魯山人の渇き 愛なんていらねえよ 秘書・平井雅子の談2

先生のお嬢様が女学校に進級されたときのことです。
戦争で物資が不足して窯を焚く薪を手に入れるのも難しくなり、お給金の未払いが続いていました。
陶工や女中さんたちが次々と辞めていき、酒屋や肉屋などのツケもたまっていました。
私が窮状を訴えても、先生は次の窯が焚けたら払うと繰り返すばかりで、先生のツケに頭を下げて回る私は疲れ果てていました。
既に陶工頭の荒川さんも去り、奥様も家を出てしまわれていたので、私が先生を支えなければと耐えてきたのですが、その我慢も限界でした。
そんな窮状もかえりみず、先生はお嬢様の通学に人力車を手配したのです。
私は我慢できず先生に言いました。
「車屋さんに払うお金があるなら、まず、私たちにお給金を支払うべきです」
「なんやと」
瞬間、先生の顔つきが険しくなり、思わず足がすくみました。
それはまるで、虫けらを見るような、侮蔑の目でした。
「黙れ、編集風情が」
顔面を殴られたような衝撃でした。
先生は私だけは切り捨てることなく、そばに置いてくれました。
“先生にとって、私は他の人たちとはちがう”
心のどこかでそう思っていたのです。
しかしそれは、大きな間違いでした。
”傲岸不遜のドサンジン“にとって、私は便利な編集風情にすぎなかったのです。
「お世話になりました」
「気に入らんもんはみんな出ていけ!」
先生の叫ぶ声を背中で聞きながら、私は自分の部屋に駆け込みました。
泣きながら荷物の整理をしていると、先生がいつの間にか部屋の入口に立っていました。
私はぞっとして、身構えました。
先生のもとで働き始めた最初の日、先生から押し倒されたときの記憶が不意によみがえったのです。
「お前もワシを捨てるんか」
意外なことに、先生は悲しみをたたえた目で私を見つめました。
迷子になって途方にくれた子供のような目で。
「ワシはお母はんに、二度も捨てられたんや」
はじめて見る、裸の心の先生でした。       
                       (続く)

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