Death Strandingをやっていて気づいた価値観の多様化の話

ついに11月8日にKojima Productionsの初タイトル「Death Stranding」が発売された!メタルギアシリーズが好きな僕は,小島監督の独立後の初タイトルとあって発足当時から度々チェックしていたし,発売前から予約してダウンロードも済ませて発売日当日の0時から早速プレイしてしまった 笑.そんな小島監督作品の最新作をプレイしていて気づいた話を今日は書こうと思う.

オフラインからオンラインへのゲームの変化

コンシューマーゲームでは,RPGやAAAタイトルのゲームは基本的に一人プレイで楽しむものだった.予め用意されたルートやシナリオをなぞって,作中の人物の立場を与えられて(ロールプレイ),用意された課題をひとつひとつこなしていくのが主な遊び方だった.作中で主人公は様々な困難や出会いと別れを経て最終的にはラスボスを倒してハッピーエンディングを迎える.それをプレイヤーは自分が手を介すことで追体験していくことで,キャラクターに感情移入して同じ想いでラスボスへと立ち向かっていく.そのために,いかにレベル上げをするか,いかに腕を上げて敵を倒せるようにするか攻略していくことが重要になる.

しかし,インターネットが繋がって世界中の人とマルチプレイするようになって,その価値観が変わっていった.例えばMMORPGならば他のプレイヤーたちとゲーム中で出会ってパーティを結成して,それぞれ役割分担をして戦っていくことに重きを置かれるようになった.ゲームによっては壮大なメインストーリーが用意されているものの,ストーリーをたどる必要はなく,単にネトゲフレンドとチャットで駄弁ったりしてもいい.僕もオンラインFPSをしていた時は延々と対戦せずにチャットを頼んでいたことがある笑.

オンライン対戦型ゲームの限界

MMORPGでは基本的には協調がベースになっているため問題にならないことが多いが,対戦型のゲームでは問題になることがある.それはプレイヤーのレベル格差・腕前格差である.当然ゲームを先に始めた人の方が費やした時間の量が多いため,レベルは高くなるし,腕前も上がっていく.そのため,後続の人たちは先に入ってきた人たちを超えられなくなっていく.先行者優位性が高いのだ.こうしたゲームはある程度の時間が経つと新規参入者が少なくなっていくし,先行してゲームをしていた人はやがて飽きてゲームを離れていってしまう.こうしてゲームコンテンツが終了していくのだ.格闘ゲームなんかまさにその状況を迎えていると思う.

かといって,先行者優位性を著しく下げてしまうと,時間を費やしてゲームをプレイする意味がなくなってしまう.飽きがくるのが早くなってしまうのだ.なのである程度の先行者優位性は絶対的に必要である.それではどうすればいいのだろうか?その一つの答えはゲームの楽しみ方を多様化してしまうことだと思う.こうしてゲームは攻略から自己表現に変わっていく.

攻略から自己表現へ

僕が昔やっていたMMORPGにRED STONEというゲームがある.学校の友達にオススメされたプレイした初めてのMMORPGだった(ちなみにキャラクタはウィザードを選んでいたので,この時点で魔法が好きだったんだなと思う笑).ウィザードはある程度レベルをあげるとエンチャントという他人の攻撃力をあげる魔法を覚える.こうやってパーティの後方支援として近接攻撃を主とする剣士などにエンチャントして攻撃力を高めたり,遠距離攻撃で支援したりするのが主な役割だ.

しかし,RED STONEでは本来の役割とは異なった形で独特のある文化が形成されていた(今もあるのかわからないけれど,あってほしい).それは最初の街からフィールドに出てすぐのところに大抵ウィザードがいて,初心者と思われる人たちが「エンチャントお願いします」と頼んで,ただひたすら他人にエンチャントしていくのだ.別に見返りは何もないのだが,フィールドに出るといつもいて,頼むとエンチャントしてくれるのだ.実際僕もやっていたことがあるのだが,見ず知らずの人に何かをして感謝されるという体験が楽しかった.

これはどういうことだろうか?なぜ,目的を持ったゲームなのにも関わらずメインストーリーを攻略することもせず,かといってレベルを上げをすることもなく,ただひたすらに他人にエンチャントをし続ける人がいるのだろうか?まさに,価値観が多様化していたのだ.そもそも,MMORPGでは,特に支援型のキャラクターはパーティを組んでダンジョンに出ても後方に隠れて前方でモンスターと戦う仲間の回復や蘇生,状態異常からの復帰をしたりする.自分はボスに一切手を下さずにゲームを攻略していくのだ.

つまり,先陣切ってボスを狩ることに価値を見出している人と,それを支援することに価値を見出している人が現れたのだ.後者の人は,パーティに所属せずとも,最初のフィールドでゲームを始めた人ばかりの初心者のレベル上げを手伝うことに価値を置いていたりする.そう,ゲームは攻略から自己表現になっていったのだ.

メタ的な新しいゲームの楽しみ方

次第にゲームの楽しみ方は根本から変化していき,ゲームをプレイすることなくゲームを楽しむメタ的な楽しみ方が生まれた.そう,実況動画やプレイ動画だ.僕も実況動画は好きでよく見ていた.この楽しみ方は,さながら兄がプレイしている一人用ゲームを横から見て口出しする楽しみ方に似ている.謎解きなどのヒントを横で一緒に考えて助言したりするのだ.ニコニコ動画など,実況感のある独特のコメント機能が相まって,実況動画はゲームの楽しみ方のひとつになった.

個人的な感想だが,特に実況動画で見たいジャンルはホラーゲームだ.たとえば,一人暮らしでホラーが苦手な人は帰宅してから一人の家でホラーゲームするのは怖いと感じる.しかし,怖いもの見たさみたいなのもある.そういったとき,近くに友人がいれば一緒にプレイできるが,都合がつかないなどもあり,なかなかそうもいかない.そうした時に実況プレイは良い.自分はプレイすることはないが,他人のプレイを見て一緒に怖がったり,あるいは実況者が本気でビビってる姿を見て楽しむことができる.ゲームの画面の中から飛び出したところにも新たなインタラクション性が生まれたのだ.

 Death Strandingにおける価値観の多様化

こういったコンテクストをなぞりながらDeath Strandingを見るとすごく面白い.Death Strandingは基本的には険しい自然の中で遠くの街まで荷物の配達するゲームだが,このゲームにはソーシャルストランドシステムという新たな概念を加えている.ゲーム中でプレイヤーが行った行為がオンラインを通して,世界中の他の人のプレイに影響を及ぼすのだ.自分が通った道には足跡が残り,その足跡を目印に同じルートをたどる人がいる.そうやって多くの人が同じ場所を歩いているうちに,やがて草木がなくなって,土が踏み固められ,道が形成される仕組みになっている.配達を終えて道を引き返す時には,来た時にはなかった道が形成されている.また,自分が川を渡るために掛けたハシゴを別の人が渡って「いいね」してくれることで,他人に貢献できたことに喜びを覚える.これはまさに他人にエンチャントをするウィザードと同じ価値観だ.このゲームは他のプレイヤーの姿形は見えないものの,残されたハシゴや形成された道で確かに世界と繋がっている体験をすることができる新しいゲームだと思った.

もちろん,こうやって世界中のプレイヤーと多様なインタラクションが生まれると,価値観も多様化していく.道路を作ったり,川に橋を渡したりして,後から来た人が楽に荷物を運べるようにすることに喜びを覚えて,ひたすら建設する人たちが生まれていくのだ.

ゲームからわかる,これからの人々の未来

僕たちはきっとちょうど時代の転換点にいる.高度経済期を経て,ひたすら利潤と合理化を求めていた時代はまさに攻略の時代だった.近代思想だ.攻略の難易度は次第に上がっていき,今では相当な実力を身に付けなければ受け入れられなくなってしまっている.攻略時間を基準においている年功序列制は,まさに先行優位性が働いてしまって新規参入者を阻む状況に陥っているゲームのようなものだ.そうした世界に必要なのは価値観の多様化だ.

これからの未来,人生はいかに合理的に生きるか,効率的に生きるかという考え方から,いかに自分らしく生きるか,自己表現していくかという考え方にシフトしていくと思う.世界の再魔術化だ.そうした未来では本質的に意味のないことも価値になっていく.合理性を求めた消費行動は,やがて自己表現する消費行動となっていく.お金は好きなものを表現するツールになっていくのだ.そうなったとき,経済活動は信用経済から信頼経済へと変化していくだろう.信頼経済は好きを表明する自己表現で回る経済活動だ.愛で循環する社会といってもいいかもしれない.そうした世界はきっと魔法がかかったワクワクする世界となってくれるだろう.そのために僕らはもっと自己表現していくことが重要なのかもしれない.

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