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『クロックワイズ・メカニクスへようこそ!!~兎獣人と迂回する道~』

クロックワイズ・メカニクス小説総集編第ニ巻収録(第ニ話)
◯ほのぼの獣人スチームパンク短編連作。時計工房で働く犬獣人の少年クストと、技師である羊獣人の少女ウル、そのふたりを巡る物語です。

◯もくじはこちら。

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「私はクストさんにお願いをしているんです」

 『兎獣人(クニクルシア)と迂回する道』

 クロックワイズ・メカニクスの夜は早い。
 それは技師である羊獣人(オビスアリエス)、ウルウル=ドリィメリィ特等工女が夜にめっぽう弱いからだ。晩ご飯を食べてシャワーを浴びたら、もうすぐにすやすやモードに入ってしまう。もともと羊獣人(オビスアリエス)というのは、ケムリュエという広大な平原で群れをなして暮らしている種族であるから、日が暮れたら寝るということが遺伝子レベルで刻まれているのだろう。
「もう、そんなところで寝ていると風邪を引いてしまいますよ、ウル」
「むにゃ」
 今日も工房の机で設計図を広げながら、船を漕いでいた。そんなに眠いのならベッドで寝ればいいのにといつも思う。が、彼女はその眠気に逆らってまで成し遂げたいことがあって、その実現のために日々努力をしているのだった(その眠気に逆らうことができているとは言っていない)。
 ぼくはぼくで夕食を終えたら、事務仕事が山積みだった。ザン=ダカ商会への補助金の申請書類、時計の修繕依頼のためのチラシ案、そしてそれを置いてもらえる店舗や掲示板探し。産業革命によって大量生産の時代が始まり、職人の時代が終わりを告げようとしているいま、祖父から受け継いだこの歯車工房を存続させるためには、やれることはすべてやるつもりだった。
「むにゃむにゃん」
 それが、飛び入りで弟子入りしてきたウルというひとつの才能に賭けたぼくの約束だったからだ。ぼくは職人を継ぐことを諦めた身だ。経理、雑務、家事、エトセトラエトセトラ。ウルが持てるちからを職人の方向にのみ100%発揮できるようにするのが、ぼくの仕事だった。
 そんなおり、扉をこんこんと叩く音がした。
 時計を見ると、夜の九時を回ったくらい。それはウルがこの工房に弟子入りして初めて作った歯車機構の時計であるから、ちょっとズレてる。実際の時間は九時ちょうど。こんな時間にお客さんとは珍しい。
 ぼくは書類から万年筆を離し、席を立った。
「クロックワイズ・メカニクスというのはここですか?」
「ええ。どういったご用件でしょう」 
 扉を開けると、水銀灯が照らす明かりの下でひとりの少女が立っていた。この季節になると夜は急速に冷える。白い息を吐きながら、帽子を被った彼女はぼくを見上げた。
「たいせつな時計が壊れてしまったので、診て欲しいんです」
「お安いご用ですよ。さ、寒いので中へどうぞ」
 お客さん用の椅子へ座った少女は、帽子を外した。ぴょこんとふたつの白くて長い耳が跳ねる。この蒸気と歯車の街、アンティキティラには多くの種類の獣人たちが暮らしているが、彼女の種族はあまり見かけたことがなかった。
「わたしはレイシィ=キャロルキャロットといいます」
 彼女はぺこりと頭を下げた。
「兎獣人(クニクルシア)ですか、珍しい」
「ええ、ケテル地方から路(パス)を乗り継いで、出稼ぎにやってきたんです。アンティキティラはさまざまな獣人種が暮らす街だと聞いていましたから」
 ケテル地方といえば、アンティキティラ中央駅から蒸気機関車を乗り継いでかなり離れてたところだった。都市というよりは、田園風景広がるのどかな田舎。大昔の遺跡が多く眠る歴史のある街なのだけど、良くも悪くも影が薄い。領地戦争にも近代化競争にも巻き込まれず、のほほんとしているというイメージだった。もっともぼくは直接行ったことはなく、《鳥の目ジャーナル》で読んだかぎりなのだけど。
「ここは都会って感じがします。いろんなところを跳び回ってるんですが、城塞都市アイザックや貿易都市ストラベーンのような賑わい方よりも、このアンティキティラのほうがわたしは好きです。歯車と蒸気、ロマンだと思います」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
 紅茶を出すと、美味しそうに飲んだ。
「たいせつな時計というのは?」
「おじいちゃんがくれた時計なんですが……」
 彼女が斜めがけにかけていたバッグから取り出したのは、懐中時計だった。ふつうの懐中時計でないということは持っただけでわかった。合金でも神銀細工(ミスリルクラフト)でもない。ちょっとやそっとの衝撃程度では歪まないほどの頑強さを持っていながら、懐中時計としての機能性を損なわない絶妙な重量に仕上がっている。
 ふたにはさまざまな紋章が刻まれていた。その中には、モノクルをかけた兎紳士の肖像のようなものも含まれていた。幼い頃に絵本で見たものによく似ていた。いろいろな角度から懐中時計を観察したが、よく手入れがされていた。
「失礼します」
 ふたを開けると、時計盤が目に入った。たしかに長針も短針も中途半端な時間で止まったままだ。振ってみてもからから音はしないため、ゼンマイの劣化による断絶というわけではなさそうだ。歯車が外れてしまった感じも見受けられない。
「どうですか?」
 ふつうの時計の修繕依頼だったらぼくでも対応できるから受けるつもりでいたのだけど、紛れもなく一点物の懐中時計は手に負えないような気がした。ウルに見てもらったほうがいい。
「あんまり即答できないですねえ。うちの技師の判断を仰がないとなんとも言えないんですが、ちょっと今日はもう対応できなくてですね」
「技師?」
 彼女は首を傾げた。
「あなたじゃないんですか? アンティキティラと言えば、ソフ=ウェナクィテスのクロックワイズ・メカニクスだって……」
 レイシィに悪気はないのだろうけれど、胸にちくりと痛いモノが刺さる。
「遠くケテルのほうまで伝わっているんですね、光栄です。ただ、いまの技師は羊獣人(オビスアリエス)のウルウル=ドリィメリィ特等工女というんですが、あのとおりなんです」
 工房の机ではパジャマ姿にナイトキャップなウルが、せっかく引いた設計図の上で寝息を立てていた。ああもう、あれじゃよだれがついちゃうし、起きたときほっぺに鉛筆のあとがついちゃうでしょ……。お客さんの前で恥ずかしい……。
「むにゃーんむにょーん」
「寝てますね」
「ええ、寝てるんですよ」
 満場一致。
「というわけで、ちょっと即答できないです。これ分解しないことには見積もりも出せないですし、既製品ではないですし。やはり技師の判断を仰いでからのほうがいいと思います」
 レイシィは納得のいかない表情だった。
 が、こんな営業時間外(ウルの寝てるとき)に来ているそっちも悪い。
「ですから、一度この時計は預からせていただいて、また都合のいいときに来てください。そのときには現状分析と見積もりを出せるようにはしておきますので。それでよろしいですか?」
 と、強引に話を進めて、連絡先を書くためのメモを取りに行こうとしたとき、彼女の低い声が聞こえた。
「……ダメです」
「はい?」
「いますぐ直してください。祖父から受け継いだほんとうに大切な時計で、これがないとダメなんです。眠れないし、食事も喉を通らない。どうか今晩中に直してもらえるようお願いします」
 その真っ赤な目は必死で、ぺこぺこと頭を下げるたびに兎耳が跳ねた。
「そんなことを言われても……」
 あの状態のウルはちょっとやそっとじゃ起きない。それに寝起きの彼女はエンジンがかかっていないから、いきなり時計の修繕なんてできないだろう。朝ごはんを食べてコーヒーを入れて、そうだな、三十分は待たないと。試しにつんつんつついてみたが、寝息のリズムは変わらなかった。
「むにゃにゃ、もう歯車、回せないよ~」
「どんな寝言だ」
 というわけで、このレイシィ=キャロルキャロットという少女には悪いけど、帰ってもらうしかない。ぼくだって夜中にやりたい作業もあったのだし。さて、それをトラブルにせず、オブラートに伝えるためにはどうしたらいいか。
 と、ぼくが悩んでいると、レイシィのまっすぐで真っ赤な瞳と目が合った。
 とてもいやな予感がした。
「お願いします」
「……ぼく?」
 レイシィはこくこくと頷く。
「ほんとうに大切な時計なんです。一日たりとも肌身離さず持っていないと、わたし、ダメで。わがままを言っているのはわかります。料金でしたら、二倍でも三倍でも払いますから、どうかお願いします」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ぼくはクロックワイズの経理担当だって言ったでしょ? いまここには技師はひとりしかいなくて、一度寝たら起きなくて」
「私はクストさんにお願いをしているんです」
「たしかに祖父にひととおりは習ったけれど、もうウルに譲って何年になるかってところだよ。たいせつな時計なんでしょう。何かあったらぼくには責任が持てない」
 そのとき、夜の十時を告げる柱時計の鐘が鳴った。あれはケムリュエからウルが来たとき、まだ田舎から出てきた得体の知れない羊獣人(オビスアリエス)だと思って、張り合っていた頃にぼくが作った時計だった。
 そのとき、ウルはその天才的な空間把握能力を発揮して、見たこともないような歯車回路を構築した。一つの歯車に二つ三つの存在意義を持たせ、初見では動力駆動がどう伝わっているのか全然わからない代物だった。別に魔法とかではなく既知の物理学によって動いているから、説明されればどうにかわかる。が、どういう考え方をすればそれを0から組み立てられるのか、さっぱりわからなかった。
 一方、ぼくはただただ基本に忠実な、犬獣人(ファミリシア)らしい時計を作った。いまでもあのときに胸の中に宿った感情は覚えている。それは《あきらめ》と呼ばれるものであったのかもしれないけれども、そうではない感情も芽生えていた。
 その時計がいま、この状況で鐘を鳴らしている。
 あのときのぼくと祖父に背中を押されているような気がした。レイシィが泣きそうなひとみで見つめてくる。
「……わかりました。ただ時間外なので別料金を取ります」
「ありがとうございます!」
 もう引くに引けない、と手のひらにじわっと汗が滲んだが、レイシィの純粋に喜んでいるすがたを見ると、いまのぼくで出来るだけ頑張ってみるかという気持ちになった。「むにゃむにゃーん」とウルが呑気な寝息を立てていた。

 ※

「さて、やりましょう」
「そんなに準備が必要なんですか」
 夜中に飛び込んできた兎獣人(クニクルシア)、レイシィ=キャロルキャロットの依頼を受けてから、ぼくが作業を開始するまで一時間弱かかってしまった。ウルの使用している工具は勝手に使うと怒られるから、祖父からもらった自分の工具類を押し入れの奥から取り出していたのだ。幸いにして手入れは怠っていないから、マイクロドライバーを始め工具は錆び付いてはいない。
 ――問題はぼくの腕のほうだけど。
 その後、ウルを二階のベッドまで運び、毛布をかけた。これだけどたばたしたのに起きないとはさすが羊獣人(オビスアリエス)である。そう感心するとともに、もうぼくには逃げ場がないことを感じていた。ここで『ふぁああ~、なになにクスト、なにそのお客さん』って起き出してさえくれれば、と思うぼくがいなかったわけではない。
 首を横に振る。
 ダメだ。
 自分が自分一人で落ち込む分には自由だけども、いまはこの少女の時計修理を請け負っている身なのだ。対価まで発生している《仕事》に、ぼくはもっと真摯に向き合わなくちゃいけない。頭の中に次々と湧いてくる弱音と言い訳を《クストパンチ》でやっつけながら、ぼくは施術の準備を進めていた。
「ひとつの懐中時計の修理といえども、これだけの準備はします。獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすと言います。それが、《クロックワイズ・メカニクス》なんです」
 作業台の対面に座っているレイシィに、ろくろを回すような手つきで熱弁する。直せなかったらどうしよう。いや、直せないだけならまだいいが、取り返しのつかない破壊をしてしまったらどうしよう。と、同時に自分が背負っている看板の重さを実感する。ウルはいつもこの重さを背負いながら仕事をしていたのかと改めて思う。
 なぜか目の前の彼女は青白い顔でカタカタと震えていた。そこでようやくぼくは気がついた。気が利く男を演出だ。
「あの、夜も遅いですし、毛布でも持ってきましょうか?」
「い、いえ、そういうんじゃなくてですね……」
「?」
「……」
 彼女は小さく震えながら、兎獣人(クニクルシア)特有の赤い瞳で上目遣いにこちらを見つめている。寒くもないのであれば、いったいなんなのだろう。トイレにでも行きたいのだろうか。なるほど、そうか。それはちょっと言い出しづらい。
「すみません、気が付かず。あそこのレジの左隣に見える扉がお手洗いになっています」
「いえ、そういうわけでもなく」
 『獅子は《兎》を狩るのに』というフレーズが原因だったとぼくが気がついたのは、作業を始める直前のことだった。

 ※

 兎獣人(クニクルシア)、レイシィ=キャロルキャロットの持ち込んだ懐中時計を作業台に置くと、ライトに照らされて鈍い輝きを放っていた。ぼくはつばを飲み込む。これは一対一の対決だ。専用の工具を使って裏蓋を外す。外見からある程度の見当はついていたが、実際に中身を見てみれば想像していた以上の歯車の数だった。立体的かつ複雑に噛み合っている。最近ウルが開発に取り組んでいる《天体運行解析機構(アストロラーベ)》を思わせる。
 手のひらにじっとりと汗が滲む。
「どうなんですか」
 記憶をフル回転させて、歯車機構の修繕の手順を思い出す。祖父から教えてもらったのはもちろん、ウルの作業だって出来る限りのサポートはしている。歯車の数は多く、機構は洗練されたものではない。それはこの懐中時計がかなり旧式である証拠だった。
 階差機関(ディファレンシャル・エンジン)が本格的に実用化する前の構築であり、理論計算ではなく、職人が自分のカンを頼りに組み上げていった時代のものであるため、いまの歯車機構のように徹底的な合理化が図られていない。
 大きく息を吸って、吐く。
「大丈夫です。どうしても時間はかかってしまいますが、これなら修繕は可能なはずです」
「そうなんですか、よかったぁ」
 柱時計を見れば、ぼくがあたふたしていたあいだに日付が変わってしまっていた。けれども、この少女はぼくの作業台を赤い瞳でじっと見つめていた。
「では、始めます」
 手の汗を拭い、震える手でピンセットを握る。

 ※

「ウルにお任せだよ」
 ウルウル=ドリィメリィ特等工女。
 いつもはぼやぼやねむねむしている羊獣人(オビスアリエス)の彼女だったが、コーヒーを入れて歯車機構を前にするとエンジンがかかり、その驚異的な空間把握能力を駆使して、まるで《魔法》のように歯車機構を修繕していく。
 それを後ろから見ていて、飄々と問題を解決していく彼女の姿を当たり前のことのように思っていたのだけど、それがどれだけ凄まじいことかということを思い知らされていた。いざ真似をしようと思っても、ぼくの頭ではまったくうまくいかなかった。
「……っ」
 額に浮かんだ汗を拭い、マイクロモノクルレンズを通した視界に集中する。
 いまぼくの目の前にあるものは、一点物ではあるが取り立てて特殊な懐中時計ではない。型が旧式で複雑なだけで、常識の範疇のレベルだ。たとえば、《絡み合う双子座のマナ》を利用したブラックボックスな機構が組み込まれているわけでもないし、歯車が何千何万と噛み合っている階差機関(ディファレンシャル・エンジン)の修繕でもない。ましてや祖父ですらたどり着かなかった《魔法と歯車の完全調和(マギアヘーベン)》絡みでもない。
 ぼくはウルウル=ドリィメリィ特等工女の能力を信頼して、さまざまな仕事を持ってきては彼女に振っていたけれど、彼女はこれほど凄いことをしていたのだ。わかっていたつもりではあるけれど、結局、ウルの能力に頼り切っていたんだ。
「ゼンマイ機構があそこ、ここまで動力が届いて……、ここで分岐……」
 ピンセットで小型歯車ひとつ取り除くだけでも、さまざまな考えが頭をよぎる。あれだったらどうしよう。これだったらどうしよう。ウルのように特別な直感があれば別だけども、ぼくはもともと理論でこつこつ取り組んできた人間だ。どうしたって手が遅くなって、迷いも出てしまう。
「それから長身と短針に向かって……、でも、この動力迂回路はなんだ……」
 どこの誰がこんな無駄の多い歯車構成を組んだんだよ。なんて愚痴りたくもなる。
 柱時計のちくたくという音が耳障りだった。これくらいの機構、ウルならぱぱっとやってしまうところ、なにを手間取っているんだと指を差されているようだった。繊細な作業を要求される指に妙なちからが入ってしまい、ピンセットが歯車を掴み損ねて、跳ねてしまった。
「あっ……」
 頭をかきながら拾いに行くが、非常に小さな部品だったため、見つからない。自分のふがいなさにいらいらしながら床に這いつくばって探すけれども、いっこうに見つかる気配はなかった。
 しまったなぁ。あんなレトロな歯車、在庫にないぞ……。
「クストさん、クストさん」
 声をかけられて顔を上げると、レイシィが口元を押さえながら、ぼくを見つめていた。ぷぷぷぷ。ぼくが情けないすがたを見せているのがそんなに面白いのかよと思って一瞬落ち込んだが、彼女がぼくの髪から歯車を取り出したのを見て、状況を察した。
「どうか落ち着いてください、クストさん」
「いえ、あの……、すみません。ウルなら、クロックワイズ・メカニクスの主任技師なら、こんなことにはならなかったんですが」
「またそんなことを……、わたしはクストさんに依頼をしているのだからいいのです」
 怒りますよ、と付け加えられた。
「こんな夜中に押しかけておいて何ですが、クストさんは焦ってみえるようです。少し休んだ方がいいと思います。少しだけ、わたしの話をしてもいいですか」
「レイシィさんの話?」
「いえ、どちらかというと、この懐中時計とキャロルキャロットの話といった方が正確かも知れませんが」
 正直な話、ぼくは一刻も早く汚名挽回するため、時計の修繕に取りかかりたかったが、たしかにいまのぼくは焦っている。それはよくわかっていたし、これ以上ムリに続けても、いずれあの細かい歯車たちをひっくり返す結果になることだろう。ひとつ大きな息を吐いて、「話を聞かせてください」と、ぼくは紅茶を入れる準備をした。
「あの、にんじんジュースとかの方がいいですか?」
「あー。獣人種差別ですよ、それ」

 ※

 実はわたしがクロックワイズ・メカニクスを訪れたのは、これがはじめてのことではないのです。クストさんにお逢いするのも、実はこれが二回目。
 きょとんとしていますね。ふふっ、そうだと思います。あのころはまだ幼かったですから、あなたも。わたしも。
 絵本作家だった祖父のアンティキティラ出張についていったわたしは、故郷のケテル地方では見られないような歯車の技巧の数々に感動していました。蒸気と歯車の街アンティキティラ。当時はまさしくその最盛期であり、歯車技術が世界の最先端を行っていた時代です。
 仕事が終わった祖父とわたしはアンティキティラの街を散策する中で、ひとつの時計屋さんを見つけました。祖父はいつも懐中時計をチェックしていたものですから、わたしも自然とそれに憧れてしまっていたのでしょう。ショーウィンドウを見つめながら、買って買ってと駄々を捏ねていました。
 祖父としても困ったことでしょう。当時はまだ蒸気機関による大量生産も間に合っておらず、時計一つの単価は非常に高いものでした。安物ならともかくも、わたしが駄々を捏ねているのは、世界最先端の時計工房の前なのです。当時のキャロルキャロットの家は決して裕福ではなかったため、祖父は困ってしまいました。
 そんなとき、
「クロックワイズ・メカニクスへようこそ!」
 という声が聞こえたのです。
 ドアベルが鳴り、わたしと同じ年くらいの犬獣人(ファミリシア)の少年が満面の笑みでわたしたちを見つめていました。
「いや、孫娘が騒がしくしてすまなかったね」
「いえ! 喜んでもらえて嬉しいです!」
 小さな犬獣人(ファミリシア)のあとには、老人が顔を出してきました。いまでこそ、伝説の歯車職人、クロックワイズ・メカニクスのソフ=ウェナクィテスだとわかりますが、当時はよくわかっていませんでした。
 『あの時計、とっても綺麗ですね。おじいさんが作ったんですか』なんてマヌケな質問をしてしまいました。ソフはわたしに微笑んでくれました。
「ふむ。お嬢さんはお目が高い。この懐中時計は特別でね、世界にひとつしかないものなんだよ」
「ひとつしか……」
 うんうん、と小さな犬獣人(ファミリシア)が頷いていました。
「この時計はね、おじいちゃんと一緒に造ったんだ。それでね、この時計の凄いところはね……、こういう問題があったんだけどね……、それでずっと考えていたんだけど……」
 と少年は目を輝かせながら、身振り手振りでこの懐中時計を造るためにいかに自分が知恵を絞ったのかということを語り始めました。語られる単語の多くは当時のわたしにはわからなかったけれど、それでも懐中時計というものを如何に正確で便利なものにするかという工夫が施されているということはよくわかりました。
「歯車構成の経路を工夫したんだ。一見、無駄で複雑そうに見えるんだけど、すべての歯車に意味があって時計を正しく動かすという目的に向かってる。これのすごいところはね、複数の動力経路を分散して配置しているから、歯車の摩耗がかなり軽減されるんだ。やっぱり懐中時計だから、面倒なメンテナンスは少ないほうがいいよね。外装も丈夫な合金の緋緋色金(ヒヒイロノカネ)を採用しているよ」
 犬獣人(ファミリシア)の少年は迂回する動力経路のジェスチャーをしながら、如何にそれが独創的な工夫であるかということを説明しはじめました。そのころになると駄々を捏ねて泣いていたわたしも泣き止んでいて、この面白かわいい少年の虜になっていたんです。
「それにね、複数の動力経路に分散して歯車を配置したおかげで、懐中時計の誤差も抑えられるんだ。ポケットの中でどんな方向を向いていても、早まってしまう動力路と遅くなってしまう動力路から、その平均を取ることができる。ね、凄いでしょ!?」
 犬獣人(ファミリシア)の少年は一生懸命にそんなことを語るものだから、なんだかわたしも嬉しくなってしまいました。けれども、同時に残念な気持ちも広がっていきます。そんなに革新的な一点ものの時計なんて、どれだけ欲しいと思っても手に入りはしないだろう。
 そんなわたしに犬獣人(ファミリシア)の少年は、そのたいせつな時計を差し出したのです。
「たいせつにしてあげてね」
「え、でも、これ高いんじゃ……?」
「この時計をそんなに気に入ってくれたんだから、きっと君のところにいるのがこの時計にとっても幸せだと思うんだ。店の外からほんとうに欲しそうに見つめていたよね。あれ、すごく嬉しかったから。ね、おじいちゃん、いいでしょ?」
 いいとも、と伝説の歯車職人ソフは優しく微笑んでくれました。
 犬獣人(ファミリシア)が差し出した時計を受け取ると、ずっしりと重く。それは緻密に組み込まれた歯車機構の重さなのかもしれなかったが、それ以上に、小さな彼とソフとの努力の重さなのだと感じました。
 『託された』、という言葉が脳裏によぎりました。
「ずっとたいせつにします」
 誓いの言葉。
 この言葉は胸の奥底で灯り続けているのです。

 ※

 兎獣人(クニクルシア)、レイシィ=キャロルキャロットは話を終え、顔を上げた。
「……クストさん?」
 クストさんの顔つきが変わった。
 わたしのお話のどこで思い出したのかはわからないが、話の途中から彼はマイクロモノクルレンズをつけたまま目を大きく見開いていた。きっと見えていたのはいまのわたしではなく、あのときのわたしと、そしてソフの姿なのだろう。
 まだこの小さな工房がひとりの稀代の技術者によって支えられていた時代。蒸気と歯車の街を謳うアンティキティラの看板となっていた時代。蒸気機関による産業の凋落も、魔法機関(テウルギア)による新しい産業革命の胎動も、まだ夢にも思っていなかったそんな時代だ。
 クストさんの見開いた目は、きっとその時代を見つめていた。
 クロックワイズ・メカニクスに何があったのか、わたしは知らない。ソフ=ウェナクィテスが亡くなったことは新聞で知っていたし、職人式の歯車工房が経済的に行き詰まっているのもいろんな地域を跳ね回っていればよくわかる。魔法機関(テウルギア)革命なんて話も各地で出てきている。孫であるクストさんではなく、羊獣人(オビスアリエス)の少女が技師を担っているいきさつもわたしは知らない。
 けれど、さっきまで曇りがかっていたクストさんの瞳の奥で、小さな焔が宿ったことだけはわかった。「ああああああああああぁ!」と叫びだし、彼はあたまを掻きむしった。わたしはそれを止めようとは思わなかった。わたしの知らないクロックワイズ・メカニクスでの苦悩、この数年間で積もりに積もったなにかを振り払っていたのだと思ったから。
 彼は大きく息を吐き、わたしに目もくれず、作業台に向き直る。うん。それでいいのだと思う。世界にたったひとつの懐中時計を挟んで、幼いクストさんといまのクストさんが向き合っている。その《対話》に、客であるわたしへの遠慮なんて入り込んではならない。
 たいせつな時計です。クストさんに託しましたよ。
 夜は更けていく。

 ※

 羊獣人(オビスアリエス)、ウルウル=ドリィメリィ特等工女の朝は遅い。
 クストにそんなことを言われるたびに、わたしは反論する。羊獣人(オビスアリエス)はケムリュエという田舎も田舎、まさに大草原でずっと暮らしていたから、日の光が当たらないと起きることが出来ないのだ、と。時計すら必要としなかったゆるゆる民族のちから、思い知れ!
 そんなこんなで、ケムリュエを飛び出してクロックワイズに来てからは、クストに起こしてもらうところまでが朝の目覚めのワンセットだった。実はクストが起こしに来る少し前には目覚めている、というのはここだけの秘密。暖かな毛布の中にくるまって、クストに「朝ですよー」って起こしに来てもらえるのはほんとうに幸せなことだ。
 それが今日は起こしに来ない。
 おめめが醒めて、クストを待ってはごろごろしながら二度寝して、それからしばらくしておめめが醒めて、クストを待ってはごろごろしながら三度寝して、それでもクストはやってきません
「……まったくお寝坊さんだなぁ、クストは」
 クスト=ウェナクィテス。まじめで面倒見がよく、たまに小言もいうけれど、料理・洗濯・掃除などなどの家事からクロックワイズの経営までしっかり気を配ってくれている。一応ケムリュエの特等皇女(プリンセス)であるわたしは、生活能力がほぼゼロに等しい。なんていったってお姫様だから。もしクストが倒れてしまったら、わたしひとりで生きていけるかどうか不安で仕方がなかった。
 ――クストがいなければ、何にもできないな、わたしは。
 こんな時間まで起こしに来ないなんて、なにかあったにちがいない。
 わたしはがばっと布団を蹴散らし、階下に向かう。
 風邪でもひいたのか、それとも怖い狼(ばか)でも来て揉めていたりしているのか。ザン=ダカ商会に提出する用の書類に手間取って徹夜でもしたのか、あるいは女性のお客さんに言い寄られて一晩をともにしていたりとか!?
「……なんて。ないない」
 自分のたくましい妄想に苦笑しながら、一階の工房に下りる。そこでわたしが目にしたのは、見知らぬ女と寝ているクストの姿だった。工房の作業机に突っ伏して眠っているクストと、ソファで毛布をかけて眠っている見知らぬ少女。どちらも満足そうな表情を浮かべている。あわ。あわわわ。手にしていたクッションを取り落とす。恐れていた事態が現実になってしまった。昨夜、わたしが寝ているあいだになにがあったの!?
 クストが取られちゃう!
「ほ、包丁はどこにやったっけ……」
 そんなとき、師匠の声がした。
『ウル。歯車技師にとってもっとも大切なのは、《正しい観測》なんだよ』
 師匠、つまりクストの祖父である伝説的な技師、ソフ=ウェナクィテスはいつもそう言っていた。ひとは、自分の知っていることしか知らない。観測が誤っていたり、私情で曲げられていたりしたら、そこに起因する行動も誤ったものになってしまう。だから、《正しい観測》が必要なのだと。旧い友人である《魔女》の口癖だったそうだけど、それが白き魔女のマナを指すのかどうかは、いまとなってはわからない。
 まぁ、それは置いておいて。
 正しい観測。こころのなかで三回唱えて、わたしは改めて工房の中を見た。
 よくよく見てみたら、クストの手には、レトロな懐中時計。蓋が開いており、かちかちと正確な時を刻んでいた。机の上には工具や部品が散乱している。クストがマイクロモノクルレンズなんてつけているのを見るのは、もう何年ぶりだろう。それをつけたまま眠りこけているあたり、ほんとうにぎりぎりまで作業をしていたにちがいなかった。
「ふむ」
 なんとなく状況がつかめてきた。
 この兎耳娘が夜中に懐中時計の修理の依頼をしてきたのだろう。そのときわたしは眠りこけていて、対応することができなかった。そんなに急いで時計の修理をしなければならない理由はわからないが、やむを得ずクストが久しぶりに歯車機構を触ることになった――、といったところだろうか。
「それにしても、こんな独特な機構の懐中時計の修繕なんて」
 ガブリエッラの時計のように特殊なものでは決してないけれど、それでも簡単とは言いがたい構造のアーキタイプだった。
 かつてまだ歯車技術が体系立てられていないころ、個性豊かで野心的な時計機構が多く造られたという。しかし、それらはメンテナンスの難しさからいつしか生産されなくなっていった。もしこれを診たのが新米の歯車職人であったなら、その奇妙奇天烈な機構に目を回したことだろう。
「頑張ったんだね、クスト」
 なにがあったのかは知らないけれど、このまま休ませてあげよう。

 ※

 わたしはずっとクストに申し訳ない気持ちを抱いていた。クロックワイズに飛び入りで弟子入りをしたわたしは、なにかと突っかかってくるクストと兄妹のように肩を並べて切磋琢磨し合った。わたしはそのとき夢中だった。わたしの知らないことがここには溢れており、わたしの持っているちからのすべてを活かせる場所がここにはあった。
 いつしかクストを追い抜いていってしまい、あるとき、はたと彼のほうを振り返った。努力型の彼はわたしのほうを『信じられない』といった目つきで見つめていた。
 クロックワイズ・メカニクスは彼の祖父、ソフ=ウェナクィテスが立ち上げたものだ。そんな祖父が大好きなクストは、この工房を継ぐためにずっと努力をしてきたのだろう。
 けれど。
「……クスト」
「いいから。ぼくは歯車職人をあきらめる。おじいちゃんとも話し合った。ウルがここで技師として、ぼくはそのサポートとして頑張るのが、一番このクロックワイズ・メカニクスのためになるんだ」
 そんなクストの言葉はいまでも耳に残っている。それからわたしはクストのサポートに支えられながら歯車職人として自由にやらせてもらった。それがクストのためだとも思っていた。でも、こうして懐中時計を直したクストの姿を見ると、複雑な想いが胸を締め付ける。この工房は彼が受け継いだほうがよかったのではないかと。
 きゅるるるる~、とお腹が鳴った。
「ねえ、クスト。はよ起きれ。ごはん。ごはーん!」
 でも、やっぱりこうしてクストに甘えられる生活が、わがままかも知れないけれど、わたしは好きなのだ。

 ※

 さて、ここから先は余談なのだけど。
 お腹を空かせたウルにぽかぽか叩かれて目を覚ましたぼくは、朝食の準備に取りかかった。レイシィはそのまま眠りこけていたが、柱時計が鳴ると弾かれたように目を覚ました。どうやら時間には敏感な種族のようだ。時計を大事にしていたのもうなずける。
「はじめまして。ウルさん。わたしは兎獣人(クニクルシア)のレイシィ=キャロルキャロットといいます。クストさんには大変なご無理を言って申し訳ありません」
「はじめまして、わたしはウル。ウルウル=ドリィメリィ特等工女」
 どうやらウルの虫の居所は悪そうだった。
「ほんとうにうちのクストに無理をさせないでね。クストがしゃんとしていないと、わたしの生活がたいへんなことになるんだから。わたしはほんとうになにひとつ家事ができないんだからね!」
 苦笑するレイシィ。
「ええ、ほんとうに申し訳ありません。でも、ほら」
 彼女は手のひらを開き、緋緋色金(ヒヒイロノカネ)で覆われた重厚な懐中時計を開いてみせた。カチ、カチ、と秒針が時計回り(クロックワイズ)に進んでいく。
「クストさんがきちんと直してくれました」
 満面の笑みのレイシィにウルは一言だけ返事をして、ぼくの用意したサラダにフォークを突き刺した。
「当然。だって、あのクストなんだから」
 その言葉に誰より驚いたのはぼくだった。淹れたてのコーヒーを取り落としてしまいそうになった。ウルはどこからともなくやってきた才能で、ぼくを技術力で負かし、主任技師の立場を勝ち取った。つまりぼくは負け犬だ。
 なのにウルは、当然ぼくなら直せるのだと太鼓判を押してくれた。普段、ぼくの技術に対する彼女の評価を聞かないものだから、いつのまにか自分を貶めていた。仕事はすべてウルに流して、自分はそれ以外をサポートするのだと言い聞かしていた。
 手のひらを見つめる。この手のひらはそろばんを弾くためのものではなかったのかもしれない。
 なんて、すぐ調子に乗ってしまう。
 我ながら、自分の単純さに苦笑する。やっぱりぼくは歯車機構が好きで、祖父のような職人に憧れているんだ。そこにはやはり嘘はつけない。だからさ、いまくらいは調子に乗らせておいて欲しい。
「うわっ、クスト、尻尾ぶんぶん振ってるね!」

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