日常生活のヨガ哲学 ーヤマー 非暴力  その2

非暴力だなんて、日常的に暴力振るったりしないよーて思うだろうけれど。


私が一番陥りやすく、多分一番酷いのは、自分に対する言葉の暴力である。


それすなわち周りへも、”批判”という形で当然の様な顔をして投げつけたりしているのだ。あぁ、怖い。

批判というのは、他人に下すだけではなく、その枠を持っている自分自身をもその基準で判断してしまう。


自分をそんな批判的に見てはいない、と思っても。


潜在意識には主語がない。

因みに否定形も認識しない。


だから、誰かの事を悪く言うと、潜在意識はそれをそのまま自分に対する言葉だと認識するし、「私は病気になりたくない」と思っていると「私は病気」の部分だけが認識される。そして現実に病気になってしまったりね。


だから否定的に、悲観的に考えるのはやめよう!!!


とは言え、それが出来ないから苦労してるのだ。


そんな人にこそ

ヨガはオススメだ。


地道な訓練は全て自分を客観的に見つめることが出来るようになるため。


自分への自己嫌悪や、批判、落ち込んだり、怒りや寂しさにどっぷり飲み込まれて苦しい時に、ふと「うわ!自分まだこんなに色々考えてるのか!」「こんな寂しかったんか!」と感情の波に溺れている自分から離れた視線で見られるようになる。

そうなればしめたものである。

そこで感じている感情は思いっきり感じて味わったらいい。


だって、怒りたいんだもの。

寂しいんだもの。

苦しいんだもの。


存分にその感情に浸ったら「ありがとうございました」と手放したらいい。

ネガティブな感情は、二度と味わいたくない!と思うだろう。
けれど、その感情自体が悪いわけではない。

それらは「ここに伸び代があるよ」という自分からのアドバイスだったり。すぐイライラするのはただ単に身体がムズムズしてるよっていうサインだったり。その感情を通して今の自分が見えてくる。

浮かんでくる不安や、怒りやイライラを十分感じ切る。そして手放す。
そうする事で「自分はまだまだだ、、、」のような批判的な考えを漠然としたネガティブエネルギーとして捉えるのではなく、「なぜ、どこがまだまだと感じてるんだ?」と建設的なアドバイスをもらっているような視点に変える事が出来るのだ。


反対にすごく喜んでいる時、幸せな時、嬉しいと思った時にもその視点を発動出来ると、自分の中の価値観が更に浮き彫りになってくる。


幸せや、嬉しいというポジティブといわれる感情も、そこにずっと浸れるわけではない。味わい尽くしたら、やっぱりリリース。いつまでもその感情を手放そうとしないと執着に変わっていってしまうぞ。

それ以前に、他人からの評価や価値基準、思い込みによって自分の喜びを発動させているっていうのは、やはり頂けないなと思う。



そして何よりも。



まずは、ネガティブだろうがポジティブだろうが、感情を持って「今」生きている、自分そのものの存在をそのまんま認める。

どんな自分だって今そのまんまで最高最善なのだ。



純粋なエネルギーで今その瞬間の幸せに集中したい。

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