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noteを書くことでみえる自分

今日でnote5歩目。

はじめてみたら、次々に書きたいことが出てきて、常に頭の中で文章の構成を考えている。

自分でも驚くくらい、頭の中にあった気持ちや思いがあふれては書き、

ここ数日、取りつかれたように書いていた。

3歩目の記事の事を考えながら夕飯の支度をしていた時、なにげにふと、

あれ?????

明日、お弁当の日じゃなかった?!

娘『そうだよー!』

日曜日が中学校の運動会で、振替等の関係で火曜日は元々お弁当持参だった。

頭の中はnoteの事でいっぱいで、すっかり忘れていた。

それでも、冷蔵庫には卵やウィンナー、ストックで買っていたミートボールがあったから、

「卵焼きと、ウィンナー、ミートボール、おにぎりはできるから、それでいい?」と聞くと、

「え〜…さみしい…部活まで持たなくてお腹すく…」

食べるのが何よりも好きな娘が、日頃はあまり自己表現せず言葉少なめなのに、切実に訴えてきた。

やっぱり食べるのたのしみだもんね。

「そうだよねー、それじゃさみしいよねー、でもおにぎり大きくするから、それじゃだめ?」

「えー…お肉買ってきて」

そうだよね、…メインにお肉はいるよね。

夕飯の準備を終えて、食事をさせてる間に私だけ、買い物に出かけることにした。

普通なら絶対に忘れることではないけれど、いかに自分が書くことでいっぱいになってたかに気づく。

日頃行かない、夜7時過ぎの行きつけのスーパー。

なんだかとても新鮮で、忘れて夜に買い物をするはめになるのも、

そんな出来事も、楽しんでる自分がいた。


そのくらい、私の中でのnoteという場所での書く作業は、ありきたりな日常に楽しむ気持ちを与えてくれていたことに気づいた。


新しい電化製品を買って、説明書も読まずにとりあえず使ってるみたいに、とりあえず何も知らずに書いてみたnote。

あとからnoteについての説明書きを読むと、それだけでも読んでいて意識が変わるし、書くことへの心待ちも教えてくれる。いいアドバイスしか書かれていない。

なんなんだ、このnoteという心地よい場所は。

やっぱりちゃんと何でも説明書は読まないとな。

書き出すことが気持ちの整理に繋がるし、書くことで自分が見えてくるのもずっと前から知っていた。

でもやっぱりなかなか。

書いてみようと可愛いノートを買ってみても、買って満足して1ページも書かない。

せめてスケジュール帳に、たまに都合よく困ったことがあった時に、はけ口のように書いてみたり。

どうしようもない気持ちの時にまたスケジュール帳に書いてみたり。

そのくらいだった。

同じ書くことでも、ここに書くことは、知らない誰かとつながれること。

忖度なしに、ただ読んでもらえること。

読むことを選べること。

まさかこんなに情熱を捧げるとは思ってもみずに、初投稿した時とは違い、たった2、3歩で虜になってしまった。


基本熱が冷めやすく、これまで特に続けられてきたことはなく、基本飽きっぽい。

だから、

大切なことは、書くことを楽しむこと。

発信を続けること。

noteの使い方に書かれてあったことを自分にひたすら言い聞かせている。

何よりまずは避けては通れない自分のことを書けたこと。

それだけでも書くことの意義を知ることができた。


長いこと、ネットでたくさんの人のブログや記事、Twitterを見させてもらい、楽しませてもらっているのに、それでも知らない誰かとつながれることへの不安というか、自分の自信のなさというか、恥ずかしさがあり、書けて満足、誰か1人でも読んでくれたら嬉しいなくらいの気持ちで書いてるのに、スキ♡を押してくれてるととてつもなくうれしくて、今は書く事で精一杯で、色々な人の記事も全然読めていないけど、これから時間をかけて読んでいきたいと思う。

今は自分でもお試し期間のような感じで、書く練習のような気持ちなので、

ゆとりが持てたら、すらすら書けるようになれたら、たくさんの方の記事を読み、たくさんの方とつながれたらいいなと思います。

ここ数日の、どの記事でも読んでくれた、すべての方に感謝です!




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