、裏を返せば、自分の意志によって自分の人生を作るのを放棄することを意味しているのです。

例えば、何か自分の思い通りに行かなかった時。それを周りの環境や周りの人のせいにしてしまえば、その瞬間は、自分を責める必要がなく楽だと思います。しかし、その連続で人生を生きるとなると、あれもこれも、自分の人生は誰かや何かのせいでうまくいかなかった、自分は、自分の人生を思い通りに作っていくことができないという無力感に陥り、その世界に入り込み、そのその無力感を増長させるという悪循環にはまっていくだけです。

対して、自分の人生で起こること全てに責任を負うという考えで生きれば、自分が思い通りにならなかった時、その瞬間は自分の失敗として処理しなければならないので辛さが伴うかもしれません。(その苦しみも捉え方一つで軽くなるし、苦しみが人生の醍醐味の場合だってある)しかし、それは、自分の人生は自分で作れるということを意味しているのです。どんなことだって、 自分が作り出してきた、作り出している。その意識で生きれば、自分が自分の人生に対して積極的になれます。そして人生をよりよくしようと自分から前進しようとします。だから、人のせいにする人生よりも成長していけると思います。 

これもバランスの問題で、人生のどこからが自己責任でどこまでは誰かのせいなのか、人によって異なると思います。ただ私は結構強めで、自分の生まれる場所は自分が決めて生まれてきてると思っています。また、死ぬということも、潜在的な自分の許可であったり選択によって起こるものだと思っています。だから、いつ死んでもそれも全て自分が選んだ結果なのだと受け止めるし、どんなこと辛いことが起きても、これが潜在的な自分が自分にくれた成長のためのプレゼントなのだと思うことにしています。それは一見、大変な感じがするかもしれませんが、それは逆に、人生で起こりうることは全て自分が創造しているから、どんな未来だって作り出すことができるのだという希望とワクワクしか生まれない考えに私を導いてくれます。だから私は、この信念で生きていこうと思っています。誰も責めたりしません。全ては自分の選択によって必然の内に起こっているのだから。 

無条件の愛に包まれた最高の一日を! 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?