アパート【♯6】
りんの考える自身の父親とは、気難しいぶってるがどこか抜けたところのある不思議な人だった。
たまに突拍子もない行動をして家族を振り回す。面倒くさいけど面白い子どもみたいな父親だ。
※
そんな父親、最近は仕事場が近いらしく家にいる時間が長い。りんにはよく分からないが父の仕事は大工さんで、お家を建てる場所が仕事場だというのはなんとなく分かる。
りんには寝たきりの妹がいるので在宅で介護をする母親は、父の仕事場が近いと何かと助かるようだった。
りんは何かと揶揄ってきたり手加減のできない父が家にいると、そのちょっかいの仕返しをどうしてやろうかとつい考えてしまう。
その仕返しの一つがエレベーターと階段でどちらが先に目的階に着くかの競争だった。
特に登校と出勤の重なる朝に競争する事が多い。
そしてエレベーターの方が早く目的階に着く。
父は何故か階段を選ぶので、この時ばかりはりんが必ず勝てるのだ。父はアホかもしれないと、密かに思っている。
※
そしてある朝も、その競争をする事になった。
もちろんりんはエレベーター、父は階段で一階まで降りる。いつも通りだった。
「お父さんは足が遅いから、今日もりんが勝つはずよ」
「分からんよー。1回ずつ止まればお父さんが先に着くさ。したら置いて先に行くからやー」
いつも通り、このエレベーターで低身長のりんでも唯一届く「1」のボタンを押してブザーが鳴るのを待った。
閉じる際のブザーが、用意どんの合図だ。
りんでは、1番高いところにある「閉」のボタンが届かない。なのでエレベーターが自動で閉まるのを待つしかないのだが、その際に注意を促す目的で「ビー!」とけたたましいブザー音が響くのだ。
そのブザー音で扉は閉じるし父親はエレベーター正面に位置する階段を駆け降りるのだが、
ーーあれ、ブザーが鳴らなかった?
初めて父がじっとこちらを見つめ続けているのを見届けながら扉はスッと閉じた。
なんとなく違和感を感じながらも、エレベーターの箱内はいつも通りであった。
天井についたライトがクリーム色の壁を照らし箱内はいつも通り明るい。
ーーなんか変だ、とは思うけどいつも通りだと思う。
りんは受話器のマークの、緊急連絡ボタンを見つめながら心細くなりながら一階に着くのを待った。
一度も他の階で止まらなかったエレベーター。
いつもより長く乗ってるように感じた。
※
一階に着いた。
あまり新しくないのか扉はガタンゴトン無駄に音を立てながら開いた。
もうあまり勝負のことは頭に無かったが、なんとなく足早に降りて正面の階段を見つめた。
早く父親と合流してさっさと玄関ホールを抜けてしまいたかった。
父親はなかなか降りてこない。
いつもタイミングを計ったかのようにドタバタ踊り場から長い足から見えるはずなのに…。
そのとき、
ビー!ビー!ビー!ビー!ビー!ビー!
エレベーターのブザー音が激しく鳴り響いた。
普通閉じる時は1回ブザーが鳴る。
こんなに何度も何度も。これは初めてのことだった。
ギョッとして飛び上がった。
唐突に背中に響いた大きな音に驚き思わず振り返る。
あまりに驚いたから心臓がバクバク言ってる。
なんと、扉は閉じているのにブザーが鳴り響いていた。
気持ち悪い。やっぱりいつもと違う。
機械だから壊れる事もあるかもしれない。
父親が全く姿を見せないのも気にかかる。
普段の父の、余計なことをしがちな性格を思えば、
もしかしたら踊り場に隠れてるんじゃないの、と思う。
でもこんな大きな音に様子を見にこないなんてあり得るだろうか。
りんは父親を探すのとエレベーターの調子がおかしいのを伝えようと、階段に向かって歩き始めた。
一段目に踏み込んだとき、
「ちょっと行ってくるから先行っとけー」
と、父の声がした。
急に声をかけてきた事に驚き段差から足を下ろし、りんは見えない父親に大声で答えた。
「何かあったのー?先、学校行ってていいのー」
するとやはり
「ちょっと行ってくるから先行っとけー」
と返ってきた。
不思議に思いはしたものの、あまり突っ込むとムスッとする父親のことだ。面倒に思い階段に背を向け玄関に向かった。
「じゃあ先行くからねー?いってきまーす」
「……」
ビービー鳴り続けるエレベーターの事もあり、りんは躊躇わず玄関を出た。
ーー張り上げた声でもないのに、ビービーうるさい中よく通る声だなぁ、と思った。
それも登校中の友人たちを見つけた時には、どうでもよくなった。なんなら家に帰るまで、あまりこの朝のことは気にならなかった。
※
夕飯の準備中に父は帰ってきた。
最近、母と不思議体験をしてしまったので鍵をかけるようになっているのだが、父はまだ慣れないのか一度ドンとドアを引き、それから思い出したように自分で鍵を開けて入ってくるのだ。
なるべく父が鍵を開ける前に開けてあげて出迎えてあげるのだが、今日は間に合わなかった。
未だ荷物を下ろしたりと玄関にいる父にお帰りなさいと告げると、父は思い出したようにりんに言った。
「朝、エレベーター壊れたみたいだったけど大丈夫だったか?」
「あー、やっぱ壊れてたんだァ。ずっとビービー鳴ってたもんねェ」
なるほどと思い父に声かけた。
「今帰ってきた時はなんともなかったみたいだけどよ、」
と言いかけながら父は自身で言葉を遮るようにそのまま言葉をよこしてきた。
「ブザーもなんの音も鳴らなかっただろう。ずっと扉も開きっぱなしでおかしくなっていたさ」
父は怪訝そうな顔つきだった。
りんは思いがけない言葉に少し驚いた。
「え、私が降りてドア閉まってからが、ずっとビービーしてたはずよー?」
父親はーーはぁ?と言いながらそのまま玄関で汚れた作業着を脱ぎ始めた。怪訝そうな表情はどんどん色を濃くする。
「大体よ。お前も一声も掛けずに先行ってからに。お父さんびっくりしたさ。なんか変だなーって時ほどちゃんと顔見てから出かけないと心配なるさ」
「なんで?お父さんが、先行っとけー言うからが置いてったんだよ」
玄関横の浴室に入ってた父は、怪訝な顔のままひょっこり顔を覗かせた。
「お父さん、アンタに何も言わんかったよ」
父は首を傾げながらーー管理人のオジィかね…と言いつつ、浴室を閉めた。
りんは、混乱したまま父の作業着をベランダの洗濯かごに持っていき、バスタオルや部屋着を浴室の手前に置いた。
ーーなんかあったの?と夕飯を作りながら聞く母の背中に張り付き、自身の記憶を整理するように
--あのねー、うんと、今日朝によー…と思い出しながら母に話を聞いてもらった。
食事中、父とも話をしたくうずうずしていたのに、
肝心の虎党の父はナイター中継に夢中で結局この日、話が出来ぬまま、1日が終わってしまった。
--明日こそ聞いてもらおう。
時間や状況の矛盾に気味悪く思うのは、それから何年も後のことなった。
「そもそもさ、私、あの勝負で「用意どん!」なんて言ったことないし」
ところで余談ではあるが、
このアパートのエレベーター、その後何度か住人からクレームが出たものの、滞りなく老朽化まで働き続けた。
クレームの多くは「不安だから日本製に買い替えてほしい」という要求であった。
なぜなら、この出来事から数年後、死亡事故等で世間を騒がせたS社製だったからだ。
それと一連の不思議な出来事の関連はわからない。
あの事故で犠牲になった方のご冥福を祈ります。ウチのエレベーターは、怪我に繋がるトラブルはなく、老朽の進み引退するまで頑張っていました。今は日本のH社のエレベーターが頑張ってます!
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