ひたすらに悲しい、ウクライナのこと。
ロシアとウクライナの件で、悲しくて怖くてテレビをつけられない。
いま私は服も着替えないままにベッドに横になっていて、ネットで情報を収集したり、私にできる限りの発信をしたり、せめて何か支援できることはないかと調べたりしている。
自分に出来ることがあまりにも少なくて、口座の問題で送金すらもできなくて、無力感に苛まれている。
きっと数日もすれば他の手段ができるだろうと思いつつ(いままでも他の手段にたどり着いて海外にも寄付をしてきた)、戦争という事態でもそれが通用するのかと不安になる私がいる。
戦争下では何が起きる? 私はまったくわからない。
歴史を学んでこなかったことに強い恥ずかしさを感じる。せめて数年前に買った読みかけの本を読もうと思う。世界の歴史を学ぶために買った本。
今日偶然にポーランド人のクラスメイトから話を聞いた。ポーランドはウクライナの隣にあって、ウクライナ人の受け入れを表明しているそう。
自分たちの国に外国人が計り知れないほど来ることが不安だと言っていた。
その時の私は話をぼーっと聞いてしまっていたのだけど、いまになって少し理解ができた。そんなの不安に決まっている。どう考えても誰が見ても非常事態が起きている。
そして、非常事態はウクライナだけではなくて、隣国でも起き始めていることもやっとなんとなく理解ができた。まだまだ理解が及んでない自覚を持ちながらではあるけど。
ウクライナと私の接点といえば、大学4年生の頃、初海外にして留学をした時の、ドイツ語学校のクラスメイトがウクライナ人だった。
彼は私と同い年で、驚くほどに無邪気で好奇心があって、言葉の話せない私にもよく話しかけてくれた。
日本のアニメの話とか、日本には文字が3種類あるって聞いたよ!とか、実は日本には高校生の頃に研修で行ったことがあるとか。
1か月の滞在のうちには私はドイツ語でも英語でも話すことはできなかったけど、彼を含む数名の友人たちのおかげで私のドイツ初月は一生忘れられない思い出になった。
彼らが繰り返しめげずに私に話しかけてくれて、遊びにも誘ってくれたから。
(私ならもっとコミュニケーションの取れる友人と一緒にいることを選ぶし、返事が返ってこないのは純粋にめげるから自然と離れる。だから本当にありがたい。)
そんな日々の中で最も印象に残っているのは、授業最終日を前に開催された文化プログラムという名目のダンスパーティ。
私は出るつもりはなくて、その前のプログラムまでで帰るつもりだった。だけど思いがけず早くにパーティが始まってしまって、帰るタイミングをなくした。
友人たちに誘われるままに、見よう見まねでダンスに混ざった。初めてのことだったけど、最初は、楽しかった。
でも途中から、様子がおかしくなった。ダンスを優しく教えてくれていた初対面の男の子が、様子がおかしくなっていった。
それにいち早く気づいてくれたのが、ウクライナ人の彼だった。
言葉がしゃべれない上にそんな状況が初めてでどうすればいいかわからない私に代わって、彼がその男の子に注意をしてくれた。私をその子から離してくれて、守ってくれた。
しかもそれだけではなくて、夜が遅くて電車も少ない中、私を家まで送ってくれた。彼はパーティの会場だった寮に住んでいたのに。
aimi、もう帰る? 遅いし送るねと、まだまだみんなが楽しんでいる中を抜けて、家まで送ってくれたのだった。
そんな彼の故郷、ウクライナ。
私はウクライナには、行ったことはない。
でも、大事な友人の、大事な国。だから私にとっても、大事にしたい国。他人事と思えない、今回のこと。
寄付をいま送れないことに、無力感を感じる。私が塞ぎ込んでいても意味はないとわかりながらも、ベッドから動けない。
なんて悲しいことが起きているのだろう。
せめて情報収集をしたいのに、こんな時代だから生の情報を得る手段はあるのに、英語がわからないから理解ができない。クラブハウスでルームに入って1時間が経つけど、ただのBGMでしかない。
英語には興味がないと避けてきた。そんなことを言っている場合ではなかった。興味の有無ではなくて、言語はやっぱり情報を得るために必須で身につけておくべきこと。
明日以降の未来には、どんな光景が拡がっているのだろうか。悲しくて想像ができない。いや、少し想像をしてしまうから悲しいのかもしれない。
どうか、最善の方向に事が進みますように。そう祈ることしかできない。
そして微力でも、こうして発信をすることがいまの私にできることと信じて、とにかくも手を動かして自分を落ち着ける。
きっといい未来が、いや、せめて少しでも悪くない未来がありますように。私も私にできることを、少しでも多くやっていくから。
追記
日本円での寄付金の振込先が更新されていました。探されている方も多いのではと思い、ここにシェアしておきます。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️