全部自分を導いてくれる光だった

ふと思い立って目についた昔読んだ本を引っ張りだした.なにか役に立つ気がしたからだ.久しぶりに溢れ出てきた知識欲を満たしてみたくなった.体系的にまとまった知識に触れてみたくなったんだ.それはとても前向きな理由だった.単に未だ見ぬ世界に触れてみたい.新しいことを知りたいと思ったから.知らないことが恥で自己否定する気持ちからではなくて,何か面白いことを探したい気持ちだった.そしてそれはすごく重要な気づきだったんだと気づいた.それはちょうど手に取った本に書いてあった,自分の能力はコントロールできない才能や遺伝か何かで決まっているとする固定マインドからではなくて,何か自分を成長させてくれる柔軟マインドからの声だった.

思えば勉強したがるときは大抵自分を痛めつけているときだ.今の自分を全否定したくて,今の自分を嫌って,そこから抜け出したいというときに縋るような気持ちで勉強に走ることが多くあった.そしてそれは大抵頭痛や体調不良を伴うことが多かった.うまくいくことはあまりなかった.

対して僕がうまくいくときは好奇心や楽しさに突き動かされていたときだった.新しいことを知りたい.試してみたい.自分で作ってみたいと思った時だ.それは客観的に見たら価値のないことでもよかった.たとえば模写や論文の数式の写経やアルゴリズムに沿って書いた再現コードだとか.思えば自分の会社名にしたAIMPASTも,もともとは先人の知恵をなぞるという意味で「車輪の再発明」を目的とした「過去を目指す」だった(その頃はAIM@PASTだった).それが今はもっと大きな意味で「子供のころの純粋な好奇心に戻ることを目指す」ことを志して会社になった.僕の魂はずっと知っていたのかもしれない.

何を目的に学ぶのか.何を目的に作るのか.それは単に自分自身の成長のためだ.できなかったことをできるようになるためだ.それがいつしか他人からの良い評価を受けるためだとか,自分の能力を証明するためになってしまった.そうしているうちに,他人からの評価が怖くなった.自分に能力がない証明を突き詰められたら,自分の才能がないことを証明してしまったらどうしようと,無意識で恐れていたのかもしれない.

そうしているうちに自分を評価してくれる人や,自分を必要としている人がいるところに移り住んでいった.それはそれで傷ついた自分にとって暖かい癒しの地にたどり着けて,自分にだって役立てることに気づけたいい体験だった.そして今,傷ついた自分が幻想だったと,勝手に一人で傷ついていたのだということに気づいて,批評や評価が自分を貶めるものではないことに漸く気づき始めてきた.それは僕の成長を導いてくれる光だった.それが真の自己受容だということにも気づいた.拒否されていると思っていたのは自分で,拒否していたのは自分の方だった.

そうやって自分をちゃんと受け入れて,世界を受け入れると,見え方が変わってくる.怖いと思っていた世界が,実は暖かかったことに気づく.全ては光だったんだ.勉強することは今の自分を否定することじゃない.自分を受け入れることは自分の今の能力を不動のものとして,悪いところに目を瞑ったり,目を背けることではなかった.そもそも良い悪いなんてないのに,自分の一部を悪いと思った自分をも受け入れて,改善したいという気持ちを受け入れて,改善できると,成長できると信じてやることだったんだ.

「僕はこの部分を成長させてみたいと思ったんだね」と優しく声をかけて,「じゃあこういうことしてみようか」と提案してあげることが必要だったんだ.自分の成長欲求を自分だけが認めてあげられていなかった.無理だと決めつけて信じてあげられていなかった.自分を受け入れるということは,それを直隠しにするのも自分だから,なかなか一筋縄でいくものではない.それにようやく気付けた自分はそれだけで誇れる気持ちになった.

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