やりたいことに気がついたら,本当はずっと思い焦がれていたことに気づいた話

学生なんかだと,事あるごとに「自分が本当にやりたいことはなんですか?」という問いに向き合うと思う.色々考えてもなかなか見つからないし,「やりたいことない」という結論に至る人も多いんじゃないかなと思う.

それでも生きていくためにある程度好きな事や得意なことをしていくうちに,何か妙にときめく何かがあることに気づいて,色んなバイアスを取り払ったあとで,ときめくものの共通点を探るうちに漸く初めて気付けるようになった.

そして同時に,本当にやりたかったことは,ずっと内側には確かに眠っていたことに気づいたので今日はそんな話.

整理したら本当にやりたいと憧れることがわかった

もともと好奇心旺盛で飽きっぽくて,興味持ったらまずやってみたい人間なので,一貫性がないってくらい自分の趣味は多種多様すぎる自分なので,自分も何がしたいのかイマイチ掴めないでいた.

歌うことが好きだし,楽器を演奏するのも好きだ.作曲もちょっとかじっている.また,絵を描くのに熱中することも好きだし,3DCGを作るのも好きだ.プログラミングで何かを作ったり,電子工作で回路を作ったりすることも好きだ.しかし一体何がしたいんだろうか.

最初はゲームが作りたいんだと思っていた.確かにこれらの趣味はゲームを作るために必要だと思って始めた趣味だ.ゲームには音楽が必要だし,絵はもちろん,3Dだって必要だ.プログラムだけじゃ面白いゲームは作れないと思っていたんだろう.しかし,本当はゲームを作りたいという具体的なことじゃなくて,もうちょっと抽象的なレイヤーにいることに気づいた.

結論を言うと,僕はずっと世界観を創ることに興味があったんだと気づいた.こんな感じの街があって,文化があって,その中で人々はこう言う暮らしをしていて,こういうドラマがあるというのを想像するのが好きだったんだと気づいた.だから僕は物語が好きだし,音楽が好きだ.ジブリの作品をみて育ったせいか,心揺れる風景にはジブリが重なって写ることもある.

雑多で多種多様なことに興味を持ってしまうのは,世界そのものを知りたいとか,こんな世界には何があるのかと考える時に,そういった色んな知識を統合して説得力のある世界観を築き上げたかったからだと気づいた.それに気づくと,実は子供の頃からもその行動理念に沿って動いていたということに今になって気づいた.

箱庭が好きな少年だった

僕には兄弟がいっぱいいたので,子供時代にはテレビゲームが身近にある環境に育った.おかげでテレビゲームが大好きな子供に育ったし,当時は将来ゲームクリエイターになろうと考えていた.もっとも,ゲームを作るという夢は小学生の頃に拙いながら叶えてしまったのだけれども.

中でも僕が好きなゲームには共通点があった.当時好きだったゲームは天誅や,刻命館(蒼魔灯),RPGツクール,トニーホークプロスケーター,忍道などなのだが,共通してあるのは,自分で物の配置を決めたり,ステージを作れるゲームだ.マップを自分でオリジナルで作ったり,ストーリーまで自分で作れるものが好きだったのだ.このキャラクターはなぜここにいるのか?だとか,なぜこういう配置になっているのかなどを考えるのが好きだった.

そのせいか,ジオラマをみるのもすごく好きだった.また,レゴブロックでお家を作ったりするのが好きだったし,兄がつくった巨大船のレゴブロックは心躍ってみていたし,天誅の影響で忍者が大好きだったころは姫路城のプラモデルを父親に買ってもらって作ったのを覚えている.ちなみに姫路城を選んだのは,天誅 弐に出てくる郷田城に似ているなーと思ったからなのだが,実際姫路城がモデルだったらしく,当時の直感は大正解だった.

科学が好きな少年だった

父親が化学教師なせいか,小さい頃から化学実験がすごく好きだった.また,物理演算がよくされているゲームが好きだったことに気づいて,物理をちゃんと勉強したいと思った.これだけだったら単に科学者になろうと思っていたかもしれない.でも,僕が興味があったのは新しい物理法則や理論を発見することではなかったように思う.きっと僕は世界観を創る上での科学が好きだったのだ.説得力のある世界を創りたかった.だからこそSFが好きだった.

また僕にとっては科学はまるで魔法のようにキラキラして見えたのだ.何もないところから突然爆発して液体になる(酸素と水素の反応のことだ).また,全ての物体は原子という最小構成物からできている(今だと素粒子とかあるけど)から,科学さえわかったら世界を読み解けるし,創造できるなと幼心に思っていたのだと思う.

なぜ今までやりたいことを確信しなかったのか

後から思い返してみれば,すごくシンプルだし,すごく顕著にやりたいことが行動に出ていた.なんなら多分子供の頃には確信していたのだと思う.それを大人になった頭はつい忘れてしまっていた.

なんせ世界観を創るなんて途方もない夢だ.何をすればいいのかわからないし,どうやって生きていくのかもわからない.世界創造家なんて職業はない.あるのは音楽家だったり,小説家だったり,ゲームデザイナーだったり,脚本家だ.そのどれも僕にはワンオブゼムでしかなかった.アーティストは一番想像しているものに近いが,アーティストも大きな括りに過ぎない.

さらに僕は,職業は世の中にあるものから選ぶものだと,無意識に思ってしまっていたのだと思う.人は大人になるにつれて,何かしらの型にはまって生きていかなければならないと,いつの間にか思ってしまっていた.そして,既存のレールを探して,そのレールから外れないように生きていた.もっとも,今はそのレールから外れているのだけれど,外れるまではすごく怖かったし,外れてからは,普通の人とは違うという表現しがたい後ろめたさみたいなものがまとわりついてくる.それを払拭していくのが今の段階なのだろう.

冒頭で「あらゆるバイアスを取り払った上で」と書いたのは,このことだ.僕の夢は,常識的には考えられない夢物語のように思えてしまったから,僕はそれに気づかないで型にハマろうとしていたのだと思う.つまり,将来の夢というのは「野球選手」だとか,「ケーキ屋さん」だったり,「Webエンジニア」や「漫画家」と具体的なことが普通で,「世界観の創造」なんて答えるのは抽象すぎて違うと勝手に思っていたから気づかなかったのだ!

世界観の創造をするために

とはいえ,世界観を創造するなんていうのは実行するには抽象度の高い夢だ.実際に行動するためには具体的なステップに落とすほかない.さらに,僕自身も世界観の創造をしたいと言いつつ,「じゃあどんな世界観にしたいのか?」とか「どう言う物語がみたいのか?」ということはわかってないと思う.いつまでも準備をし続けていたら,そのうち人生が終わってしまう.

そのために,僕はまず手を出してみようと思ったのは,自分が住みたいと思う街や風景を切り抜いたものを,絵でもいいし,3DCGでもいいから表現してみようと思った.そして,その街の中でのドラマを,キャラクターの心情表現を音楽で表現してみたいなと思っている.そうやって出来る断片を繋ぎ合わせて出来上がっていく世界が見れたら楽しそうだし,その過程でいろんな仲間に巡り会えたら,死に際に「いい人生だったな」なんて言えるんじゃないかななんて今から思っている.

見る人から見れば「そんなことしてどうするの?」というような事だと思う.でも,多分ジブリの宮崎駿さんだってそう思われていた時期もあったと思う.自分が願ったものから目を背けていたら,やがてそれは呪いになる.誰よりも自分のために,この願いを少しでも叶えてやらないといけないなと思った.


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