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なんでもない話

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日々のつぶやきとかちょっと誰かに聞いてほしい話とか、アラサーな私のなんでもない話
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#家族

父の子どもの頃の話を聞きたい

うちに家族には問題がある。長年そう思ってきたけれど、去年から家族の関係性が変わりつつある。 私も家族も、みんなが頑張った。考え方がバラバラだった家族が、家族といっても他人どうしである人たちが、程よく付き合える程度には1つになった。 だからこそ、いま興味のあることがある。父の子どもの頃の話を聞きたい。 自分から話すことのない父だけれど、そこにこそ私たち5人家族のルーツがある。父の生まれた家の話を聞きたい。 父という人は、なぜこんなにも自分のことを語らないのだろう。うちの

日本にいる家族が倒れても、私はドイツで日常を過ごすのか

今朝早い時間に目が覚めて、なんとなく携帯を見た。一度携帯を見ると眠れなくなるから見ないようにしているけれど、今日はなんとなく見た。 SNSをひと通り見て、ふとLINEにたくさん通知があることに気づく。開いたら家族からのLINEで、病院にいるとのこと。 数日前にも同じ病院にいると連絡が来ていたから、最初はまた検査かなにかなのだと思った。でも途中で気づいた。これは検査ではない。 祖母が救急車で運ばれたという話だった。幸いにも大事ではなかったけれど、ついあれこれと考えてしまっ

生きているとは、紙一重

私には、不安障害のようなものがある。あれこれと先を読んでは心配になるけど、ほとんどの心配は不要なものだ。 これも私の特性と捉えて、いまはうまく付き合うことを選択している。でも、なんだかうまく行かないこともあるし、「また心配になりすぎているな」とただただ自分を客観視していることもある。 この特性がなければいいと思うこともあるけど、こういう類のものは何かを守ろうとして備わっていることもある。またこんな私が出ているなと思ってやり過ごすなどしている。 最近の不安 最近の不安は

知っていることと知らないことで、私たちは形を成している

ここ最近の私の関心ごとは、日本の政治と歴史である。 日本はなぜこんなふうになってしまったのか、また日本は海外からどのように見えているのか。 謎解きをしたくて、本を読んでいる。 いま読んでいる本 いま私が読んでいるのはこちら。 この本の感想文はまた今度書くこととして、私たちは知っていることで形成されていると改めて感じる。 例えば、日本の戦略戦争の歴史を、私は最近まで知らなかった。なぜ知ったかといえば、ウクライナの戦争が始まった頃に読んだこの本がきっかけ。 知らない

私は、怒鳴るというコミュニケーションを軽蔑する

唐突に話を始めるけど、私は「怒鳴る」という選択が日常にある人のことを軽蔑する。 「怒鳴る」コミュニケーションにおいて、怒鳴られる側の気持ちを私は知っている。 怒鳴る側の気持ちは想像はしても、理解し甘受するなんてことは絶対にしたくない。 感情的になること 大人にもなって、感情を表に出すのは恥ずかしいと思っていた。社会人になってから、その傾向はどんどん強まった。 だけど、1年前からコーチングを学ぶようになって、それは一概にそうではないのだと気づいた。 社会には、感情的

気づいたら、涙をこぼしながら話していた

昨日私は、なんとも言葉に表現しがたい経験をした。 だけどすごく大切なことだったから、言葉にしておきたくてここに書いてみる。 10年以上前に亡くなったおじいちゃんと、私たち家族のこと。 韓国でできた友人との旅 11月から韓国に住み始め、今月末で帰国をする。 この半年のうちに一度も旅行に出たことはなかったけど、最後に思い出を作ろうと誘ってくれたクラスメイトのおかげで、私はいまチェジュにいる。 この旅は韓国での半年を労うもの、ご褒美であるものと理解して、私はここに来くる