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『クロックワイズ・メカニクスへようこそ!!~翼獣人と進むべき道~』

クロックワイズ・メカニクス小説総集編 第ニ巻収録(第一話)
◯ほのぼの獣人スチームパンク短編連作。時計工房で働く犬獣人の少年クストと、技師である羊獣人の少女ウル、そのふたりを巡る物語です。

◯もくじはこちら。

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『どうだい。幼いころからずっと憧れていた業界で、楽しいことも悲しいこともあるなかで、君はまだ楽しく働けているのだろうか』

 『翼獣人(アシプテリス)と進むべき道』

 クロックワイズ・メカニクスの朝は早い。
 ただし、歯車技師の羊獣人(オビスアリエス)、ウルウル=ドリィメリィの朝は遅い。今日も二度寝三度寝を繰り返し、犬獣人(ファミリシア)のクストに何度か起こしに来られながらもむにゃむにゃやり過ごし、ようやく起き出してきたころには、おひさまは天高く昇っているのだった。
「ふぁああ、おはよー、クスト」
 わたしはいつものようにパジャマのまま、お気に入りのまくらを抱きしめながら階段を降りていく。階下からはクストの淹れたコーヒーの芳しい薫りが漂ってくる。あくびを噛み殺しながら、工房に顔を出す。
「クスト? ひゃっ!」
 いきなり目の前にものすごい眩しさを感じて、わたしはすっとんきょうな声を上げてしまった。まるで太陽が出現したかのよう。おそるおそるまぶたを開けると、応接用の椅子に腰掛けているクストと、わたしのほうを向いて微笑んでいる女性がいた。
「おはようございます。写真、一枚いただきました」
 どうやら手に持っているカメラのフラッシュだったようだ。ふくろうを思わせる丸い眼鏡をかけた女性は、椅子から立ち上がり、わたしに名刺を差し出した。
「はじめまして。わたしは翼獣人(アシプテリス)、トリィ=ミネルストリィといいます」
 名刺を見ると、《鳥の目ジャーナル》というロゴが大きく写っていた。出版業界には疎いわたしだったが、その雑誌名は見たことがあった。毎号、この広い大陸の各地を特集している雑誌で、わたしもケムリュエ特集号は買ったことがある。たまに異種獣人(ダブルブリッド)カップルのプロポーズ特集とかセックス特集なんかもやっていて、書店でそれを見るとなんだかそわそわしてしまう。
 それはともかく、なんでそんな有名雑誌の記者がやってきているのだろう。
「修理依頼?」
「ちがいますよ、ウル」
 クストが犬耳をぴこんと立てた。
「このトリィさんは、クロックワイズ・メカニクスの取材に来てくれたんです!」
「取材!?」
 ここに来てもう何年も経つけれど、一度だって取材に来てくれたことはなかった。驚いていると、トリィさんはびっしりと文字が書き込まれたノートを見せてくれた。
「はい。今回の《鳥の目ジャーナル》は、蒸気と歯車の街、アンティキティラ特集なんです。となれば、当然、クロックワイズ・メカニクスにもお話を聞かなければならないでしょう?」
 もともとこのアンティキティラという街にはこれといった特徴も主要産業もなかった。蒸気機関が実用化された始めた頃から、ザン=ダカ商会が先行投資というかたちでこの街を大幅に作り変え、それから蒸気と歯車の街と呼ばれるようになった。まだわたしもクストも生まれる前。そしてそのときにまちづくりに大きく貢献をしたのが、クロックワイズ・メカニクス。稀代の歯車職人、ソフ=ウェナクィテスだった。
「クストさんからはいろいろなお話を伺いました。ソフ技師亡き後、おふたりで頑張って技術を継承してきたんだとか。わたしはてっきり、クストさんが技師をやっているのだとばかり思っていましたが」
「よく言われるんですが、技師はウルです。ウルウル=ドリィメリィ特等工女。ケムリュエの田舎から飛び込みで弟子入りしてきたときは何事かと思いましたが、いまでは彼女以外にクロックワイズの歯車機構は任せられません」
 クストが大真面目な顔でそう言ってくれる。なんだかこころがむずむずしてきて、頬が緩んでしまう。取材。取材かあ。わたしは、クストと一緒に《鳥の目ジャーナル》の表紙を飾っている姿を妄想してしまう。
 さて、何を話そうか。クロックワイズ式の階差機関(ディファレンシャル・エンジン)の独創的な部分についてなら一時間でも二時間でも話せるぞ。最近のトピックスで言えば、魔法を絡めた混合技術(ハイブリッド)も話したいことがたくさんある。ああ、でも、企業秘密なところがあるからクストが止めるかな。一般的なことがらでいえば、街の中心にある大時計の技術についてだろうか。
 おっと、いけないいけない。寝癖がぼさぼさだ。慌ててわたしはぺたぺたと髪を撫でつける。
「ウル、とりあえずそのパジャマを着替えましょうか」
「そ、そうだよね、そうそう! 記者さん、いまの写真はなしだよ!」
 わたしは慌てて階段を登っていこうとしたが、その瞬間にきゅるるる~とお腹が鳴ってしまった。さっきまで毅然とした態度で取材を受けようと思っていたのが嘘なくらい、恥ずかしいことばかりが起こっている。きっといまわたしの顔は真っ赤だろう。
「トリィさん、休憩にしましょう。ウルの着替えと朝食待ちです」
「ちょ、ちょっと待ってて!」
 わたしは逃げ出すように階段を駆け上がっていった。

 ※

「どたばたしちゃってすみません」
「いえいえ。賑やかでいいじゃないですか」

 ※

 翼獣人(アシプテリス)の記者、トリィ=ミネルストリィはあくびを噛み殺すのに必死だった。
「それでですね、祖父の画期的だったところは、街の大時計の設計にあります。あれを動かすための蒸気機関動力を、街の地下に広がる縦横無尽の動力シャフトを通じて配給することにしたんです。各家庭ではそれを洗濯に使ったり、その動力で紡績工場を動かしたり。まさにアンティキティラの街そのものをデザインしたと言っても過言ではないんです」
「ほうほう」
「もちろん大きな構造物の設計も素晴らしかったのですが、小さなギアにこそ職人技が光ります。クロックワイズ式の階差機関(ディファレンシャル・エンジン)はほんとうに信頼性が高く、メンテナンスも他のものに比べて難しくありません。最たるものは懐中時計で、見えますか、この小さなギアは非常に精密に計算された――」
「ほうほう」
 クストくんがろくろを回すような手つきで熱弁を奮っていた。
 着替えて帰ってきたウルさんにも話を聞いたのだけど、喋りたいことが多すぎたのか整理できておらず、すぐにオーバーヒートしてしまった。ばたんきゅーって感じ。それに比べてクストくんはおそらく商会や役所などでプレゼンを繰り返しているのだろう、比較的説明は上手だった。
 クストくんが喋るのをぼーっとウルさんは見つめていて、ソファで居眠りを始めた。すぐに寝息が聞こえてくる。羊獣人(オビスアリエス)は本来、このような都市部ではなく、ケムリュエの高原で群れをなして暮らしている種族のはずだ。時計のある都市型の生活ではなく、高原で気ままに過ごしている民族。どうしてこのアンティキティラで技師をやっているのかは知らないが、やはり羊獣人(オビスアリエス)は都市生活には向いていないのかもしれない。
「ほうほう。それは興味深いですねえ」
 クストくんの話は、稀代の歯車職人ソフ=ウェナクィテスの晩年の物語に差し掛かろうとしていた。興味深いと言えば興味深いのだけど、正直言って、身が入らなかった。なぜならば、このアンティキティラ特集の結論は決まりきっているからだ。ここでクストくんやウルさんが何を言おうと紙面に大きな影響は与えられない。
 取材を早く切り上げようと、何度か懐中時計を開いて時間を確認しているが、熱中しているクストくんが気付くようすはない。このふたりは無邪気にアンティキティラ特集号が組まれると思っているようだけれど、現実はそんなに優しくはない。この特集には非常に政治的な意図が含まれており、編集長から直々に釘が刺されているのだ。
「……ほうほう。なるほどですねえ」
 曰く、編集長とつながりの深いアンティキティラ議員は、これから魔法機関(テウルギア)による産業革命を画策しているというのだ。かつて何の特徴もなかった街アンティキティラが時代の潮流に乗ろうとして、すべてのリソースを蒸気と歯車に費やしたように、いまは時代から置いて行かれつつある蒸気機関に見切りをつけ、魔法機関(テウルギア)によるまちづくりを進めようとしている。
 いまの住人たちの生活は蒸気と歯車に寄っているものだから、性急な改革には反発も大きいことが予想される。が、アンティキティラ隆盛の波に乗って出稼ぎにやってきた者たちも多い。この街に多種多様な獣人種が住んでいるのはそのためだ。だから、先行技術にリソースを注ぎ込んだ旨味だって理解している。
 いまは天秤の両皿にほぼ同じ重石が乗っているような状態だ。強いて言うならば、魔法機関(テウルギア)にはまだまだ開発途中で不明な点も多いから、保守派のほうが勢いがある。蒸気と歯車の街をつくった商会もそちらに属しているのも大きかった。だが、逆に言えば、そのような未知の技術であるからこそ、先行投資すれば、他の街を出し抜けるということでもある。
 魔法機関(テウルギア)に賭けるか、それとも蒸気と歯車の技術に縋り付いて緩やかに衰退をしていくか。誰にも未来が見通せないからこそ、意見は大きく二つに割れている現状だった。
『トリィくん。例の犬獣人(ファミリシア)の議員だがね、私の恩人なのだよ』
 編集長はそう言った。その言葉の中にどれだけの意味があるのか、察せられないわたしではなかった。おとなの、社会人であるのだから。わたしにアンティキティラ特集を任せておいての、それだ。あとで調べたところによると、一度、《鳥の目ジャーナル》が潰れかけたときに融資をしてくれたのが、その議員のツテだったようだ。
『わかっているね?』
『わかっています』
 短い言葉に、無数の意味が溶け込んでいた。街ひとつをかけた政策の未来を占う一手だ。その議員が出版社を頼るということは、まだそれほど民意は定まっていないということだろう。ここで蒸気と歯車の前時代性と、魔法機関(テウルギア)による先進性を特集することで、市民のこころに揺さぶりをかけて、停滞している議論を一気に動かしていこうというのだろう。
 成功すればわたしは出世できるだろう。それとは裏表で、失敗をしたならば、クビもあり得る。幼いころから憧れだった《鳥の目ジャーナル》にようやく入ることができたのだから、こんなところで失敗をするわけにはいかなかった。
 だから、わたしがすべきことは、クロックワイズら蒸気と歯車の旧態依然とした者たちから話を聞き、その衰退ぶりを伝えることだ。そしてあの議員を含めた魔法機関(テウルギア)推進派から話を聞き、その素晴らしさを喧伝することだ。
 クロックワイズの幼い彼らの語るビジョンなんて。
 クストくんの話を聞きながらしながら、わたしはあくびを噛み殺す。ノートは職業病なのか自動筆記のように動いているが、あたまが完全に他事を考えてしまっていた。改めて懐中時計を取り出して、時間を確認する素振りを見せた。
「すみません、次の取材の予定が詰まっていて――」
 わたしはかすかな違和感を覚える。就職祝いに叔父からもらったたいせつな時計。いまは方便のために開いているだけだったのだが、さっき見たときからまったく動いていないように感じられた。
「あ、あれ……?」
 いままでこんなことは一度もなかった。この懐中時計は嬉しいときもつらくて消えてしまいそうなときも、いつも一緒にいてくれた。しかし、いまは秒針もまったく動いていない。わたしはなかばパニックになりながら、その動かない時計を見つめていた。蓋を閉じたり開いたり、竜頭を引っ張って回してみても、うんともすんとも言わない。
「失礼します」
 クストくんがわたしの手元を覗き込む。ポケットから白い手袋を取り出して、優しく懐中時計を持ち上げる。耳にあてたり、とんとんと叩いてみたり。難しそうな顔をしている。わたしは縋り付くような思いで、彼を見つめた。
「直りますか、たいせつな時計なんです」
 わたしは胸に小さな痛みが走るのを感じた。さっきまでわたしは彼らふたりを心の中で蔑んでいた。過去の栄光の残滓に縋り付く、未熟なふたり。時代に取り残され、いまは魔法機関(テウルギア)による産業革命のプロパガンダとして利用されようとしている愚かなふたり。けれど、わたしの取材に対して彼らが語る言葉は真摯ではなかったか。いま彼がわたしのたいせつな懐中時計を見つめるまなざしは真剣そのものだった。
「うん」
 クストくんはなにかに納得したように頷いた。そしてこちらを向いて、微笑んだ。
「大丈夫。直りますよ」
 わたしはその言葉に安堵のため息しかでなかった。クストくんは懐中時計をたいせつに工房へと運んでいき、いくつかの工具を並べていく。照明をつけ、作業台を照らす。そして、こちらを振り返った。
「ウル、仕事ですよ」
 彼の声に、羊少女は弾かれたように起きあがった。さっきまでよだれを垂らしてぐーたら眠っていたとは思えないほど、はっきりと意志の宿ったひとみでクストくんのほうを見つめていた。もしかしたら彼女にはもうわたしが見えていないのかも知れない。それほどの集中力で、短く彼女はこう言った。
「わたしに任せて」

 ※

 かちゃ、かちゃ。
 静かな工房に、ウルウル=ドリィメリィ特等工女の作業の音だけが響く。さっきまであんなに眠そうにしていたとは思えないほど真剣な目つきで、わたしのたいせつな懐中時計を見つめていた。マイクロモノクルレンズ越しに、ピンセットで小さな歯車をひとつひとつ外していく。
 かちこち、かちこち。
 それ以外には、工房の大時計の歯車の音だけが響いていた。あれだけ喋っていたクストくんは、ウルさんの集中の邪魔にならないように、無言でせっせと動き続けている。どうやら工具や予備のギアを作業机に並べているようだった。ときおりウルさんの肩越しにようすを見ながら、工具を入れ替えたり、すでに並べた歯車を回収したりしている。息が合っているのももちろんなのだが、クストくんの側にもきちんと歯車機構の構造が理解できていなければ出来ない芸当だった。
 わたしはその作業を見つめている。就職祝いに叔父にもらってから、あの時計は一度だって壊れたことはなかった。あの小さな外装の中に、これほど多くの歯車が詰まっているとは想像もしていなかった。しかし考えてみれば当たり前だ。単なるゼンマイの動力だけで、何年もきちんと時を刻み続けるには、それだけ複雑な仕組みが必要なのだろう。
「はぐるま……」
 そのうちのたったひとつが欠けたり、歪んでしまっては、きっとその機構は動かないのだろう。
『わたしね、ぜったいに《鳥の目ジャーナル》の記者になるの!』
『おお、それは楽しみだな』
 幼いころ、わたしは叔父に逢う度にそんなことばかり言っていた。きっかけはもうあまり思い出せない。きっと学校で作った拙い学級新聞を叔父が褒めてくれたとか、わたしが難しい新聞を広げているさまを叔父が感心してくれたとか、そんな些細なことだろう。けれど、わたしにとってはなによりも重要なことで、いつしかそれはこころの中の火種となり、夢を公言する度に燃え盛っていった。
『正しい観測と選択を。人々は《真実》を知らなくてはならないわ。そうでなくては、市民に選挙権がある意味がない。正しい情報がなければ、適切な判断ができないんだもの』
『トリィはほんとうに立派だな』
『えへへ!』
 思春期になっても、わたしは叔父さんに逢う度にそんなことばかり言っていた。そして、褒められる度に天にも舞い上がるような気持ちになり、ますます記者を目指すための勉強に身が入った。そのころになると、世の中の悪い部分だとか正しくない部分が目に入るようになった。この世界はわたしが思っていたよりもよっぽど汚いもので出来ていた。人々はそれに気づいていなかったり、意図的に知らされていなかったりしていた。その薄暗闇の部分にひかりを当てるのが記者の役割だと信じていた。
『《鳥の目ジャーナル》に入社することになったの!』
『おめでとう。君なら出来ると信じていたよ』
 あのたいせつな懐中時計はそのときにプレゼントされたものだ。ふたつあった夢のうちのひとつが叶ったわたしは、これから記者としてバリバリ働くことを想像していた。悪事を暴き、社会の闇を照らし、人々に広く情報を伝える、そんな記者に。ようやく。
『ボツだ』
『やり直しだ。学級新聞じゃないんだぞ』
『おとなの社会人だということをしっかりわきまえろ』
 わたしを待っていたのは、厳しい現実だった。翼獣人(アシプテリス)の編集長には、何度原稿をぶちまけられたかわからない。何日も何日も徹夜して書いた原稿や、いのちの危険を冒してまでゲットしてきた特ダネが、一瞥しただけで無に帰する。いま思い出しても身震いがするものだ。
 それだけならまだよかった。
『こんな記事、載せられるわけがないだろう』
『しかし、編集長。この汚職は――』
『話は以上だ』
 その犬獣人(ファミリシア)の大物政治家は編集長の旧知の仲だったそうだ。そしてこの《鳥の目ジャーナル》のスポンサーである資本家とも繋がっている。わたしはそれを知っていた。知っていた上で、とても黙っていられない汚職だったのだ。人々は正しく政治的な手続きをされたと思いこんでいるが、その裏では限られた人間がその立場を利用して利益を貪っている。それは正しい姿ではない。
 わたしの夢見た《記者》は、それを広く人々に知らしめる責任があったのに。
『次にやったらクビにするぞ、いいな?』
『……』
『返事をしなさい。トリィ=ミネルストリィ』
『……はい』
 そのときわたしはポケットの中の懐中時計を握りしめていた。
 ようやく《鳥の目ジャーナル》に入れたのだ。クビになってしまっては、叔父に申し訳が立たない。わたしはわたしを殺し、悪事を暴くわけではなく、社会の闇を照らすわけでもなく、歯車のように自分を殺して組織に嵌り、会社とスポンサーの意向のままに記事を量産し続けてきた。いびつな歯車がひとつあるだけで機構は動かなくなってしまう。求められているのは、自分の役割。その機構を動かす者の意図を汲んで、ぴったり嵌まる歯車として、自分を削っていくことだ。
 どんどん要領ばかりがよくなっていって、仕事はたくさん回ってきた。振り返る暇なんてなかった、走り続けていたから。立ち止まると、気づいてしまいそうで。
 あのころの自分が、ずっとわたしを見つめていることに。
 時計の修理はまだ終わらない。あの時計を置いて別の仕事をするなんてことはとても出来ないから、わたしはここで待つしかない。かちこち、かちこち。考えてしまう。思い出してしまう。いったいどこで間違えたの。
「トリィさん」
 急に声をかけられて、わたしはソファから跳ね上がった。見ると、クストくんがティーカップを机の置くところだった。不思議な薫りのするハーブティだった。わたしは眼鏡をあげて、目をこすった。
「落ち着きますよ。なんていったって、白き魔女のブレンドですから。ええと、なんて言ったっけな。ローズマリーをメインにしてレプトン草を乾煎りしたものとグルーオン三種をミックスしただとかなんとか。まぁ、からだにいいものが入っているみたいです。それとお菓子も出しましょうか」
 きょとんとするわたしに、クストくんがてきぱきと動く。
「このあいだノイン――、ああ、マクローリン家のお坊ちゃんにもらったお菓子がこの辺に。あれ、ウルが食べちゃったのかな。じゃあ、こっちのフェレスリュンクス家の令嬢にもらったやつにしましょうか」
「ありがとうございます……」
 ハーブティに口をつけると、芳醇な薫りが広がった。ほんのすこしだけ落ち着く。そうなると自分の状態がわかってきて、鼻を噛まなければいけないこともわかった。きっといま、目は真っ赤だろう。このクストくんにしてみれば、急に取材に来た記者が泣き出して何事だと思ったにちがいない。
 ここで時計が壊れなければ。ここが歯車工房でなければ。わたしがアンティキティラ特集に選ばれていなければ。結論の決まりきっている特集の取材でなければ。いろいろな偶然が、いろいろな角度からわたしをえぐり、ずっと目をそらしつづけていたものに気付いてしまった。
『わたしね、ぜったいに《鳥の目ジャーナル》の記者になるの!』
 汚れてしまってもう羽ばたけないわたしを見つめて続けている、幼い自分。そのきらきらしたひとみで見られていると思うだけで、消え入りそうになってしまう。要領ばかりよくなって、自らを望まれるままの歯車に削り出してばかりの自分は、どこで道を間違えてしまったのだろう。もう一度、あのころの自分に戻ってやり直したかった。
「トリィさん。時間は、時計回り(クロックワイズ)にしか進みませんよ」
「……どうしてそれを」
「おおむね、口に出して喋ってました」
 呆れ顔でクストくんが苦笑した。こっ恥ずかしい。さすがに叔父に対する想いまでは漏らしてはいないとは思うのだけど、それにしたってどこまで聞かれていたのやら。
「あ。もしかして、わたしがクロックワイズに取材に来たのも」
「ええ。でも、薄々気付いていました。魔法機関(テウルギア)によるまちづくりというのもアンティキティラ議会から急によく聞くようになりましたし、いまさら《鳥の目ジャーナル》がクロックワイズに焦点を当てるとしたらそれくらいしかないと思いましたからね」
 『わかってはいたんですが、楽しくなって少し話し過ぎちゃいましたけどね』とクストくんは笑った。
「もっともウルは純粋に取材が来たって喜んでいたので、まぁ、黙っておいてあげてください」
「……許してくれるんですか」
 おそるおそるそう聞くと、クストくんは満面の笑みを浮かべたのだった。
「ええ、もちろん。ちょっとだけムカッとは来ましたけどね。でも、ほら。ウルが楽しそうにしているので、そういう意味では文句はありませんよ」
 見れば、工房の作業台のところでウルさんが静かに盛り上がっていた。たしかに懐中時計の構造は複雑だったけれど、それほどにやりがいのある修理なのだろうか。舌なめずりをしながら、一心不乱に作業を行っている。
「それに、トリィさんの状況も聞こえちゃいましたから」
 クストくんはわたしにハンカチを渡してくれた。
「大変だと思います。ぼくもその気持ちわかります――って言ったら傲慢かも知れませんが。祖父が亡くなってクロックワイズを継がなければならなくなったとき、ぼくも理想と現実に悩まされました。祖父から聞いていた蒸気と歯車の素晴らしさの一方で、社会を見れば、アンティキティラの中でもそれを時代遅れだと言う人も多くいました」
「……ひとつ、質問をさせてください」
「それはインタビューですか?」
「いいえ。聞いてみたくなったんです」
 それはきっと記者失格の言葉なのだろう、自分で言っていてそう思った。わたしは《鳥の目ジャーナル》の記者として、偏向報道のもととなるインタビューを集めようとしている身なのだ。それを思えば、こんな質問をする必要性はどこにもない。
「クストさん、あなたはきっと理想を捨てて現実に適応することができたはずです。クロックワイズ・メカニクス、蒸気と歯車に関して素人のわたしでさえ、これだけの知名度があれば立て直す方法はいくつか思いつきます。そのノウハウを生かして魔法機関(テウルギア)の開発に携わり、アンティキティラを塗り替えるでもいい」
 ここに来るまで、わたしは別の印象を持っていた。クロックワイズは旧いアンティキティラの栄光に縋り付いたまま、亡き職人の作り上げたものを食いつぶしているのだと。しかし、ふたりの話を聞いたり、壊れた懐中時計に対する対応をみていると、そうではないと思うようになってきた。彼らは、時代と技術とじゅうぶんに向き合っている。理想だけではなく、現実も見ている。それなのに、どうしてこんなに生き生きと仕事ができるんだろう。
 だから、わたしはこの質問をした。クロックワイズを立て直す方法はいくらでもあり、それを思いついているのになぜその手段を取らないのかと。
「それだと、クロックワイズ・メカニクスではなくなってしまうからですよ」
 クストくんの答えはいたってシンプルなものだった。
「『その手段に気づいている』ということと、『その手段を実際に取る』というのは全然ちがうことです。でも迷いがなかったわけではありません。思いつく限りいくつも考えましたし、ウルとも相談をしました。でも、そのどれもが、『祖父の作り上げたクロックワイズではなくなってしまう』という結論に至ったんです」
 理想から目を逸らし、現実に押しつぶされ、いつもびくびくと人の目ばかり気にしているわたしとはおおちがいだった。クストは真剣そのものの顔でそう語ったのだ。わたしが『仕方がないじゃない』と逃げ続けていたものに、ふたりは向き合っていた。
「だからといって怠けているわけではないですよ。ぼくはぼくは経営資金を集めるために飛び回っていますし、ウルはウルで独自の技術体系を作り上げているところです。おっと。これは企業秘密なので書かないでくださいよ」
 クストくんがまた楽しそうに喋り始めてわたしは吹き出してしまった。ああ、そうか。最初にインタビューをしていたとき、少しだけ腹が立っていた理由がわかったような気がする。こうして現実を知りながらも理想を語れる彼らが羨ましかったんだ。

 ※

「クロックワイズのおふたりは凄いですね」
「いやいや、個人事業主だから自由にやっているだけですよ。トリィさんのほうが大変そうでした。盗み聞きをしようと思ったわけではないのですが、やっぱり大企業っていうのはしがらみも多そうで。ぼくたちにはきっと真似できません」
「……いま思い出しても、つらい思い出はたくさんあります。例えば、そうですね、ある重役との接待の席でからだと引き換えにでも特ダネを取ってくるように強要されたことがあります」
「えっ……、それは」
 言葉に困ったクストくんが可愛らしくて、くすくす笑ってしまった。ほんとうのことを言うと、
翼獣人(アシプテリス)の羽毛はとても保温性に優れていることで有名で、日常生活で抜けた分の羽毛(からだ)とトレードで情報を買ったのだ。まぁ、嘘は言っていないし、勘違いしているクストくんが面白いので、訂正するのはやめておこう。

 ※

「ありがとうございます」
 かちこち、かちこち。
 一時間後、わたしの手のひらには、いつもどおり動いている懐中時計があった。よっぽどやりがいのある仕事だったのが、ウルさんがひとつひとつ説明をしてくれた。難しい型番の歯車の破損だとか、ゼンマイが劣化していたので取り替えておいただとか。中でもわたしが興味を引いたのは、次のひとことだった。
「《トゥールビヨン》の破損が見られたから応急処置をしておいたよ」
「トゥルー? なんですか、それ」
「《トゥールビヨン》、懐中時計なんかは特にかかる重力加速度の向きがころころ変わるから、時計の進み方に誤差が生じやすいんだ。その対策として組み込まれている機構。ただし、構造が非常に複雑になるから、かなり高価になるし、修理も難しい」
「そんなに高いものなんですか」
 叔父は決して貧乏ではなかったが、裕福でもなかった。この懐中時計は安物ではないとは思っていたが、そんなにまで高いものだとは思っていなかった。
「これをあなたにプレゼントしたひとは、きっとあなたが記者として飛び回ることを想定していたんだね。そのうえで、取材の約束などに遅れないように技術的に可能な限りで、正確性を担保したんだ。高価になるとわかっていてもね」
 わたしの脳裏に叔父の顔が思い浮かぶのと同時に、疑問符も浮かんだ。
「ウルさん、なぜプレゼントされたものだって知っているんですか?」
 クストくんにはわたしの独り言でバレてしまったが、あれだけ集中していたウルさんに聞こえるよほど喋っていたとは思えなかった。修理をお願いするときも、たいせつな懐中時計だとしか言っていないはず。
「内部外縁にメッセージが彫られていたんだよ」
 そう言うとウルさんは懐中時計の裏面の部品を取り外した。わたしに見せるためにビスを外したままにしておいたのだろう。ここがこんなふうに開くなんて知らなかった。一度故障して誰かに分解修理を頼まなければ、気づかない。
「ほら、ここね」
『君がここを見ているとういことは、これを君にプレゼントしてから何年もの月日が経ったのだろう。どうだい。幼いころからずっと憧れていた業界で、楽しいことも悲しいこともあるなかで、君はまだ楽しく働けているのだろうか。もし、そうでないなら。いや、この疑問になにか思うところがあるのなら、一度、田舎に帰ってくるといい。幼い君が作っていた《ミネルストリィ新聞》を見せてあげるから』
 嗚咽で声が出なかった。
 叔父は、入社が決まって理想に燃えていたわたしに危なっかしいものを感じていたのだろう。だから、こんなメッセージを残した。さすがあのひとだ、幼いころから一緒だったからわたしのことをよくわかってる。もしかしたら、ずっと抱き続けているこの切ない恋心もバレているのかも知れなかった。
 ありがとう。
 でも、まだ大丈夫。きっと大丈夫だよ。
 クロックワイズ・メカニクスがたいせつな何かに気づかせてくれたから。

 ※

「記事が載るときには教えてください」
「ええ、もちろん。どーんと大きくクロックワイズを取り上げますよ! 見出しはこうですね、蒸気と歯車の街に佇む歯車工房。そこで出会った犬獣人(ファミリシア)と羊獣人(オビスアリエス)の夫婦に密着!」
「「夫婦!?」」
「あれ、ちがうんですか。てっきり異種獣人婚(ダブルブリッド)かと」
「まだちがいます!」
 即答したのはクストくんの方で、わたしはそのとっさに出た一言に含まれる多くの意味を理解して、にやにやしてしまった。ウルさんのほうはそんなクストくんの言葉の『まだ』に気付いているのかわからないが、ムスッとした顔で彼を睨んでいた。

 ※

 翼獣人(アシプテリス)の記者、トリィ=ミネルストリィは、クロックワイズ・メカニクスをあとにする。懐中時計を開くと、カチカチとたしかに時を刻んでいた。足取りは軽く、天にも舞い上がりそうな気持ちだった。
 それにしても、貿易都市で大事業を行っているマクローリン家に、行き場のない狼獣人(カニスループス)たちを受け入れる施設を開いたフェレスリュンクス家、あげくにはあの白き魔女まで知り合いだったとは。いずれもそれ単体で一冊の雑誌が書けるほど、魅力のあるひとたちばかりだ。彼らとどのように知り合ったのかはわからないが、歯車のようにいろいろなものを結びつけていくさまは、なんとなくあの二人らしいなと思わずにはいられなかった。
 クロックワイズを魔法機関(テウルギア)側のプロパガンダとして利用する気はもうないが、そういった意味で今後の取材に御協力いただきたいという気持ちが沸き上がっていた。はじめはあまり乗り気ではなかったアンティキティラ特集だったけれど、いったいどんな仕上がりになるのかいまから楽しみだった。
 わたしがここで見聞きしてきたものを見て、読者はどんな気持ちになってくれるだろう。
 帰り道は、いつもより早足になっていた。

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