『贋作 桜の森の満開の下』⑤
ラストシーン
やっと終わりが見えて来た…残すはラストシーン辺りの解釈へ
オオアマに、仏像には彫ったものの魂が宿っているから、鬼の顔を彫ったお前は鬼だと難癖をつけられ、追われる身となった耳男は、逃げながら、道の片側に鬼の顔を彫ってきた👹
ヘンデルとグレーテルのパンくずがごとく、帰り道の目印になるようにと…
そして、夜長姫を手にかけた後の耳男が、呆然と桜の樹の下に座っていると、その後ろを2組の行列がクロスするように通る
これも、何を意味しているのか分かりづらかったのだけど…
一方は、オオアマが飛鳥浄御原宮へ入京するための御幸で、もう一方は、オオアマによって追い落とされた飛騨王朝の者達が亡霊となって耳男の刻んだ帰り道の目印を辿って、元いた所へ帰ろうととする道行で…
このシーンについては、インタビュー映像で野田さんの口から、栄える者と落ちぶれる者とが交差しながら、時代が巡っていくというような説明をされていたので、至極納得😉
で、その亡霊たちに、声をかけられ、耳男は…「もう、ここにずっと座っていられる」と答える…冒頭では、満開の桜の下に、じっと座ることができなかったのに…
あの日、桜の森で師匠の身代わりとして飛騨王家に行くことになった瞬間、いや、その前に鬼の顔の夜長姫に声をかけられた瞬間から、3年超の間に、耳男は、稀有な体験をし、あらゆる感情にさらされてきた
殺人、野望、喜び、恐怖、肉体的な苦痛、嘲り、怒り、呪い、焦り、寛容、そして妖しく恐ろしくも美しい夜長姫への思慕、困惑、ときめき、諦め、喪失感、後悔…などなど
それらが、耳男を成長させ、もう怖いものなどなくなったのか…
「それでも、行きましょう」と促されると一瞬、自分も王家の亡霊と共に飛騨へ帰ろうかな…と思うも、殺めてしまった夜長姫の無邪気な声が聞こえ、「その道の片側には何を刻むの?」と問われる
その声に「え?その声は…もうどこへも参らぬ…(中略)…いゃあ、まいった…まいった…」
実は、私は、一旦、ここの解釈を…
耳男はすでに死んでいるのではないかと考えた🤔
死んだ王家の亡霊の声が聞こえているし、じっと座れているのは、そういう意味かと…
でも、一体、どの瞬間に死んだのかと問われると…夜長姫の亡骸が消えた瞬間…?
うーん、わかんない😒
娘は、このまま満開の桜の樹の下で、死を待つつもりなのでは…と言う
これに関しては、インタビューの中で、妻夫木くん自身が、興味深い発言をされていて、「ラストシーンで、だんだんとスポットライトが消えていく時に、あー耳男はこのまま死ぬのかもしれない…と思う時がある」と🤭
ってことはさ、この後の耳男がどうなるのかは、演じているご本人もわからないってこと!?その先は、観たものの解釈に委ねるっていうやつですね🤗
まぁ、少なくとも、すでに死んでいる説は、却下ということで…😅
ちょっとシーンを戻して、夜長姫の最期の言葉「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ…(中略)…今、私を殺したように立派な仕事をして」の解釈について…
本物の名人になりたいのなら、呪いを込めてバケモノ像を彫った時のように、強くて切羽詰まった熱い思いを込めろ、そして他人を蹴落としでも自分の道を追求せよ、真のプロフェッショナルとは孤高なものだ…という耳男への激励…と思っているのだけど、どうだろうか🙂
お話しの冒頭、「満開の桜の下で幸運を拾ったのは、俺一人だけだ」といきまいていた耳音とマナコ…
拾ったものは…幸か不幸か☹️
中盤で、夜長姫と耳男が笑いながら何度も言う「いやぁ、まいった、まいった」
これは、突発的に自分の身にふりかかった想像を超える出来事に、恐ろしかったけど、なんかわくわくしたなぁ的なニュアンス
でも、耳男の最後の台詞のこれは…本気の「まいった」だよね😢
孤独だった耳男が、妖しくも美しい夜長姫と出会い振り回されつつも心惹かれ、でも狂気を秘めた姫とどこまでも堕ちて行くことに耐えられず姫を手にかけ、また孤独に戻ってしまった😞
桜の森の満開の下で…
…と、ここまで書いてきて、途中途中、確認の意味で、映像を観返しているうちに、実はまた新たなる疑問や発見があったりして、果たしてここに書いたことが適切なのかどうか自信がなくなっている😅
でも、この作品は、わからない部分やニュアンスで理解している曖昧さを残しておいた方が長く楽しめそうだとも思う
観るたびに気づきがあり、考えさせられ、想像させられる🧐
そして、また観て、さらに世界観への理解が深まる、それでいて笑える要素や言葉遊びの楽しさも満載、かと思えば、人間の弱さや醜さ、戦いの歴史への風刺も効いていたりして、奥が深い…はい、本作が傑作だということがようやく理解できました👏👏👏👏
時間かかったー😆
もし再演があれば、実際に劇場で観てみたい❣️
最後に、遊眠社版と野田地図2018年版のそれぞれの違いについてちょっぴり
遊眠社版は、セットやBGM、衣装など、全体的に妖艶で古典的な雰囲気が漂っていて大人っぽい印象、対する野田地図2018年版は、ポップで明るくて現代的な印象
遊眠社版の耳男は、野田さんご自身が演じられているのだけど、哀愁があって切なく孤独感が強め…対して妻夫木君の耳男は不器用だけど前向きで元気
そういう意味も含めて、同じ作品なのに、受ける印象は陰と陽🌓
ん?遊眠社版は映像が古いからよりそう見えるのかな?とも思ったけど、やっぱり、それをさっ引いても、明らかに印象が異なる💫不思議ね😉
それにしても、貴重な映像、残してくれてありがとうございます😊
まとまらないまま、長々と書きましたが、お付き合いありがとうございました🙇🏻♀️
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