『磁気単極子(モノポォル)を探して』
仮想文学連盟 第八回文学作品集 『羅針』収録
◯取り残された機械人形と魔女が、人類の痕跡を探すポストアポカリプス
※
「マスター、今日は崩界図書館でこんなものを拾いました」
「おや、これは驚いた」
わたしの手の中にあるものを見つめた屑鉄の魔女は、そう言って目を丸くしました。いつもわたしが拾ってくるものには『がらくただ』『役に立たないね』などと辛辣なことを言う人でしたが、今日のこれに対してはいままでに見たこともないような表情をしたのです。
「まだ残っているとは思わなかった。それは磁気単極子(モノポォル)という」
「モノポォル、ですか」
あまり聞き慣れない、不思議な語感でした。どことなく、可愛い響き。
「そうさ、パンドーラ。かつてそれは人類に福音をもたらしたが、彼らはそれを扱いきれずに滅んでしまった」
『磁気単極子(モノポォル)を探して』
「おはようございます。マスター、お目覚めください」
「んー、あと五分~」
「なりません」
わたしはこのだらしない魔女にお仕えをしているアンドロイド『汎用自律人形(パンドール)』のパンドーラ。人類に仕えるために造られた身ですが、この荒れ果てた惑星の上には仕えるべき主なんてもういません。とんでもない戦争と、洒落にならない疫病と、どうにもならない天変地異があって、どうやら滅んでしまったようなのです。
「こんな滅びた大地で何をそんなに急ぐかね」
ぶつくさいいながら、屑鉄の魔女は可愛らしいパジャマから着替え、寝ぼけ眼で歯磨きをします。わたしはそれを確認してから、フライパンに卵をふたつ落とすのです。きちんと起きたことを確認してから作らないと、黄身がマスターの好みの硬さにならないから。
「コーヒーが出来上がりましたよ」
「むにゃむにゃ」
裏庭で栽培しているレタスを羊のように喰む魔女は、まだしっかりと覚醒めていないようです。早く寝るようにと昨晩も申し上げたのに、きっと夜遅くまで人類が遺した記録を読みふけっていたのでしょう。
今日はなかなかエンジンが掛からないのか、朝食が終わっても魔女はソファでだらだらごろごろとしています。わたしはそのあいだにも、食器を洗い、昼食の準備をし、洗濯をこなします。今日は天気が良いのでお布団を干したいところですが、いまは魔女の花粉症の季節なのでお外で干せないのが残念です。
「どうしたの、パンドーラ、そんなに急いでさ」
「家事をすべて片付けて、崩界図書館に行くのです。さ、そこをどいてください。掃除機をかけますよ」
「お探しのものは見つかりそうかね」
「わかりません。でも、時間はたっぷりとありますから!」
ぐっとモップを掲げたわたしを、屑鉄の魔女は目を細めて見つめていました。
※
きっかけは、少しだけ遡ります。
わたしの日課である崩界図書館でのがらくた探し。いつもは興味を示してくれない屑鉄の魔女が、ひときわ目を見開いたあのがらくた。磁気単極子、モノポォル。それを見た魔女はアダムとイブの林檎の紋章が刻まれたタブレット端末をすいすいと動かして、人類の遺したアーカイブからひとつの記事を取り出しました。
「磁気単極子、読んで字の如く、磁気が単極な子だ」
「説明する気がないでしょう」
「例えば棒磁石を思い浮かべるといい。その棒磁石を半分に切ると、N極とS極を持つ棒磁石がふたつできる。これはどこまで分割していっても同じであり、N極とS極を持つ棒磁石がたくさんできるだけで、どんなに細かくしてもN極またはS極のみを取り出すことはできない」
「たしかに。でもさすがに原子や素粒子レベルまで細かくしたら、取り出せるんじゃないんですか?」
屑鉄の魔女は、その質問が来ることがわかっていたかのように、ドヤ顔で説明を始めました。
「それが無理なのさ、パンドーラ。原子レベルの磁石というのは電子のスピンによる電磁石であるから、これも単極を取り出すことはできない。しかしだ、マクスウェル方程式というものがあってね――」
そこからの話は、魔女の独壇場になってしまったので割愛をします。魔女は人類の遺した科学や文学を愛しており、日夜研究をしていますが、わたしは人類に仕えるアンドロイドとして、翌日の朝食のほうに興味があるのです。
わたしなりに魔女の話を解釈をした限りでは、そのマクスウェル方程式というものは、電気と磁気に関する性質を完全に記述することのできる方程式群のことのようです。それに従えば、電気と磁気はほぼ同じふるまいをすることが予言されているとのこと。
「電気は、プラスとマイナス、それぞれ単極を取り出すことは容易にできる。陽子と電子だ。マクスウェル方程式に何の先入観もなく従うのであれば、磁気だって同じように出来るはずだ。それが許される世界の仕組みになっている」
「それがモノポォル、ですか」
わたしは手のひらの物体を見つめた。N極、S極、それだけ取り出していったい何になるのだろう、というのが率直な感想でした。わたしはそんなものよりも、全自動洗濯機とか食器洗い乾燥機なんかが欲しいと思ってしまいます。
「何の役に立つんだろうと考えているね、パンドーラ。この磁気単極子、実はとんでもないエネルギーを秘めている。これは陽子崩壊を招く触媒として機能するため、微量な質量から莫大なエネルギーを取り出すことができるんだ。宇宙開闢における空間の位相欠陥を再現するのさ」
そこから魔女の話はさらに熱が入り、さらによくわからない単語の羅列が続きました。かいつまんで話すと、磁気の単極だけを取り出すことができれば、それだけで巨大宇宙戦艦を動かせるレベルのエンジンが実現可能だというのです。
「すごいですねー」
「そして人類は数え切れないほどの試行の果てに、たった一度だけ、磁石をふたつに割ることが出来た。これは本当に偶然さ、狙ってできたはずもない。奇跡といってもいい。いずれにせよ、人類はこれで陽子崩壊のエネルギーを手にすることが出来た」
「やばいですねー」
こうなったら魔女の話は長いのです。それにマニアックでわかりづらい。そんなことよりも家事のほうが大切なわたしは、真面目に聞くふりをしながら、今晩の夕食のメニューを考えていました。カレーかな。あ、昨日もカレーだったっけ。ま、いっか。
「分かたれた磁気単極子によるテクノロジーは、運命の皮肉によって、よりにもよって対立しているふたつのグループそれぞれに与えられた。そこからはもう新しいおもちゃを貰った子供のようだった。カンブリア爆発かと突っ込みたくなるほど種々の兵装を生み出して、あちらこちらで最終戦争。最後には『魔女』と呼ばれる存在まで持ち出し、互いに滅ぼしあったのさ」
「パないですねー」
わたしは話を聞き流しながら、欠伸を噛み殺していました。
※
長い長い崩界のときを経て、わたしのもとに転がり込んできたこのモノポォルのことを思いながら、一晩を過ごしていました。災厄戦争で欠けた月を見上げながら、この子はどういう経緯でこの星に残されていたのかを想像していたのです。
「この子がかわいそうです!」
「は?」
そう言うわたしに、屑鉄の魔女はぽかんと口を開きました。
「N極、S極、マスターはこの子には必ず結ばれるべき対のモノポォルがいるということをおっしゃいました。この子から出ている磁力線は途切れず、必ず宇宙の何処かにいるもうひとつのモノポォルに繋がっているはず。だからわたしはそれを探して、出逢わせてあげたいのです」
屑鉄の魔女は呆れた顔をしました。
「あのね、その磁気単極子を取り出すために、かつての人類がどれほど苦労をしたか」
「……わたしは、人類に仕えるために造られたアンドロイド。崩壊した世界でずっとひとりで人類を探し回っていました。でも、マスターに拾われた。見つけてくれた。だからこうして生きていられるのです。でも、」
わたしは手のひらの中にあるモノポォルを見つめました。
「でもこの子にはそれがいない。この宇宙にかならずいるはずなのに、それがない。欠けている。それは、とても哀しいことだとわたしは思うのです」
「止めはしないけどさ」
屑鉄の魔女はぼさぼさの髪をかきながら、呆れたようにいいます。
「その磁気単極子はとてつもないエネルギーを秘めている。世界を再び滅び尽くすことも出来るくらいのね。でも、対の磁気単極子と出逢えば、ただの風変わりな磁石に戻るだろう。それでもいいのかい?」
わたしは考えるよりも先に答えていました。
「よいのです。ひとりでいることのほうが、よほど辛いでしょうから」
マスターに拾われて何百年と経ちますが、わたしがこんなに強く主張したのははじめてのことでした。この子は、誰もいない星をただただ放浪していたわたしと同じ。とてつもないエネルギーを秘めているということは、それだけ不安定だということ。人類の身勝手な都合で魂を引きされたこの子を、わたしはどうしてもほうってはおけなかったのです。
※
「マスター、さっそくモノポォルの片割れを見つけましたよ!」
「ざんねん。それはアップルにペンが刺さっているものだ。ある地層から大量に出土するのだけどいまだに存在理由はわからない。妾(わたし)は宗教的器具だと読んでいるんだがね」
「ではこちらの古文書はなにかのヒントになりますか? いままで見たこともないような文字が並んでいますが」
「ざんねん。それは温泉に入ると健康になるという旨が書かれた手稿だよ」
※
「マスター、これは?」
「じゃん、プレゼントだ」
中庭には一人用の小さなバギーが用意されていました。
「これなら崩界図書館への往復の時間を減らせるだろ。最近、君が忙しそうにしているから、徹夜して造り上げたのさ。妾はここから外には出られないから、一緒についていってやれないからね」
屑鉄の魔女が手のひらをかざすと、いきなり数え切れないほどの脚が左右から飛び出して、がしょんがしょんと動き始めました。いや、タイヤの意味は。屑鉄の魔女によって生命を与えられたその機械は、わしゃわしゃと多脚を動かして、虫のように動き回っていました。
「旧時代の金属部品が転がっている砂地も多いし、熱核兵器の影響でガラス化した土壌もあるから、タイヤだとうまく走れないと思ってね。やっぱり多脚だよ。これなら、崩界図書館の地下の探索までそのままできるだろ?」
「……わたしのためにわざわざ。ありがとうございます」
「こんなこと屑鉄の魔女にとっては、朝飯前さ」
そんなことをドヤ顔で言う屑鉄の魔女でしたが、すぐにぐぅううとお腹の虫が鳴りました。たしかに朝飯前ですね。わたしはくすくすと笑いながら、キッチンの方へ向かいます。
「すぐに朝ごはんにしましょうね」
「目玉焼きが良いな」
徹夜したせいか、屑鉄の魔女はあくびをしながらついてきました。
※
「パンドーラ、ティッシュがないんだが~!」
「はいはい、ただいま」
屑鉄の魔女の声に呼ばれて、わたしは慌てて新品の箱をお持ちしました。そろそろ切れるだろうと思って、昨晩、元素変換器で創っておいて正解でした。この時期、屑鉄の魔女は花粉症が酷いですからね。
「パンドーラがいてくれて助かるよ」
「まったく。わたしはマスターのお母さんではありませんよ。いざというとき、わたしがいなかったらどうするんですか」
本当にこの人には生活能力がありません。わたしを拾うまでいったいどのように生活をしてきたのか、まったく想像ができないほどです。汎用自律人形(パンドール)としてのお仕事があるので文句はありませんが、わたしが朽ちてからはいったいどうするつもりなのでしょう。
「パンドーラ、こっちの書類の整理をしておいてくれ」
「はいはい」
「パンドーラ、トイレットペーパーがないんだが~!」
「はいはい」
わたしに任せきりな魔女の態度に腹が立ち、密かな復讐を実行したことがあります。
「パンドーラ、妾がベッド下に収納していた『ウス異本』を机の上に並べるのはよしてくれ……。これは研究資料なんだ。ああそうだ、人類の研究には欠かせないものなんだ。決してやましいものではないんだ、パンドーラ、どうか聞いてくれ」
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「この子の想い人はどこにいるんでしょうか」
崩界図書館の地下に潜り、戦利品を屑鉄の魔女に見てもらう生活をはじめて、ゆうに百年が過ぎようとしていました。高温超電導体、核融合炉に縮退炉、ダイソン球の詳細な設計図まで見つけたのですが、モノポォルの対の存在は見つかりませんでした。手のひらでふるふると震えるモノポォルは、衛星軌道上のデブリのせいで明滅する月光に照らされていました。
わたしや屑鉄の魔女に与えられた時間からすれば百年など取るに足らない時間なのですが、崩界図書館の地下に眠るがらくたの総数には限界がありました。あれほど広大無辺で、キリがないように思えたこの遺跡も、わたしの長年に渡る発掘作業のせいでそのすべてが曝け出されてしまったのです。
かつて、崩壊したこの惑星をひとりで放浪していた日々のことを思い出しました。そのなかで、崩界図書館のような遺跡は数え切れないほどありました。当時は人類を探していたので、生体反応がないとわかるやいなや探索はしなかったのですが、あれらの地下に、もしかしたらモノポォルの片割れがいまも眠っているかもしれません。
いずれにせよ、崩界図書館の遺物が枯渇しようとしているいま、もう屑鉄の魔女の身の回りの世話をしつつ探索できる場所は限られています。わたしはぎゅっとモノポォルを握りしめました。
※
「マスター、今日はこの書物を発見しました。磁力に関する文章らしいのですが、なにかモノポォルに関する記述はあるでしょうか」
「これは……、ふむ。まだ残っていたとはね」
「というと?」
そのあと屑鉄の魔女のいつものひとり語りが始まったので、断片的にしか理解ができなかったのですが、どうやらその磁力に関する本は、『仮の文に恋した者たち』がしたためたものらしいのです。モノポォルに関する記述も若干あるものの、この時代にはまだ磁気単極子の取り出しは成功しておらず、わたしの求めるような記述は期待できません。
結局、屑鉄の魔女の人類研究の資料のひとつとして本棚に収められました。この時代の人々は、そのたった数年後に人類が破滅を迎えるとは夢にも思っていなかったでしょう。長い長い時を経て再び掘り出されるとは、これを書いた者はどのように感じるのでしょうか。わたしは少しだけ、ある年の夏に想いを馳せたのでした。
※
「最近はずいぶん遠くに行っているようだね、『精霊中核市』かい?」
「ええ、ですから少し早めに出ますね。マスターも少しは自分で家事をなさったらいかがですか?」
「宗教上の理由により、家事は避けるよう神様から言われているのさ」
屑鉄の魔女の戯言は置いておいて(この世界に神などいないことは痛いほどわかっているのです)、わたしの嫌な予感は的中しつつありました。屑鉄の魔女に創っていただいた多脚バギーであっても、未踏の遺跡まではほぼ往復に半日を費やしてしまうようになってしまったのです。モノポォルの片割れは見つからず、わたしは手当たり次第に近くの遺跡を掘り返しました。
いま通っている『精霊中核市』の探索が終われば、その向こうは『メメントの森』。放浪していたときのわたしの記憶が正しいならば、それはもう魔女の隠れ家を拠点に探索をするような距離ではありません。
わたしは手のなかでふるふると震えるモノポォルを見つめました。
つまり、このまま探索を続けるのであれば、わたしはこの魔女の隠れ家を飛び出して旅に出なければならないということでした。あの地獄とも思える放浪の末に辿り着いた、奉仕できる居場所。それを棄ててまで、わたしはこのモノポォルの片割れを探さなければならないでしょうか。メンテナンスで一日世話をしなかっただけで、部屋をぐっちゃぐちゃにしたあのエントロピーの化身をほうって、旅に出てもいいのでしょうか。それを告げたら、屑鉄の魔女はどんな顔をするのでしょう。わたしは迷っていました。
いっそ屑鉄の魔女も一緒に――とは思ったのですが、それは無理な話だということに思い至りました。いまでこそ魔女の隠れ家と呼んでいますが、魔女はここに封印されている身。太陽の寿命が尽きるまで、この建物から出ることは叶わないのです。
滅びた大地を放浪していたときのことを思い出します。もう仕えるべき人はいないのではないのかという疑心暗鬼。文明の欠片は残っているものの、まともな再建はもう見込まれない星。しかし汎用自律人形(パンドール)として目覚めたわたしに、自死は許されておらず、ただコアの寿命な尽きるまで歩き続けるほかありませんでした。そんな放浪の果てに、屑鉄の魔女に出逢えたときのわたしの喜びは筆舌に尽くしがたいものがありました。
でも。
あの地獄とも思える放浪のさなかに、未だこのモノポォルはあるのです。人類の勝手な都合で魂を引き裂かれ、数億年経てもまだ宇宙のどこかにあるはずの片割れに出逢えずにいる。この子はわたしなのです。あの孤独を地獄だと感じたからこそ、見つけたこの居場所のたいせつさを知っているからこそ、わたしはこの子にも自らのいるべき場所にいて欲しいのです。
「大丈夫、いくらマスターでもいざとなれば家事をしてくれるはず……」
その日からわたしの遠大な計画は始動しました。これから旅に出るというのに、自分のことではなく残された者のために色々と準備をしなければならないのはなにか間違っているような気もしたのですが、赤ちゃんレベルに何もできないマスターのことです。準備しすぎるということはありません。
やがて、『精霊中核市』の探索が終わり、その時が来ました。
「マスター、少々お暇を頂戴したく……」
「いいよ」
三日三晩悩んで出した結論は、言い終わる前に返事が来て、拍子抜けをしてしまいました。『言うと思ったよ』と屑鉄の魔女はソファに腰掛けながら、くつくつと笑っています。
「え、でも、マスター、あなたひとりでは何も家事できないじゃないですか!」
わたしが出ていって、一人取り残されたマスターの生活なんてとても想像できるものではありません。おはようからおやすみまで、炊事洗濯風呂掃除、あらゆることをわたしはこの魔女の隠れ家でこなしてきたのです。わたしがいなくなったら、誰が寝かしつけに絵本を読んでやるのでしょう。誰が夜伽をするというのでしょうか。
「自分から言いだしておいて失礼なやつだな、君は。妾だって、カップラーメンくらい少し練習すれば作れるようになるさ」
不安すぎます。
※
「では、失礼します。モノポォルを見つけたら必ず帰ってきますので」
「迷子になるんじゃないよ。磁気嵐が酷いからね」
「めんどうでも毎日服は着替えてくださいね。野菜もしっかり食べてください。歯もきちんと磨いてください。寝てばかりじゃダメですよ、少しくらい運動をしないと。ティッシュやトイレットペーパーはありったけ創っておきましたが、必ず余裕を持って元素変換してくださいね。それから、それから……」
まだまだ伝えたいことはたくさんあります。わたしがいなくても最低限文化的な生活をしてもらえるようメモは残してきました。ちょっと気合が入りすぎて、百科事典のようになってしまいましたが(全二十四巻)。それでも書き足りないことや、直接伝えたいことはたくさんあるのです。
言葉に詰まったわたしの頭に手をおいて、屑鉄の魔女は口を開きました。
「はいはい。いってらっしゃい」
「……はい。行って参ります」
放浪していたときの相棒である大きなボストンバッグを抱えて、わたしは土煙けぶる不毛の大地に脚を踏み出したのでした。さて、どこに向かいましょうか。このあたりの遺跡でまだ調査できなていないのは『メメントの森』か、あるいは『奇想天街』か。迷うところです。
「ねえ、モノポォル、君はどちらに行きたいのでしょう」
道に迷ったときの小枝のように、モノポォルを転がしてみました。
「そちらですか。ちょっと距離はありますが、そちらにはたしか『終焉の地、オワリ』がありましたねえ。あそこにもたくさん遺物が残っていて、そうそう、ウイロウっていう謎の物質があってですね、何かの素材だとは思うのですが。マスターに見せたらなんて言うでしょうね」
老い先短い太陽の光に照らされて、モノポォルはふるふると震えています。
「ふふ。早く逢えるといいですね」
※
「ねえ、モノポォル、マスターはいまごろ何をしているんでしょうね」
『終焉の地、オワリ』への旅路の途中、ちょうど味噌の薫りが一段と濃くなってきたあたりで、わたしはマスターのことを思い出していました。全二十四巻からなる家事マニュアルを授けたので大抵のことには対処できるとは思うのですが、読むのをめんどくさがったらどうしましょう。元素変換器があるから、よほどのことはないと思うのですが……。
青い月光に照らされて、モノポォルがふるふると震えます。
「君のほうが寂しいに決まっていますね。まぁ、マスターは殺しても死なないような方ですし――」
と、そこまで言って、わたしはあることに気が付きました。
どしん、どしん、と。
ふるふるとモノポォルが震えているのは、大地全体が震えているからだったのです。地震!? そんなものこの惑星が正常に生きていたころの話で、わたしも魔女から聞いた知識でしか知らないものでした。では、一体何が。わたしは近づいてくる振動を感じながらあたりを見回しました。
「なんなんですか、あれ……」
がしょんがしょんと、背後から土煙を上げて迫ってくるシルエットがありました。それは十数メートルもの大きさで、まるで脚が生えた都市がまるごと動いているかのような。まさか災厄戦争時の兵器の生き残り……? と思い、身構えたのですが、通信可能エリアに入った途端聞こえてきたのは、懐かしくも情けない声でした。
『おぉ~い、パンドーラ! コンロの火が点かないのだが~!』
がしょんがしょんと魔女の隠れ家は脚を生やして、呆れているわたしのもとまで歩いてきました。魔女は、カップラーメンを作ろうと思ったらコンロの火がつかないとパニックになっていたようです。再会の感慨もなにもないまま、久しぶりに懐かしい場所に脚を踏み入れました。
「馬鹿ですかマスター、元栓を開けないと」
「そんなこと書いてなかったじゃないか!」
ほんとにわたしに出逢うまでどうやって生活をしてきたんだこの人は。もしかしてここ数百年の怠惰な生活のなかで忘れてしまったのかもしれません。それほどまでにすべてをわたしが担っていましたから。
「まったく。ドジで困ったメイドだ。これから先、どれだけ書き忘れていることがあるかわからない。かといって、妾はここから外に出られない。だから、魔女の隠れ家そのものを移動式にしたのさ」
「わざわざそんなことのために……」
呆れてものも言えません。というか、そんなことが出来るのであれば、あれだけ苦悩したわたしの決断とは何だったのでしょう。
「こんなこと屑鉄の魔女にとっては、朝飯前さ」
ぐぅと間抜けな腹の音が鳴りました。
「文字通り朝飯前なんだ。結局ラーメンが食べられなかったからね。パンドーラ、カップラーメンを作っておくれ」
「嫌です」
ぷいっと首を横に振ると、マスターは情けない表情をしました。
「朝食は、マスターの好みの硬さの目玉焼きと決めていますからね」
※
かくして、屑鉄の魔女とわたし、そしてモノポォルの長い長い旅は始まったのでした。多脚型移動式隠れ家(全然隠れていませんが)はがしょんがしょんと滅びた大地を縦横無尽に歩き回り、時には海を渡り、空を飛び、遥かな宇宙まで飛び出し、わたしたちは様々な遺跡で、人類の風変わりな遺産と出逢いました。その思い出もぜひお話をしたいのですが、屑鉄の魔女が呼んでいるので、またの機会にするとしましょう。
「おぉ~い、パンドーラ!」
「はいはーい、マスター、何の御用ですかー?」
「ジャムの蓋が開かないのだが~!」
ということなので。
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