子どもより親が大事と思いたい
コンビニジムでYOASOBIの祝福を聴きながら機動戦士ガンダム水星の魔女について何故スレッタは最後にあの決断をしたのか、母親のプロスぺラは不幸で可哀想だけれどやっぱりあまりにも毒親ではないかな・・と思いにふけって走っているとふと、太宰治の「桜桃」の一文が頭に降ってきた。
「子どもより親が大事と思いたい」
帰宅後にシャワーを浴びてノンアルビールをやりながら、20年ぶりぐらいに「桜桃」を読み返す。二十歳の頃に読んだ印象と全然違う、この何とも言えない気まずさと苦さはなんだ。
物語の内容は忙しく騒がしい食事中の妻との会話で「妻を気遣ってはいるけれど、どうしても家庭を顧みなくて身勝手を自覚しているダメな主人公」が返答に行き詰まり気まずくなって息苦しさから逃げて酒を呑み、スナックのような店で出された美味しい桜桃(サクランボ)を苦々しい顔で食べるだけの話だ。
サクランボなんて贅沢なものを子どもに食べさせたら喜ぶだろうと思い、罪悪感で極めて不味そうに食べる。
「子どもより親が大事と思いたい」と言うのは親の方が大事だと主張する話では無くて「親よりも子どもの方が大事と思っているけれど・・」子育ての家庭の喧騒に疲れて自分も大事って言いたい子持ちあるある話。
私もだけど外出中に贅沢して家族が脳内によぎるとちょっと気まずい気持ちになって「これは半分仕事だから」なんて神妙な面持ちで食事したり、楽しかったのに帰宅時に「いや~、思ったっよりも大変で気を遣って疲れたわ」などと誤魔化したりしてしまう事があるからその自分への気まずさに共感する。実に苦々しい。素直に美味しかった、楽しかったとは言えないのだ。
水星の魔女の話に戻るけれど、主人公スレッタの母親プロスぺラは研究組織で夢と希望のある研究組織の技術者だったけど軍事技術にも転用出来ちゃう会社に買収され危ない認定されて他の組織に善意を理由に襲撃されて夫と、その事件をきっかけに幼い娘の体も失う。ガンダムの中にあるデータの中で生きているがそれを何とかする為に娘のクローンを作って利用したり復讐で戦禍を起こしたりするのさ。「子どもの為に」と言いながら子どもに依存して復讐心を糧にして生きているお母さん。
しかし子どもたちはお母さんに幸せになって欲しいわけ、
子どもって無条件に親を愛してくれる尊い存在。
お母さんの方法が間違っていてもなんとかそれに応えようとしてしまうから胸が痛いよね。切ない。一番いい方法じゃなかったかもしれないけれど最善を選んだ娘たち、プロスぺラは反面教師だ。
全然しょーもないけどうちの母親も反面教師だ。
親父とパチンコに行くぐらいしか趣味が無いのが嫌で嫌で高校生の頃に「お母さんも何か自分の趣味や好きな事やりなよ!」って言った事があったのね、そしたら「母さんはあんたたちを育てるのが手一杯でそんな余裕無かったわよ」って怒られるという悲しみの返答。
忍耐強く優しい我が母は好きだし感謝しているけど自分をあまり持って居ないので尊敬はしていない。
私も仕事してビール吞んだくれて、太ったと言ってジム通い。
オタク生活やめられない、良い親になろうなんて思わない。
でもなんとなく出来る範囲で叶わなかった夢の片鱗を自己実現したい。
見せるほどの背中も無いが、夢は誰しもが叶うものではない。
キラキラした青春生活の後はどこまでも現実という生活が付き纏うのだ。
いつか大人になるわが子にもそれが分かる日が来るかもね。
自分の親にも幸せになって欲しいと思うからこそ、
自分も幸せにならなければ。
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