未知の靴を探すということ
初投稿の余韻に浸っているので、その続きを。
魔法の靴というのは、左足につけている装具を例えた言葉で、初投稿タイトルにも迷わず使った。
無我夢中で書いて、「書けた~!」と初投稿し、しばらくしてクールダウンして、自分のnoteを開いてみる。
使わせていただいた、とても素敵なイラストレーターの絵に惚れ惚れとして、自分の文章を読み返す。
「装具は完全な足の一部」
「歩けるようにしてくれる装具は、魔法の靴」
・・・?足、靴、どっちやねん。
生粋の九州人なのに、関西弁の「どっちやねん」「なんでやねん」は感情を表すのにとても便利。
標準語のように家でもよく使っている。
読んでくれた人の中にも、どっちやねんと思ってくれた人がいたら、うれしいけれど。
魔法の靴と足の一部。
どちらも正しいから、どちらも本当。
今回は、魔法の靴に履く、靴の事を(ややこしい)書いてみたいと思う。
装具という言葉に、なじみが無い方もいると思うから、
画像を添付したいけれど、今修理に出しているのでまた後日載せてみたい。
説明をすると、脚長差が1cmくらいあるので底も厚めの、ベルトで固定し、足を覆う感じの足首までの装具。
まさに靴を履いているようなもの。寝る時やお風呂以外、常に。
さすがにそのまま外を歩くわけにはいかないので、装具をつけたまま、靴を履く。
これがまた、履ける靴というのがとてつもなく少ない。
介護用とかはあっても、一般的に売られている、華々しい靴屋さんに並べられている靴の中からは、ほとんどといっていいくらいみつからない。
しかも介護用はあくまでも履きやすくする仕様なので、装具用ではないから履けないことが多い。
人並みの靴は履きたいという思いはあるので、みつけだし、試着している。
選択肢は限られていて、紐付きシューズ系だけれど。
最近は、スマートな靴、または厚底インソールなど、工夫されたおしゃれな靴が多い。明らかに私みたいな人用ではないけれど、圧倒的に普通に履ける人が多いので仕方がない。
靴の入口が狭くても、装具の厚みがあるから入らない。(装具付きなので、入らないという表現の方がしっくりくる)
これは入るかもと手に取るけれど、つまさきだけで、入らないとあきらめることも多い。
入った!!と思っても、歩いてみると、靴の底が狭いと、バランスが取れず、靴を履く前より安定しない歩き方になるという、何とも悲しい現象が起こる。
それの繰りかえし。
だから靴を買うという行為は、とてもエネルギーがいる。
「なんでこんなに何千足も何万足もあるのに、入る靴がないなんて!!!」
と、心の中で心の底から叫んでいる。
「いいなあ、好きな靴をいくらでも履けることは、すごく幸せなことだって、この人たちは知っているのかな」
「履ければなんでもいい、安い靴でもなんでもいい、と思って探している人がいるとしても、それはそれで、とてもうらやましいな。」
と、同じ店内にいる人たちを見て、一息休憩しながら思う。
履くことができて、歩きやすい靴に巡り合えると、とてもうれしく迷わず買うし、よい靴を履くと、ちゃんと歩けている錯覚も起こる。
九州の田舎の町には、限られのた靴店しかないので、本当はもっともっとあるのかもしれないけれど。
そんな時に、ある方のインスタを見ると、娘さんが車椅子で、装具もつけていて、履かせやすい靴といって載せている靴があった。
※画像は自分が購入したもの※
それは誰でも知っているコンバースという靴だった。
私も履けるかもと期待に胸をふくらませ、すぐ探しに行った。
お店にあり、試着すると、履けるしとても歩きやすい。
もちろんコンバースは試着した事はあるけれど、それはスタンダードの方で
インスタに載っていたのは、
オールスター生誕100周年記念モデル「ALL STAR 100」
https://shop.converse.co.jp/shop/e/eAS100/
横にジッパー付きのタイプもある。
生地も伸びて履き心地がとても良く、装具の上に履いているのに、変だけれど肌触りがよい感じがして、足を優しく包まれているようで心地いいのだ。
クッションもよく、何より紐を緩めたら全開に広がるので、装具をつけている私には履きやすく有難いデザインでしかない。
履ける靴への憧れはとても大きく、こうして履ける靴があると、その靴を作りデザインしてくれた方にお礼が言いたくなる。
だからこうして感謝の気持ちを伝える場を持てたことは、私にとっては嬉しいし、書きたいことのひとつだった。
自分でお店に行き、履ける靴を探しては落胆して、今では靴を見ただけで、手にしただけで、履けるか履けないかの判断ができるようになってしまった。
でも、今回は、一人のブログに投稿してくれた方の記事を見て靴を知り、お気に入りの靴をみつけることができた。
SNSってすごい
発信してくれるってすごい
つながれるってすごい
靴探しは、孤独な作業でもあった中、誰かの発信で共有することができ、とても手軽に試すことができることがとても嬉しかった。
魔法の靴を作ってくれる装具士の方に感謝を伝えたいのと同じように、靴も作ってくれているどこかの誰かに伝えたい。
こうして、不自由な自分を支えてくれている、生活の質をあげてハッピーにしてくれている物や人は、探せばきっと世界中にあふれていて、支えられて生きていることへの気づきを教えてくれる。
とてもささやかな、小さな事だけれど、そういう事や、人に目を向けることはとても重要。
不自由だと思うことを、誰かが助けてくれていると思うと、
不自由な気持ちが減っていく気がするから。
だから、なんで自分は不自由なんだなんて言ってられない。
不自由な体は変わらずとも、心は自由で過ごすためにも。
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