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夢への第一歩。人生初の舞台に挑戦するお話part3『潜る』

2度目の稽古が終わり

ビジュアル撮影の日。

腰が重かった。

「もっと本気を出せ」

監督に言われた言葉を考えていた。


本気でやっているはずなのに

できない自分がいやだった。

殻を破れない自分が嫌だった。

失敗を恐れて体が本気でやることを勝手にブロックしていたのかもしれない。


多分周りからは
「ただ、できなくて、怒られておちこんでいる。」
そういうダサい姿で映っているんだろうな。

そう思うほど帰り道の足取りも重くなった。
体にかかる重量がいつもの10倍はあった。


やめてしまいたかった
もう疲れてしまった

もう私にはできないよ。

誰かかわってよ。

そういう自分の中の声と常に戦っていた。


今日はYouTubeの動画を上げた日。

コメントすら見る気持ちが起きなかった。


でも通知が来てふとひらいた

「待ってたよ!!」

「今日もありがとう!」


いつも見てくれている人達からのメッセージ。


いつも以上に一言一言の言葉があたたかく感じて

もう少し頑張ろうと思った。


本気でやっているのに本気でやっていないと言われる理由がなんなのか

自分の中に潜って考えてみた。

そしたら少しひっかかるものがあった。


幼少期、絵を描くのが好きだった
淡い色が好きだった
女の子らしい色やキラキラが好きだった。

でも母は違った
鋭くて鮮やかな色が好きだった。

あんたらしいね
わたしはそういうのすきじゃないけどね。


好きなことをしているとそういわれた記憶がある。


母は特に悪意をもって言ってたわけじゃなかっただろうが

完璧な母に言われた、好きじゃないという言葉は重かった。


自分の好きな物、自由な選択は恥ずかしくてダメなものなんだと

無意識で思っていた。

好きな物を自由に楽しむことが怖かった。
だから楽しいものを隠した
楽しんでいる自分を隠した。

いつの間にか隠すことが癖になっていた。


人のせいにしているといえばそうなのかもしれない。

だけどきっとトラウマとしてあるのだろう。


どうにかその癖を直したくて手当たり次第に検索したり読んだりした。


その中で最近読んでいる漫画「ブルーピリオド」

そこに書いてあった。


「楽しむは全力。だから楽しんだことを否定されると
立てなくなりそうで怖いんだ。」


読んだ時は背中に電気が走ったようだった

ああ、これだ、

私はあの言葉で一度立てなくなっていたんだ。


だけどもう、
今自分がいるところは
好きで生きていける場所だったってことに気づいた。

もう何も怖がることはないんだ
だけどまだ怖がっている自分がいる

そんな自分に勝ちたいと思った。



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