マガジンのカバー画像

恋のはなしあらため愛のはなし|ライフコーチの私の場合

61
ライフコーチングというものを学び、私はひとと付き合うことがうまくなった気がします。人とのコミュニケーションというものを理解できたからです。自然消滅をしてみたり、付き合わないでいて…
ライフコーチという「ひとと話すことが仕事」の私がどんな恋愛をしているのか、どんなふうに愛を受けとっ…
¥700
運営しているクリエイター

#日記

ひさしぶりに恋をしている

さて。私がnoteやTwitterに日々をつらつら書くにあたって、書かないと決めていたのが恋愛の話です。 だけど、毎日noteを始めてもうすぐ2年。そろそろ私のことを深く理解してくださっている方もいるので、恋愛の話をしてみようと思い立ちました。 と言いつつ、すごくプライベートなことなので、場合によってはorすべて有料で公開しようと思っています。 私の恋愛の話を聞いてくださる稀有な方は、このマガジンにお付き合いください。 ▼前回の記事 ▼マガジンはこちら この記事を

ビザが無事に取れたことと大切な人からの愛を受けとることと

ここ数か月かけて準備をしてきたビザ取得。無事に昨日、3年で申請が通った。 ホンモノが手元に届くのはまだまだ先なので、この一時帰国は仮ビザを持って帰国する。だからまだ実感がわかないのだけれど、私は無事に3年のビザを出してもらえるようだ。 9月に申請しようと思っていたから、ほんとうに長いあいだビザの準備をした。時間が増えた分、準備をしなおしたものもあったりして、わりと万全な状態で申請の日を迎えた。 それでもやっぱり、結果はビザが「出るか出ないか」の2択なわけで、私は緊張して

愛をもっと大事にされたい

インターステラーを見た。2014年に公開されていたと知って、私は長い時間差でこの映画を見たのだなと思った。 私はあまり映画を見ない。対して、恋人は英語がネイティブだし、映画をよく見る。今回も恋人の影響で、そして日本語字幕がない代わりに恋人の通訳で見た。私が知らない世界に、私は恋人を通してたくさん出会っている。 インターステラーのストーリーは、宇宙にいくことになった父親とその10歳の娘を中心に進む。地球とは時間の経ち方が違う宇宙で過ごす父は、何十年も地球に戻らない。 欧米

恋人を見つけたと思うこと

ドイツで恋人ができたと母に話した数か月前。性被害のトラウマがあり、しばらく恋愛をしていなかった私に、母は「そこにいたのね」と言った。 「彼に出会うためのドイツだったのね」とも。私はそれを聞いて大げさだという顔をしながらも、そう思える日がくればいいとも心の底で思った。 恋人を「見つけた」なんて、おこがましいし大げさ。でも、母にそう言ってもらった私は、その言葉をそっと心にしまったのだった。 ▼前回の記事 ▼マガジンはこちら 過去に書いた記事を載せたりいまのことを書いたり

誰かと暮らすことを一度あきらめた私へ

大学生の頃、私は当時の恋人と暮らしていた。とは言っても、お互いに親が支払う家がある上で、彼がうちに泊まるという形式だったけれど。 この頃を最後に、私は恋人と暮らすということをしていない。純粋に恋人がいない期間が長かったこともあるし、遠距離だったこともある。 でも、今回私が向き合ってみたいのは、私の心にあるブロックだ。 大人になるにつれて、恋愛における関係性構築というもののむずかしさに気づきながら、私は誰とも暮らせないのだと自分に呪いをかけた。 その呪いを、そろそろ手放

3年ぶりに恋愛を始めたら笑い方が変わった

コロナが騒がれ始めたとき、私には恋人がいた。 いま思えば、「お互いじゃないとダメ」な関係性ではなくて、年齢と住む場所が一致したから一緒にいたような関係性だった。 その恋愛を自然消滅で終えてから3年、私は恋愛を再開した。 互いに外国人な私たちは、会話をすることですら困難も多いけれど、私はこの恋愛で私を取り戻していると思う。 特に笑い方が変わった。私はこの自分が好きだなと思う。 ▼前回の記事 ▼マガジンはこちら 過去に書いた記事を載せたりいまのことを書いたりしていま

恋愛では自分の機嫌をとれないこともある

コーチングを職業としている私は、それ以前の私と比べて、自分だけでごきげんに暮らせる時間が増えた。 誰にケアをしてもらわずとも自分の機嫌がとれる、自分の機嫌のツボを押さえている。そう思っていたけれど、最近は新しい自分の一面を見ている。 というのも、恋愛をする、誰かの恋人としての自分はそうはいかないのだ。自分の範囲を超えているような、恋人との境界がわからなくなるような。 誰かの恋人として居るときの、自分の機嫌の取り方がわからない。 「ひとりで居る」自分とそこそこに向き合い

交際前のことをやり直した、こうして関係は築き直され続けるのだと思う

人が一緒に居始めるって、ある種の奇跡だと思う。私たちが交際を始めた時のことも、答え合わせをしてみれば、奇跡のようなことがたくさんある。 たとえば私たちにとっては、映画館でのこと。映画を観に行ったことも、その後の私たちの関係性も、紙一重で簡単に変わっていたと思えることがある。 それが、逆にターニングポイントとして、いまの私たちを作ってくれている。人の歴史というのはおもしろい。 いろんなことが、起こるべくして起きている。すべては一番いい未来に通じているのだから、何も恐れる必

トラウマのある私に恋愛はむずかしい

昨日から、すごく変な感覚に襲われている。いままでも少しはこういうことがあったと思うのだけど、見ないできていたような気もする。 セクハラのトラウマがあったり、そうでなくても自己肯定感の低さから良くない恋愛を選択してきた私にとって、恋愛というものはむずかしい。 相手というよりも自分を信じることの方がむずかしくて、「大丈夫よ」と自分に言い聞かせることがよくある。 そういうわけで、私はいま不思議な感覚に襲われている。この体験は、私に何を伝えたがっているのだろう。 ▼前回の記事

見た目を褒められるのが苦手だった私へ

若かった頃、女性としての私の魅力は26歳がピークだと思っていた。社会人になるのが22歳、社会人4年目には26歳になる。そこが女性のピークだと。 社会に出てたった4年で、ピークが過ぎるなんて早すぎる。結婚が1つのゴールならば、大学のうちか社会人なりたての頃には恋人がいないと詰む。 いまとなっては、これは私が勝手に持っていた呪いなのだとわかる。でも、当時はゆるぎのない、どうにもできない呪いだった。 今年32歳になる私は、いまの私の見た目が好き。ちょうどいまが26歳の恋人は、

いっしょに食べるアイスはおいしい

私はお菓子をあまり食べない。しょっぱいものも甘いものも、冷たいアイスもあまり食べない。住む場所が日本からドイツになっても、これは大きく変わらない。 お菓子はなくても生きていける。もちろん、疲れた時とか、たまに食べたい時はあるけれど。毎日ポテチを食べるのが日課な両親とは、まったく異なる食の嗜好だと思う。 だけど私も、誰かといるときはまた別らしい。最近の私は、アイスを食べるのが楽しい。恋人と家でかざらない食事をして、最後に食べるアイスが楽しい。 ▼前回の記事 ▼マガジンは

極端な自分を恋人に見せてみたい

むかし知り合いのカップルを見ていて思ったことがある。嫉妬とか寂しさとか、極端な姿を思いっきりぶつけられる関係性っていいなって。 私はそれができない。かなりマシにはなってきたけれど、やっぱり相手に気に入られる行動を選択してしまう私なので、極端な自分でいられない。 連絡がつかないからと、プライベート携帯にも仕事の携帯にも電話がかかりまくっている後輩を見て、彼の彼女を羨ましく思った。私にはできない。 それをしても嫌われない、自分たちが離れることはないという確信があるのだと思っ

ひさしぶりの恋愛が日常になってきた

ドイツで恋人ができて1か月以上が経った。前の恋人から数えたら3年ぶりとかの恋愛で、最初は緊張していたけれど、彼との時間が馴染んできた。 恋愛がイベントだった当初、私のカメラロールは彼とのお出かけ写真で埋め尽くされていた。恋愛がイベントでなくなってきた最近は、家でのごはんが並ぶようになった。 お金を使ったりお出かけをする体力を使ったりしなくても、幸せに過ごせる時期に移ったのだと。お出かけもいいけれど、ふたりで家にいるのもいい。 ▼前回の記事 ▼マガジンはこちら 過去に

恋愛をする私は大人なんかじゃなかった

過去に恋人がいた時、私はもう大人になったと思っていた。頻繁に会えなくても大丈夫だし、それくらいがちょうどいいと思うようにしていた。 当時の私は会社員で、彼ももちろん会社員で、平日は遅くまで仕事をする私たちは自由には会えない。会うとしても家だから、デートができない。 でもそれは、私たちだけが特別にそうだったわけじゃない。社会人になった私たちはそれが当たり前で、みんなそういうものだと諦めていた。 だけど、私は別に、大人になったわけではなかった。ほんとうはやっぱり恋人と一緒に