大学生になって「一意専心」が難しくなったと感じる。それでも歩みを進めなければ

こんにちは。お久しぶりです。今年の夏休みは様々なところに行かせてもらいました。宮崎に始まり宮古島、山梨、北海道、福岡…これ以上なく満喫しました。遊びつくしたといっても過言ではありません。
しかし早いもので、夏休みもあと2週間。しび~~~

ということで、今回は早めに本題にはいらせていただきます。タイトルの通りです。一意専心が難しくなってきた。それでも俺はやる。そういう決意表明の場にさせてください。長い決意表明ですが、最後まで読んでくださると幸いです。

何にでも夢中になれた中高時代

中学、高校時代は部活と勉強にまっすぐ集中できていました。中学時代は本当にサッカーと勉強しかしていませんでした。夏休みに少し遊びに行ったり、体育祭の打ち上げに行ったりはしましたが、普段から誰かと遊びに行くことはほとんどありませんでした。

高校時代は軽音楽部に入って、バイトも始めました。中学時代よりは遊ぶ機会が増えたものの、娯楽が劇的に減ったおかげで勉強時間が中学時代よりも猛烈に増えました。また、文化祭や箱ライブ(校外のライブハウスで行うライブ)前の熱量は半端ではなかったです。そして、部活動を終えたのちには、受験勉強に心置きなく没頭しました。結果現役では落ちてしまいましたが笑

夢中を極めた仮面浪人時代

仮面浪人時代には、受験勉強への夢中を極めました。詳細はこちらにあるので興味を持ってくれた方はぜひご覧ください!

簡単にいうと、バイトもせず遊びもせず、ただひたすら勉強だけしていた時期です。受験勉強をしていた半年間祖母と二人で暮らしていたのですが、祖母以外の人と会うのは1か月に1回ほどでした(そもそも外出が月に1,2回)。娯楽もない環境で、ただひたすら受験勉強に打ち込みました。受験勉強100%の状態でした。その後なんやかんやあって精神を傷めるのですが、無事(?)第一志望の大学に合格することができました。

このように、没頭しまくっていた中高時代はまさに青春といえるものでした。

一意専心が難しくなった大学時代。それでも良いのかもしれない

中高そして浪人時代と、何かに夢中になり続けてきました。長期における一意専心ができていたわけです。

しかし、大学に入ってからはそうはいきません。まずバイト。お金は必要なので、テスト期間やサークルが忙しい時期関係なくバイトはしなくちゃいけません。僕は今オンラインの塾で中高生を教えていますが、教える仕事でなければ忙しい時期は精神的にキツかったかもしれません。大好きな塾講師だからこそ、朝が早い毎日でも22:00までオフィスに残って授業をすることができます。生徒への責任。果たしたいと思う責任があるから頑張れます。

しかし、大学ではバイトだけ頑張っていれば良い、という話ではありません。そういう「~さえ頑張っていれば良い」という社会的通念がないのが大学生の特徴だと思います。中高時代は部活と勉強(と少しバイト)をひたすら頑張ることが使命だと自分も自分の周りも思っていました。そのため、迷うことなく、疑うことなく突き進むことができました。特に、東京大学合格という目標は、「入ってからこうしたい」とか「このために東大に入るんだ」とか、明確な目的が無くても、東大合格それ自体が大きなモチベーションになりました。高い壁というただそれだけで燃えられました。
しかし、大学生はそういうわけにはいきません。大学合格のような、多くの人が目指す目標はなく、サークルや部活は何をするのか、就職か大学院進学かetc… すべて自分に決定権があります。部活動でない限り、自分で目標を設定して自分で燃えなければなりません。競争という意識からはより外れ、自分の中に大きなモチベーションを保っていなければなりません。

加えて、多くのことが同時に進んでいきます。部活やサークル、バイト、研究、就活…何を頑張るのか。何を自分の軸にするのか。取捨選択しても、「一つだけ選んで残りのすべてを捨てる」ということは難しくなっています。一意専心が難しくなっていると感じます。

また、大学入学以降僕は人間関係をとても大切にしてきました。サークルやバイト先、クラスや学科などでのひとつひとつの出会いを大切に。知り合った人と簡単に疎遠になってしまうのは怖く感じます。大学に入ってから、高校時代疎遠になっていた地元の友達との関係が復活したり。高校時代の友達と長期休みごとに旅行に行ったり。家族とご飯に行ったり、話したり。とても大切な時間だと感じます。そう何十回も集まれる人たちではないから。

長期的に100%何かにのめりこむというのは、そういう大切な人たちもシャットダウンしてしまうということ。それがとても怖い。

大切な人に教えてもらった言葉に「自分の中を何かが100%占めるのはよくない。それがなくなってしまったら空っぽということだから」というようなものがある(うろ覚えですすみません)。100%で埋めることは、それがなくなったら自分が空っぽになってしまうという恐怖から依存や執着を引き起こしたり、実際に空っぽになってしまって燃え尽き症候群を引き起こしたりしてしまうのかなあと。
これは仮面浪人時代痛いほど思い知らされました。大学に進学してまで受験に執着した自分。そこで落ちたら自分の人生はどうなってしまうのか。仮面先の大学で友達もいない。再履修もしなきゃいけない。。。
結局のところ、自分から受験を取り上げたら何もなかったから、そこまでの不安を持ってしまったんだと思います(それでも、あのときの熱狂っぷりをもう一度味わってみたいと感じている自分が少しいるのもまた怖い)。

今は、いろいろな場でいろいろな経験をし、いろいろな人に出会ったからこそ、何かに失敗しても大丈夫だとポジティブに生活できています。本当に幸せな日々です。

それでも、ときに70%,80%を占めて頑張らなければいけないことがある

それでも、人生において、何かを犠牲にしてでも頑張らないといけないときがある。その時期が僕に近づいてきているんです。

就活と勉強(研究)

3年秋。サークルや旅行を言い訳にしていたけど、いよいよ就活にもっと力を入れなければいけないと。
しかし、今まで力が入りきらなかったのにはサークルや旅行だけではない、一番大きな理由があります。それが、「大学院進みたいからいいや」というやつです。大学院に進む場合、進路は学部卒のそれとはまた違ったものになると思います。就活をしなくても、院にいけばなんとかなる。そういう甘ったれた気持ちがあるんです。しかし、今自分には大学院に行きたい明確な理由がありません。強いて言うなら「何かしらちゃんと研究してみたいから」です。そんな気持ちで大学院に行くわけにはいきません。今は奨学金と学費免除をもらって大学に通っているのですが、大学院でまたもらえるかは分かりません。親にお金を出してもらうかもしれないのに、中途半端な選択はできません。なので、自分は「本当に研究したいテーマがあるのか」「就職と大学院での勉強、どちらがやりたいことなのか」の答えを半年~9か月ほどかけて本気で探そうと思います。答えが出なかったとしても、本気で答えを探し、もがくことに意味があると思うので、まずは本気で。就活も勉強もめいっぱいやります。少し会えなくなってしまう人もいるかもしれないけれど。会える時間を大切にしながら、自分だけの時間を増やしていこうと思います。
今まで楽しいことに使っていた時間を、無理やり軌道を変えて他のことに使うのだから、辛いことも多いでしょう。でも、後悔しないように。その時間の使い方が、やっていることが本当に正しいのか迷いながら。迷いながら迷いながらも進むこと。これもまた、立派な青春なのではないかと思います。

今年のロッキンで知って大好きになった曲が2曲あります。

①マヨイガ/羊文学

行け 行け その明日がきみを苦しめようと
行け 行け 痛み知る優しい人でありなさい

1番Bメロ

背中を押してくれる大切な曲です。これ以外の歌詞も綺麗で、

でっかい夢も 綱渡りの不安も
話してごらん 未来を今始めよう
萌ゆる草木のように逞しく生きて
傷ついたら泣きなさい

2番Aメロ

ぜひ聴いてみてください。

②迷えば尊し/新しい学校のリーダーズ

かなり衝撃を受けたアーティストです。青春日本代表の4人のこの曲にたくさんの勇気をもらいました。

才能なんて 友情なんて
将来なんて 外見なんて
迷えば 迷えば 迷えば 尊し
反抗したって 妄想したって 
葛藤したって 後悔したって
進めば 進めば 進めば そのうち
溢れ出すこの感情 終わらない道の先
迷えど進むこそが青春

1番サビ

ここに青春のすべてが詰まってると思うんです。迷いながらも進んでいく。そんな青春をこれから送りたいと思います。何歳になっても青春を。


そういえば、こんな感じで僕は大切な言葉をthreadsに載せています。興味がありましたら是非フォローしてくださると嬉しいです。


今回は以上になります。長々とした決意表明を最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。大切な何かを犠牲にして何かを頑張っている同志がいらっしゃったら、またこれからそうしようと思っている方がいらっしゃったらいいねを押していってくださると嬉しいです。自分が間違っていなかったと断言できるその日まで。一緒について行かせてください。

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