「問題」には所有者がいる!
一般社団法人あいもにー本部長の谷本です。今日は、子育てだけに関わらず、社会生活を送る上で大切な「問題」への捉え方【問題には所有者がいる!】について書いてみます。
◆その問題は「I have」?「You have」?
わたしたちが生きていく上で、大小関わらずなんらかの「問題」を抱えている時間は多いように思います。それは、緊急の場合の問題もあるし、大切だけど緊急ではない問題、大して大切な問題ではないが、その問題がない状態だといいな〜と思う程度の問題など。
子育てで言えば、子どもの発熱は緊急な問題だし、忘れ物も緊急かもしれない。
背が伸びて、昨年のコートの丈が若干短いな〜、今年は持つか持たないか?なんてことは、大切だけど緊急ではない問題と言えるかもしれない。
こうして、わたしたちは生きている間、様々な問題を抱えるモノです。
そう…「抱えるモノ」と書いたように、言い換えるとわたしたちは、それぞれに問題を所有するもの!と言えます。英語で言えば自分が問題を抱えているときは「I have」自分以外の人が問題を抱えていれば「You have」
きっと字面を読めば、そりゃそうだ!と思うことでしょう。
が、人は時として面白いことに、この原理原則をすっかり忘れて、「You have」を「I have」にしてしまうことがあります。
◆「You have」を「I have」に変えてしまうと起こる最大の問題
わたしはこれを「問題の横取り」だと思っています。
相手の問題を自分が奪い取り、その問題を「こう解決しろ!」「その解決じゃ意味がない!」などと問題解決の指示をしたり、相手がこちらの思うほど問題意識を持っていないにも関わらず「これは大問題だ!!!」と騒ぎ立てたり…。
ひどい時は、相手がまったく問題だと思ってもないのに、問題を作り上げ、その問題を無理やり持たせようとさえする!
わかりやすい例をあげると…
有名人のスキャンダルに対して大騒ぎする!裏切られた側が悲惨だと、まるで自分がされたかのようにバッシングを繰り返す…
もう少し身近な例で言えば、子どもの遅刻癖に対して、本人以上に「困り」「悩む」ということ。
以前、子育ての講演をしているときに、「遅刻をしてしまう子どもをどうしたら遅刻させないか?方法を教えてほしい」という質問を受けたことがあります。
わたしが学校で保護者向けに行った子育て講演を「たった今聞いたにも関わらず?…」と内心思っているのだけど(笑)もう1人のわたしは「良い事例がきてくれた!」と思っていて、真摯にその質問に向き合いました。
◆その問題は誰のモノ?
そこでまず行うのは、問題の所有者を明確にすることです!
まずこんな質問から。
「お子さんは遅刻を繰り返しているのですね?」
すると、間髪入れずに「はいそうなんです!何度も言い聞かせるのですが、遅刻してしまうのです。本当に困りごとでどうしたらいいのか?…」と。
こうして事実(この質問者にとっての認識している世界)を聞き、わたしも間髪入れずに次の質問をします。
「お子さんが遅刻をすると、誰が困るのですか?」
すると、ほんの一瞬だけ思考停止し、それでもすぐさま「誰って、子どもが困りますよね?先生に注意されたりして。それに先生も足並みが揃わないと困ると思うし…」と答えてくれました。
このあたりの返答も想定内で、わたしもまたすぐさま質問を仕返します。
「お子さんが困るということと、先生が困るということですね!ではまずお聞きしたいのは、お子さんは困っていますか?遅刻したくないのに、遅刻をしてしまう自分に悩んでいますか?」
すると、「いえいえ、子どもは全然気にしていなくて、何度言っても遅刻をするのです。だから困っているのです」と。
これも想定内の答えではあるので、次にこう言います。「では、お子さんの遅刻で困っているのは、本人ではなくて、あなた自身ということですね?」と。
この辺りになると、この質問者さんは少々感情的になってきます。
「だって!そうですよね?普通。遅刻を平気でして、恥ずかしいだろうし、わたしも先生から個人面談で注意を受けますし!!」と。
わたしは続けます。
「恥ずかしいとは誰が恥ずかしいのでしょうか?本人は、遅刻をして先生に注意されたとき、どんな態度でいるのでしょうか?」
質問者さんは、「先生曰く、ヘラヘラしていて反省の色が見えず、周囲の子ども達も、いつものことかとクスクス笑っていると…」と教えてくれました。
◆わたしの回答
わたしは整理するようにこう伝えます。「なるほど、お話を伺っていると、遅刻をする本人は、恥ずかしくはない様子ですので、恥ずかしいのはあなた自身ということになるかと…。あなた自身の子ども時代は、ルールを守るとても良い生徒さんだったと推測できます。だからこそ、ルールも守らずに注意をされてもヘラヘラとしているお子さんが問題だと感じていらっしゃる…そういうことになるかと思います。つまりは、遅刻をするのはお子さんだけど、そのお子さん自身は遅刻行為を問題として所有はしていない!わけですね。
この状況からすると、解決へと導ける方法は2つ。1つ目は、お子さん自身に遅刻は問題だ!と、問題意識を所有してもらうこと。2つ目は、あなた自身の問題として、解決に向けてお子さんに問題解決のサポートをしてもらうこと。
まず1つ目の方法ですが、正直いって成功率は非常に低いでしょう。自分の行為についての問題を所有していない人に、自分の行為を問題だと所有してもらうためには、問題だ!と強く認識する何かが必要です。つまり遅刻をして「やべ〜っ」と本人が強く感じるような何かがないと難しい。でも、話を伺っていると、それはちょっと難しそうでよね?みんなの前で注意をされてもヘラヘラしているのですから。
次に2つ目の方法ですが、これはお子さんの遅刻行為により、親として先生に注意をされたりするのが恥ずかしいという問題をあなた自身が所有しているので、その問題を解決するために周囲にサポートをお願いするという方法になりますので、お子さんに「あなたの遅刻行為のために、お母さんはとても恥ずかしい思いをしています。だからお母さんが恥ずかしい思いをしなくても済むように、遅刻をしないで学校に行ってはくれませんか?お願いします!」という感じです。
この2つ目の方法は、問題の所有者をしっかりと分けて捉えられていないと、「なんで子どもが悪いことしているのにこっちがお願いしなきゃいけないの!!!」という感情にもなってしまい上手くはいきません。
自分の中に生まれた問題のほとんどは、自分の感じ方の問題なので、自己責任になるということを理解していないと難しいのです。
まさに、これが講演でお話した内容で、全ての行為は自分の内側にある欲求の反映です。
遅刻をするという行為を選択しているお子さんは、遅刻をすることで「満たされる」何かの欲求があるわけです。
他人からみたら到底信じがたい「行為」になるのだけど、本人はその行為が自分を満たすと信じてやまないのです。
だから、わたしたち外野は、自分たちの思う「良い行為」ではなくても、批判したり、やめさせようと無理強いしたり、強制したりはできないし、意味がないのです。
できることはたった1つ!
相手がその行為によって満たされると信じている「欲求」を見つけ出し、その「欲求が他の行為でも満たされること!」に気づかせてあげることです!
◆重大な「子どもの事実」
わたしは再度質問をします。「お子さんは、遅刻をしてしまう時間に家を出ているのですか?」
しばらくわたしの回答を真剣に聞いていた質問者さんは、再度質問されたことにハッと気づいて急いで答えてくれました。「いえ、学校へ歩いて登校するのには十分間に合う時間に家を出ているのです!にも関わらずいつも遅刻をしてしまうようで…」と教えてくれました。
わたしは内心「ワクワク」していました!このお子さんに会って根掘り葉掘り話を聞いてみたいとさえ思いました。そのワクワクを抑えられていたかはわかりませんが、少し前のめりになって「登校する道で、何がそんなにお子さんを引き止めるのでしょう??いったい何がお子さんを遅刻へと駆り立てるのでしょう?」と、きっと少し早口だったと思います。だって、この回答次第では、そのお子さんの素晴らしい、個性の輝きに出会えるのですから、興奮しない訳がありません(汗)
すると質問者のお母さんは、お子さんについてこう教えてくれました。
「子どもは、虫が好きで、家でも虫図鑑をよくみています。家から学校までの間に、広い公園があって、もしかしたらそこに寄ってしまうのかもしれません…。本人は寄ってないというのですが…」と。
もうそんなことを聞いたらわたしは興奮がとまらない状態で、「そうなのですね!だとしたら、お子さんは遅刻をいけないことだとは理解しているのでしょう。でも、好きが止まらないのですね!講演でお話ししたように、ルンルンちゃんが満たされたがっていて、そこを満たすための行為が遅刻になっているだけ。遅刻をして注意をされたとしても、パチパチくんはそんなに傷つかない。そういうことですね!ここまでわかったら、やっと外野であるわたしたちの出番です!!お子さんのルンルンちゃんを遅刻という行為ではない方法で満たすアイデアをお子さんに提示してあげたら良いわけですよね?みなさん一緒に考えてみてあげてください!」と、一緒に黙って会話の行方を聞いていた他のお母さんたちに投げかけました。
◆真の家庭教育の在り様
すると、ザワザワと会話が始まり、あ〜でもないこ〜でもないと、遅刻をやめさせる方法ではなく、質問者さんのお子さんがどうしたらルンルンちゃんを他の方法で満たせるか?を一生懸命に考えてくれました!
わたしはその姿を見て、「あ〜、これで1つの個性の輝きの芽を摘まずに済んだ」とほっとしました。そして、真の家庭教育の在り様へのさらなる確信を得たように思います。
みなさんのアイデアは色々でました。その中で採用されたのは「遅刻してしまう時間分、早く家を出て、公園で虫に出会う時間を作ってあげる!」でした。
わたしもそれをまず試してみるのが良いと感じました。なんなら、朝一緒に公園まで行ってあげてもいい!
親からしたら、朝の忙しい時間、1分でも長く寝ていたい時間、非常にめんどくさいサポートかもしれないけれど、少なくともこの質問者さんの「恥ずかしい問題」への解決にもなる行為ではないでしょうか?
きっとお子さん自身、質問者さんが公園についてきてくれることは、自分のルンルンちゃんを満たすことへの肯定と捉え、ますます個性が輝いていくと同時に、1人でも遅刻せずに登校できるようになってくると思います。
講演後、何人かのお母さんがわたしに話しかけてくれました。
「今日のお話は、非常に興味深かったです。何度か子育て講演会には参加したことがありましたが、今日のようなお話は聞いたことがなく、上手くはいえないですが…とにかく楽しかったです!」とか、「胸が痛いことばっかりでしたが、少し子どもとの関わり方を考えてみないと…と思いました!」とか「問題に所有者があるなんて考えたこともなかったですし、子どもの問題を勝手に取り上げてしまっていたら…と思いました。主人とも話してみようと思います」など、表面的ではない何かこう奥深くに届いたのかもしれないという感覚を味わうことのできた感想に、わたしも「うざい質問」をした甲斐があったと嬉しくなりました(笑)
◆子育てだけじゃない。社会でも役立つ「問題の所有者」という見方
問題の所有者という見方は、会社などで上司と部下の間で役立ったり、マネージメントの関係では、非常に有意義な見方だと思います。
多くの場合、経験や体験の豊富な者には見える「問題」は、子どもや部下など、まだまだ経験も体験も未熟な者には捉えることのできない「問題」であり、”有る”世界の人が”無い”世界に生きている人に「有るだろ!見えないのか?」と責めても、無い世界にいるのだから「無い」ものは「無い」のです。
そこをどうやって見える世界を認識させていくか?は、マネージャーたる者の腕の見せ所!
きっと、どんな関係性の中でも、この見方を持っているかいないかで、円滑さが変わってくると思います。
◆まとめ
相手の見えている行動だけが答えではない
その行為の中にある満たしたい真の欲求を心の目でみてあげること…
それが真のサポートであり、大袈裟に言わせてもらえるならば、「愛そのもの」であるとわたしは思っています。
※文中のルンルンちゃん、パチパチくんについては、一般社団法人あいにもにーに会員登録をしてくださった方へ無料プレゼントされている、【子育てバイブル「自分らしさの輝きが広がるしくみPDF版】の中で紹介されています。
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