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私にとっての挫折って何かなとふと考える

「挫折とかしたことあるの?」

と、最近仕事に転機が訪れた私に友達が聞いた。

「いや、まぁ、人間だからね。」

と、その場では深く考えずに答えたけれど、後から振り返って多分私はあんまり挫折を挫折と思わない方なのかもしれないと思った。

私は、人には必ず「その人だけにできること」があると考える方で、あまり苦労をしなくても人よりほんの少しもともと出来てしまう、そんな秘めてる部分をみんなどこかに持ってると思っている。だから、まだペーペーの人生だけど、一応「私だからできることって何かな」と、ここまで考えながら生きてきた。

だから、その都度挫折みたいなものがあっても、それが後ろ向きなことではなくて、「あなたにとってはもしかしたらこっちの道じゃなくてそっちの道の方が合ってるのかもね」っていう前を向くための道しるべだと思ってきた。

自分にとっては大きな一歩になるお仕事に就くことになったので、
どんな点と点が繋がって、英語を研究するという今の自分の地点に来たんだろうと振り返ってみた。人と比べて全然自分が出来なくて悔しいな、情けないなと思ったことは数え切れないくらいあるけれど、ザセツと呼んでもいいかなと思うものは、3つくらいあるので振り返ってみる。そのザセツがあるたびに新しい道を開いてもらったので、大きく3つ、分岐点がある。

そうすると高校生の時まで振り返ってしまうんだけれど、自分の備忘録としてこの際思い切って少し振り返ってみようと思う。


高校生、「英語」を軸にする道に進む

高校1年生でダンス部を辞めて、高校のいつかで演者になることを辞めた。
これが、たぶん一つ目の挫折。若い時の話じゃないかとも言いたくなるけれど、私は割と小さい頃からダンスとか演劇とか表現の世界にいたので、それは少し大きな出来事だった。
なぜダンス部を辞めたのか。一言で言うと、びっくりするほど自分には才能がなかったからだと思う。中学から同じメンバーでやってきたけど、年に何回もある部活内のオーディションなんて一つも受かったことがなく、そんな人は多分同学年で私だけだった。最初は悔しかったけれど、後半はもう負癖がついたような感じで、名前が呼ばれない度に恥ずかしさはあっても「やっぱり」と自分で半ば認めていた。もちろん別に練習に行かなかったわけでも怠けていたわけでもない。むしろすごく日々の練習を楽しんでいた。だからこそ、この自分の結果は努力とか以上にセンスの話だと思った。

小学生から10年演劇を半ば仕事みたいに本気でやっていて大好きだったから、将来はお芝居するのもいいななんて考えたことがあった。けれど、高校生の時にこの世界で自分が進むのは限界があると思った。自分の周りには、自分が見ることが出来ない角度と距離から演技と繋がったり、心情と情景に乗り移ることができる人がいた。

だから、もう一つ好きだったことに進もうと思った。英語だった。進もう!と自発的に思ったと言うか、なんとなく、「本当はこっちなんじゃない?」と空から助言が降ってきた感覚だった。中高共に別にお勉強が得意な方では無かったけど、英語だけは自分で学ぶことが楽しかった。単純に、ハイスクールミュージカルを見すぎたせいかもしれない。

そこから、高校2年生で1年留学をして、卒業後は、英語がたくさん勉強できる大学に進んだ。

大学生、「英語を考える」道に進む。

ー 英語を「教える」?英語を「使う」?、、本当にこれが自分かな?ー
これが、たぶん2つ目。これも別に自分の挫折とは思ってない。でも考え、迷い、落ち込んだ時期ではあったのでカウントすることにする。

大学に入って、英語を勉強して卒業後について考え始める時期。英語について学んできたけど、さぁ、卒業後自分はどういう角度から英語を見ようか。そんなことを考えた。英語学科だったので、英語の先生希望の学生は沢山いた。とはいえ、なぜか自分は入学時に、英語教職課程に進むのは別にいいかなと思い辞めてしまっていたので、卒業前に「英語の先生」の道を想っても時すでに遅し。小さい頃から、英語だけは楽しく主体性を持って映画や音楽なんか見て聞いて勉強してきた。だからこそ、英語を規則性を持った言語として具体的にそして建設的に説明して教える英語力も持ち合わせていなかった。「教える」としたら英語という言語そのものではなく英会話かもしれない、とも思った。英語の先生になるという同級生を見ながら、すごいなぁと思っていた。とにもかくにも、中高で「教える」という英語との関わり方はその時の私には残っていなかった。

教えることができなければ、使おう。英語を使って、交渉とか営業をしながらビジネスの世界に入っていく。これも一つの道だった。外資に進みたいと大学生の前半からインターンに行く同級生もいたし、アメリカでの学部留学中に現地のキャリアフォーラムにも行ったけれど、なんとなく英語を使ってビジネスに関わる自分が見えなかった。かと言ってどんな姿の自分なら見えるのかも分からない。インターンに行ってネームタグをぶら下げながらそこで会った人たちと写真撮ってるSNSなんかは全部すっ飛ばして見ていた。なんでみんなはこんなにも自分の将来の姿が見えてるのに自分には見えていないのか、しっくり来ないのか、本当に、よく分からなかった。

日本で育ち、自分も教わってきた英語話者という立場としてそれを還元して子どもたちに英語を「教える」というのはとても良い選択肢であると思った。でも自分はその資格を持っていない。大きな会社でビジネスとして英語を「使う」というのも前向きな選択肢。でも私の学科には帰国の人も多く、英語が好きで発音とかも得意という感じでやってきたくらいの私よりもよほど実際のコミュニケーションができる。自分はなんて中途半端な英語話者なんだろう、と今となればよく分からない着地点によく落ち着いていた。(多分この時の気持ちに反逆するかのような今の自分の英語観も、この時から来ているのかもしれない。)

そんなこんなで自分と向き合うことすらもなんだか落ち込むなぁと考えていたとき。留学先の1学期目でたまたまあと一つなにか授業を取らないと単位が足らなくて「Language and society」という授業を取った。それが、のめり込むほど本当に面白かった。言語と、社会の関わりそして社会に属する個人との関わり、そんなことを深く考えた。閃光が走ったみたいに面白くて、2学期目には受講科目を全て社会言語学関連にした。社会言語学を考えると、「言語」を中心に社会学・言語学・文化人類学・哲学・心理学・認知学諸々が複雑に絡まって色々考えなきゃいけないことが出てくる。でもその考えるということがとっても楽しいと思った。考えるということが苦ではなく、そうやって時を過ごすのが幸せだった。

あぁ、私は英語を考えたいんだと思った。英語が社会でどういう立場にあって、個人とどんな繋がりがあって、どんな地域の人が話していて、どんなこと考えながら思いながら話していて、、、そんなことを考えることがしたいのだと思った。

それで、英語についてもう一度「考える」ために、帰国して英語コミュニケーションを専攻して大学院に進んだ。


大学院生、英語で英語を研究する道に進む

人生2度目の就活、自分は就活に対するセンスもないことに気づく。
そして、これが3つ目の挫折。大学院の2年生になって、就活をした。大学4年生でも一瞬経験したけど、今度はもう一度しっかりと就活した。そのまま、さらに大学院を進み続けて研究職に就くという選択肢があった。それはすごく良いなと思ったけれど、現実的に経済的なことを考えたりもした。あとは、社会に出てから研究の道に戻ってきても良いとも思った。と、そう考えている時点で、自分で、社会と研究の世界を切り離して考えているのだと後から気づいた。

そして、自分の研究分野がカバーできる業界でとりあえず就活をした。引っかからない。研究科の同期は、インターンに行って年内のうちにもう内定を決めてくる人がいた。対して自分は、大学院に行ったというエゴから大きなところしか考えなかったことも仇となったのか、いい機会に巡り合わなかった。ダンス部の時と同じように、もはやセンスの問題かと疑うほどだった。自信のじの字の、最初のカーブすら突破できないほど自信をなくした。

ダメすぎる帰り道、ピンク色の大きな空を見て涙がつたった時にすっとシンプルに思った。やっぱり心の中では研究に進みたいから、就職後に何がしたいのか上手く伝わらないんだろうなぁと。「英語を研究する」か。その時は、強い情熱でそう思ったというよりも、うん、やっぱり当たり前だよなと、とても落ち着いていた。高校生で英語に進んだ時と同じように、「本当はこっちの道なんじゃない?」と空から助言が降ってきた感覚だった。こっちの道で、「私にしかできない、私らしい生き方」ができるのかもしれない。と、別に先のことはまだ分からないけど、ゆっくりした静かな確信みたいなのがあった。

そこから、修士号を修了した。

博士課程というものに進んで、世界で使われている英語と自己表現をテーマに研究をしている。研究を社会に発信しなければとPodcastなんかも趣味でやってみたり。非常勤講師として大学生に教える機会も頂いて、英語で論文や著書を執筆したり研究発表したりする機会を頂いて、研究職のひよことして助手という職にも就かせて頂いた。

振り返ると、私は選んできた道を通して、選ばなかった方の道もかいつまんで生きている。

高校生の時に置いてきたと思った「表現」というフィールドで英語について考えているし、
院生の就活でたどり着かなかった「社会」という世界と自分なりに研究の世界から繋がる方法を見つけてみたり、
大学生の時に考えたけど諦めた「教える」という機会と巡り合わせて頂いて、
英語で執筆したり、発表したり、会議したり、もちろん助手として庶務諸々しなければいけないこともあったり、英語を「使って」仕事をするということもさせてもらっている。

こう振り返ると、いろんな所の点と点が繋がって、今、自分らしく過ごさせて頂いているのだと、暖かい気持ちになる。その都度出会った人や考え、悩んだ自分にも感謝の念が湧き出てくる。点と点を繋げても直線とも限らないし、曲がってるかもしれないし、一回二手に別れてまた繋がるかもしれない。でも、すべての点は、どこかで繋がっているのだとどうしても思ってしまう。

だからこの先訪れるザセツと呼ぶものも、私はあんまりザセツと思わない気がする。



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